LOG_0018:緊急特命
ギルド本部の自室に戻った星奈は、机の上に置かれた『黄金の認印』をじっと見つめていた。
白金と黄金が放つ静かな輝きは、この都市における最高権限の重みそのものだ。
「……さて。思考を整理しましょう」
星奈は手帳を開き、現状の変数を書き出していく。
上層で起きている物理定数の揺らぎ。
重力の反転、音の遅延。
これらは物質的な破壊ではなく、世界を記述する「法則」そのもののバグだ。
(私の『神の眼』は、エラーの所在を特定し、修正プログラムを流し込むための『観測機』であり『入力端末』。けれど、私自身に世界の法則そのものを物理的に固定する力はない……)
ふと、ステラは自分自身の詳細ステータスを深層意識で展開した。
普段はレベルやスキルのみを注視しているが、今の自分はこの世界のシステムにどう「記述」されているのか。
【個体名:ステラ・エーデルワイス(如月星奈)】
(エーデルワイス……。救世主として登録された際、システムが自動生成したのか、あるいはこの肉体の元々の名か。……今の私には相応しい「変数」ね)
ステラ・エーデルワイス。
彼女はその名を深く刻み、必要なリソースを特定した。
第一に、概念的なバグを物理的に観測・干渉するための魔導技術。
これには修復局のメイが最適だ。
第二に、未知の法則下……つまり足場が消えるかもしれない極限状態で、私を確実に守り抜き、かつ『修正』までの時間を稼げる超一流の機動力。
これは、実力・信頼ともにアネラスしかいない。
「けれど、三人では……リソースが圧倒的に不足しているわ」
星奈は自分のステータスを脳内で反芻する。Lv.17。
神の加護による身体能力の底上げはあるが、数値的な「階梯」は依然として低い。
アネラスもLv.34。 団長やカシムといったLv.70超えの怪物たちを動員すれば確実だが、彼らは都市の「心臓」だ。
もし調査中に別の場所で『獣』の氾濫や大規模なバグが発生すれば、現場は指揮系統を失い、大混乱に陥るだろう。
(組織のトップを動かすのは、最終手段。まずは、私を中心とした『軽量かつ高効率な独立遊撃チーム』を構築すべきね。……戦闘要員がもう二人は必要。それと、未知のバグによる負傷を即座にリセットできる治癒のスペシャリストも)
星奈は立ち上がり、黄金のエンブレムをポケットに仕舞った。
まずは、技術の要を確保しに向かう。
「基盤の修復局」が管轄する巨大工房は、常に金属を打つ音と魔導回路の駆動音で満たされている。
その最深部、ガラクタと図面が山積みになった一角で、メイはゴーグルを額に上げたまま、複雑な歯車を睨みつけていた。
「メイ。少し時間をいいかしら」
星奈の声に、メイは弾かれたように顔を上げた。
「えっ、ステラ様!? あ、いえ、ステラさん! ど、どうしたんですか、こんな油臭いところに」
星奈は無言で、黄金のエンブレムをメイの目の前に提示した。
「……ひゃわっ!? そ、それ、バルタザール総理が持ってるやつ……!」
「ええ。団長直々の特命を受けたわ。修復局に対しての優先協力要請権を行使します。メイ、あなたの力を貸してほしいの」
星奈は淡々と、上層で起きている「物理法則の書き換え」について説明した。
重力が反転し、音が遅れて結像する。その異常な事態を。
バルタザール総理の名前を出せば、メイは職務として従わざるを得ないだろう。
そう考えていた星奈だったが、メイの反応は予想とは少し違っていた。
「重力が反転……音が遅れる……? え、それって、空間の座標定義そのものが滑ってるってこと? それともエーテルの伝播速度が局所的に書き換わってるの……?」
メイの瞳に、義務感ではなく、純粋で狂熱的な知的好奇心が宿る。
「面白い……! 面白すぎます、それ! 既存の魔導工学の教科書が全部ゴミになっちゃうようなバグじゃないですか!」
「……同行してくれるかしら」
「もちろんです! 行きます、行かせてください! あ、だったら、ただの観測器じゃダメだ。上層の不安定な重力を相殺して、ステラさんの『解析』を安定させるための、局所慣性固定機……いわゆる『法則の錨』の試作品があるんです! すぐに調整に入ります!」
メイは星奈の返事も待たず、猛烈な勢いで図面を引き出し、魔導ペンを走らせ始めた。
「……話が早くて助かるわ」
星奈はわずかに口角を上げた。
技術者にとって、未知の難問は何よりの報酬だということを、前世の理系学生だった彼女はよく知っていた。
(技術の要は確保。次は……『盾』ね)
星奈は工房を後にし、次なる目的地――騎士団の訓練場へと足を向けた。
