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LOG_0017:円卓

「ステラ様、今日はなんだか……その、空気が柔らかいですね」


 白亜の街並みに朝陽が差し込む中、隣を歩くノアが控えめに微笑んだ。  

 星奈はいつものように、オーダーメイドした白銀の軽鎧を身に纏っている。機能性を極限まで高めたその装束は、彼女の鋭い合理性の象徴でもあったが、今日の彼女はどこか違っていた。


「そうかしら。休日のエネルギー補給により、ニューロンの伝達効率が最適化されただけよ」


 素っ気なく返してはいるが、星奈の足取りは軽い。昨日の「非効率な一日」が、彼女の内に澱んでいた現代日本での孤独な記憶を、エリュマントスの温かな色彩で上書きしていた。数式だけで処理していた世界に、人々の顔と声が、温度を持って加わっている。


 ギルド「聖典の守護者レキシコン・ガーディアン」の巨大な門を潜ると、朝の活気に満ちた喧騒が彼女を迎えた。


「あ、ステラ様! おはようございます!」 「おはよう、リーダー!」


 掲示板の前に集まる新人騎士や、資材を運ぶ整備士たちが次々と声をかけてくる。星奈はそれら一つ一つに対し、以前のような「観測」ではなく、確かな「挨拶」として小さく頷きを返した。その僅かな変化は、言葉以上に周囲に驚きと好意を広げていく。不思議と「救世主様」ではなく、彼女を名前で呼んでくれている。そのささいな変化さえ、嬉しくある。


「ステラ様、受付の方が呼んでいますよ」


 ノアに促され、星奈は円形の受付カウンターへと向かった。いつも朗らかな受付嬢が、今日は少しばかり緊張した面持ちで、一枚の書状を差し出してきた。


「ステラ小隊長。……団長がお呼びです。最上階の執務室へ」


(団長……?)


 星奈の脳裏に、昨日アネラスから聞いた組織図が浮かび上がる。  

 カシム副団長や各部署のトップを束ねる、ギルド全体のリーダー。まだ見ぬ「最高権力者」からの指名。星奈は一瞬だけ、肺の中の酸素を入れ替えるように深く息を吐いた。


「わかったわ。案内を」


 最上階へと続く専用の魔導昇降機エレベーターの中は、完璧な静寂に包まれていた。  

 重厚な石造りの扉の前に立つと、ノアが「ここからは僕も立ち入れません。ステラ様、お一人で」と深く一礼し、下がっていく。


 星奈は、細工が施された巨大な双開きの扉を見上げた。


『神の眼』を介さずとも、その奥から漏れ出る強烈な「意志」の圧力が肌に伝わってくる。彼女は鎧の籠手を整え、ゆっくりと扉を押し開いた。


 そこは、エリュマントスを一望できる全面ガラス張りの円卓の間だった。  

 部屋の中央に置かれた黒檀の円卓。そこには、この都市の命運を握る四人の男女が座していた。


「ステラ殿。待っていたぞ」


 カシム副団長が、いつもの豪快な、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべて立ち上がった。その隣、円卓の主座に座る男性が、静かに星奈を見つめる。


 30代半ば。整えられた髪に、射抜くような知性と深い慈愛を同居させた碧眼。騎士としての強靭さと、王としての気品を纏ったその男が、椅子の音を立てずに立ち上がった。


【対象:ジークフリート・フォン・ヴァレンシュタイン。Lv.92。戦闘職:聖騎士守護王】 【警告:構造解析不能な上位スキルを複数保持しています】


(レベル……92……!?)


 カシムを遥かに凌ぐ、絶望的なまでの高み。しかし、男の態度は驚くほど物腰柔らかだった。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ステラ殿。私がこのギルドを預かる者です」


 男は驚くほど腰を低く、それでいて部屋の空気を一変させるような威風を湛えて、胸に手を当てた。


「ギルド『聖典の守護者』第十四代団長、ジークフリート・フォン・ヴァレンシュタインと申します。我が街を救いし『星を戴く者』を、こうしてお迎えできることを光栄に思う」


 星奈は息を呑みながらも、背筋を伸ばし、一礼を返した。ジークフリートは柔和な笑みを浮かべ、円卓を囲む他の二人に視線を向けた。


「さて、ステラ殿。君が今後、この都市という巨大な機構を共に動かしていく同志たちを紹介しよう」


 まず立ち上がったのは、50代後半と思しき、銀髪を短く刈り込んだ男性だった。その身体から放たれる質量感に、解析ログが追従する。


【対象:バルタザール・クロムウェル。Lv.78。職能職:魔導建築総理】


「『基盤の修復局システム・メンテナー』を統括する総理アドミニストレーターバルタザール・クロムウェルだ。ステラ殿、君が下層で直したあの大釜の件……我が局の若造どもが世話になったな。技術と論理を解する者が騎士団に来たこと、心から歓迎するよ」


 職人上がりであることを窺わせる、地響きのように重い声。そして最後に、優雅な動作で立ち上がったのは、紫煙を燻らすような妖艶な空気を纏った女性だった。


【対象:イザベラ・ルクレツィア・デ・メディチ。Lv.76。特殊職:秩序の審問局長】


 40歳前後。深い真紅のドレスの上から銀色の鎖をあしらった制服を羽織っている。


「『秩序の編纂局オーダー・レギュレーター』局長、イザベラ・ルクレツィア・デ・メディチ。……救世主様。貴女が広場で子供たちに見せた『未来予測』、あれは統計学かしら、それともただの勘? 私の部署には、貴女のような『視えすぎる』人材が必要なのよ。……仲良くしましょうね?」