次に向かったのは、中層に位置する騎士団専用の第ニ訓練場だった。
鋭い剣鳴と、訓練に励む騎士たちの怒号が響く中、星奈は一際鮮やかな銀光を放つ人物を見つけた。
「アネラス。少し話をいいかしら」
木剣を振るい、三人の訓練生を同時に捌いていたアネラスが、星奈に気づいて軽やかに跳んだ。
「あらステラ! 珍しいじゃない、自分から私に会いに来るなんて。……って、その顔。さては何か面倒なことを企んでるわね?」
アネラスは首にかけたタオルで汗を拭いながら、不敵に微笑む。
星奈はいつものドライな口調で本題を切り出した。
「単刀直入に言うわ。私と一緒に、上層の調査任務に同行してほしいの。私の護衛として」
「……上層? あの、団長たちが頭を抱えてるっていう法則バグの件?噂でちらっと聞いたけど」
アネラスの顔から冗談めかした色が消える。彼女は自分の剣を見つめ、少しだけ目を細めた。
「副団長や各部署のリーダーですら手が出せない案件なんでしょ? 私みたいな上級騎士が行ったところで、空振りするのが関の山じゃない?」
「いいえ。計算上、あなたという『変数』がなければ私の任務は成立しないわ」
星奈は真っ直ぐにアネラスを見つめた。
「上層のバグは、物理的な攻撃が通用しないだけではない。足場の消失や時間の遅延が予測されるわ。そんな極限状態でも、私の解析が終わるまで一秒も狂わず私を守りきれる、その機動力と直感。……私、あなたの実力を心から信頼しているの」
星奈の言葉に、アネラスは一瞬、呆気に取られたように目を見開いた。
そして、気恥ずかしさを隠すように鼻先を掻く。
「……はぁ。あんた、無自覚にそういう殺し文句を言うんだから。わかったわよ、救世主様。あんたの背中は、このアネラス様がガッチリ守ってあげるわ」
アネラスは力強く頷いたが、すぐに表情を引き締めて続けた。
「でも、ステラ。あんたの分析は正しいけど、正直言って私とあんただけじゃ、上層の『未知』を相手にするには戦力が足りなすぎるわ。もし法則の歪みに紛れて、強力な『獣』が実体化してたらどうするつもり? 私一人の剣じゃ、あんたを守るのと敵を叩くのを同時にはこなせないわよ。……実力者が、あと最低でも二人は欲しいわね」
アネラスの客観的な指摘は、星奈の計算とも一致していた。
星奈は頷き、懐から団長の認印が入った書状――異例の特命指令書を取り出した。
「ええ。その懸念も計算に入っているわ。……だから、これを使うことにしたの」
星奈はアネラスが見守る中、羽根ペンを取り出し、その書状に迷いのない筆致で「確定メンバー」と「募集要項」を書き加えていった。
ギルド本部、一階の掲示板広場。
ここは通常、依頼を探す新米や中堅騎士たちの喧騒で溢れている。
しかし今、そこには異様な静寂が広がっていた。
掲示板の最も高い位置、普段はめったに使われない「金縁の枠」に、一枚の指令書が張り出されていたからだ。
*
【緊急特命:救世主ステラ直属・デバッグチーム同行者募集】
調査対象: 上層「聖歌隊居住区」周辺の法則異常。
編成済メンバー:
・ステラ・エーデルワイス(救世主:解析担当)
・アネラス・ヘイワーズ(上級騎士:近接護衛担当)
・メイ・ベルシュタイン(修復局整備士:魔導技術支援担当)
内容: 上層「聖歌隊居住区」周辺の法則異常調査、および空間防衛。
備考: 本任務は団長ジークフリート直々の特命であり、参加者には最高ランクの功績認定を付与する。
危険性: 極めて高い。物理定数の崩壊、実体不明の敵との遭遇予測あり。生還の保証なし。
募集要項:
1. 戦闘要員:1名。あらゆる不測の事態に動じぬ火力を持つ者。
2. 治癒・支援要員:1名。概念的損傷に対応可能な高位ヒーラー。
選別者: ステラ・エーデルワイス
*
「……ステラ・エーデルワイス。あんた、そんな高潔な名字があったのね」
アネラスが意外そうに呟く。ステラは硬質な決意を秘めた瞳で答えた。
「覚悟の重さを数字以外で示すには、これが必要だと判断したわ」
広場にどよめきが広がる。救世主、上級騎士、そして修復局の整備士。
その名が並ぶ指令書となによりも内容の重圧に、誰もが息を呑む。
「ステラ様……僕はここでお留守番ですか」掲示板の影で、ノアが少し寂しげに言った。
「ノア。ごめんね、危険な仕事になるかもしれないから、けどあなたはただの少年じゃないでしょ?ここで私たちのサポートと、帰りを待っていて欲しいの」
相変わらずもノアの表情はいまいち掴みどころがない。
それでも彼が自分を心配してくれていることは伝わる。
「……さて。来るかしら。私の計算を完成させる、最後のピースが」