 イザベラは艶やかな唇を吊り上げ、星奈を「解剖」するかのような鋭い視線で微笑んだ。Lv.92の団長を頂点に、Lv.78、Lv.76、そしてLv.75のカシム。  

 役職上は同格とされる三人が、それぞれの専門分野においてカシムに比肩する、あるいは僅かに上回る実力者であることは明白だった。


(……これが、エリュマントスを支える『中枢』の意志なのね)


 星奈は、昨日自分が書き出した組織図の頂点に君臨する、気高い「歯車」たちを見つめ、静かに闘志を燃やしながらも、改めて自らの自己紹介を終える。


「……改めて、ステラ殿。謝罪させてほしい」


 自己紹介を終えた団長ジークフリートが、伏せていた睫毛を上げ、真摯な眼差しで星奈を見つめた。 「君という稀代の『救世主』を、今日まで騎士団の末端……いわば現場の荒事に放り込んでいた。本来なら降臨した瞬間に、この席へ招くべきだったのかもしれない。だが、我々は組織を預かる身として、君の『眼』がこの世界に何をもたらす変数なのか、慎重に見極める時間が必要だったんだ。……無礼を許してほしい」


 その言葉には、組織の長としての冷徹な判断と、個人としての誠実な配慮が混じり合っていた。星奈は、彼らから放たれる圧倒的な存在感プレッシャーに指先がわずかに震えるのを感じながら、深く一礼した。


「いえ……滅相もございません。いきなりこのような席に招かれても、私はこの世界の構造を十分に理解できておりませんでした。現場で実際にこの世界の『事象』に触れた時間は、私にとっても不可欠な学習期間プロセスでした。……お気遣いいただき、ありがとうございます」


 緊張のあまり少し声が硬くなったが、現代日本で培った社会人としての礼節が自然と口をついた。その謙虚で理知的な受け答えに、円卓の面々は満足げに表情を和らげる。ジークフリートが円卓の中央に手をかざすと、空間を震わせて青白い光が収束し、エリュマントス全体の立体魔導ホログラムが展開された。


「では、本題に入りましょう。現在、この都市の最上部……『上層アッパーフロア』において、既存の物理法則では説明のつかない事象が発生しています」


 ホログラムの一部、美しい庭園が広がる区画が赤く点滅する。「特定の区画で重力が部分的に反転し、物体が浮遊する。あるいは、発せられた音が数秒遅れて結像する。被害はまだ小規模ですが、明らかに世界の『記述』が書き換わり始めているのです」


 カシムが腕を組み、星奈を安心させるように笑って口を開いた。 「そこらの騎士たちが剣を振るっても、空を切るだけだ。斬るべき『獣』もいなけりゃ、壊すべき核も見えねえ。……我ら武人の領分では、どうにもならん領域なんだよ」


「修復局も同様ですな」 バルタザールが、分厚い指でホログラムを指し示す。 「配管も魔力回路も、物質的な損耗は一切ない。だが、そこにある『法則』そのものが書き換わっておる。我々がいくら歯車を磨いても、土台となる数式が狂っていては手の打ちようがないのです」


「住民の不安は高まっているわ」 イザベラが艶やかな瞳を星奈へ向けた。 「原因不明の現象は、人々の心に『恐怖』という名のバグを植え付ける。ステラ様、貴女にしかできない仕事なの。この世界の歪みを『解析デバッグ』し、正常な解へと導いてほしい」


 彼らの言葉は、単なる「お手上げ」の告白ではなかった。星奈という特異な才能を、ギルド内での「唯一無二の存在」として正式に格上げしようとする、親心にも似た期待と敬意の表れだった。


「必要なものがあれば何でも言ってください。予算、機材、そして……人。誰を動員しても構いません。我々が全力でバックアップします」  ジークフリートが、星奈の目を真っ直ぐに見つめて言った。


 星奈は昨日学んだばかりの組織図を思い出す。自分はもはや、誰かの指揮下で動く駒ではない。全部署を横断し、事象を最適化する独立した「デバッガー」なのだ。  星奈は深く息を吸い、背筋を正した。


「謹んで、お引き受けいたします。私の『神の眼』の特性を最大限に活用できる、非常に論理的な任務だと認識しております。……必ず、その歪みの正体を突き止め、修正いたします」


 迷いのない宣誓に、円卓の四人が力強く頷き合った。


「素晴らしい回答だ。……これは、上層への無制限立ち入りと、全部署への優先協力要請を許可する証です」


 ジークフリートから授与されたのは、白金に黄金の細工が施された『黄金の認印エンブレム』だった。


 重厚な扉を出て、待機していたノアと合流した星奈は、手の中の熱を帯びたエンブレムをじっと見つめた。これから向かうのは、未知の法則が支配する最上層。  

「ステラ様……お疲れ様です。すごい緊張感でしたね……」 「ええ……心拍数が通常の1.5倍まで跳ね上がったわ。……でも、ノア。準備をお願いするわ。これから上層へ向かうためのね」


 星奈は前を見据え、静かに、しかし決然とした口調で続けた。 「……それと、この任務には『解析者』である私を支える、確かな実行力が必要よ。私一人では処理しきれない事象に備えて、仲間を集めましょう」


 如月星奈。レベル17。彼女は今、一人の騎士としてではなく、世界の均衡を司る「デバッガー」として、聖都の最深部へとその第一歩を踏み出した。

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