LOG_0016:この世界に来て良かったかも。
「ちょっと二人とも……これ、流石に買いすぎじゃないかしら」
星奈は、両手の指に食い込む買い物袋の重みに顔を顰めた。あの紺色のコートドレスだけでは終わらなかった。アネラスとメイは「トータルコーディネートが大事!」と息巻き、歩きやすさとデザインを両立させた編み上げの革ブーツ、さらには「救世主様が安物の下着なんて言語道断よ!」と、星奈の顔を真っ赤にさせるような繊細な刺繍のインナーウェアまで、文字通り山のように買い込ませたのだ。
「いいじゃない、経済を回すのも上級市民の務めよ。私たちもいっぱい買っちゃったし。ほらメイ、そろそろ補給の時間じゃない?」 「待ってました! ステラ様、こっちです! 私がずっと狙ってた、中層一の行列店!」
メイに導かれ、辿り着いたのは白を基調としたテラスが美しいカフェだった。そこには十数人の若い女性たちが列を作っており、甘い香りが通りにまで漂っている。
数十分の待ち時間を経て、運ばれてきたのは皿の上でプルプルと震える、雲のように膨らんだパンケーキだった。
「……何、この物体。自重で崩壊しないのが不思議なほどの空隙率ね。気泡の保持力が異常だわ」
星奈はフォークを手に取り、まずは構造を観察する。 「……なるほど。低気圧の中層という環境を利用して、生地内の炭酸ガスを効率よく膨張させているのね。そこに魔導卵の粘性を組み合わせて、この形状を維持している……。製法としては理にかなっているけれど、味の予測は——」
一口、口に含んだ瞬間。 星奈の「解析」は、音を立てて停止した。
「…………っ」
「あはは! ステラ様の顔、固まった!」 メイが嬉しそうにフォークを口に運ぶ。
「……想定外だわ。舌の上での融解速度が速すぎる。味覚神経が処理を終える前に、物質そのものが消失したような感覚よ。……完敗ね。この食感、私の知っている熱力学の範疇を超えているわ」
「でしょ? 難しい理屈はいいから、今はその『幸せの味』を楽しみなさいって」
アネラスが紅茶を啜りながら、楽しげに笑う。
「そういえばステラ。あんたの第一印象、最悪だったの覚えてる?」 「……データとして保存はしているわ。召喚された翌日、訓練場へ行った時ね」 「そうそう!なんかジロジロ色んな人を見ては分析すような測るような目で……正直、人間じゃなくて高性能な鉄仮面が降ってきたのかと思ったわ」
「アネラスさん、ひどいですよ! ……でも、確かにステラさん、最初は近寄りがたかったです。今は……なんていうか、すごく頼りがいのある、ちょっと天然なお姉さんって感じです!」 「天然……。統計的に見て、私がそう分類される根拠が不明だわ」
星奈は口の端にクリームをつけたまま反論した。現代にいた頃なら「無駄な時間」と断じたはずの女子トークが、今は不思議と心地よかった。
店を出ると、広場では大道芸人が魔法を駆使したアクロバットを披露していた。「さあさあ、次は火の玉がどこへ飛ぶか! 当てた子には精霊の加護があるよ!」
(……放出角45度。次は、右の噴水の前よ) 星奈がぼそっと呟くと、火の玉は宣言通りに噴水の前で弾けた。
「うわぁ! お姉さんすごい! 予言者なの!?」 「えっ、いや、これはただの初速と質量の予測で——」 「次、次は!? どっち!?」 あっという間に子供たちに囲まれ、星奈は逃げ場を失った。困惑しながらも、彼女は一つ一つ丁寧に予測を伝え続けた。
「ふふ、ステラ、大人気じゃない。バグだけじゃなくて子供の心まで掌握しちゃうなんてね」 少し離れた場所で、アネラスが面白そうに眺めている。懸命に子供の相手をする星奈の姿は、冷徹な観測者などではなく、どこにでもいる「面倒見の良いお姉さん」そのものだった。
大道芸の広場を離れ、三人は中層の公園にある、見晴らしの良いベンチに腰を下ろした。 食べ歩きで少し落ち着いたのか、星奈は膝の上に置いた買い物袋を見つめながら、ふと気になっていた疑問を口にした。
「……ねえ、二人とも。前から聞こうと思っていたのだけれど、このギルドの階層構造はどうなっているのかしら。私は『救世主』と呼ばれているけれど、役職としては『小隊長』。でも、指示を出す範囲も仕事の区分も時々曖昧で、組織図としての整合性に欠ける気がするの」
「座学で説明なかったの?」
「組織図の話は確かにあったような気がするけど、その時は思考がそれどころじゃなかったから」
「なるほどね。そしたら説明するね」と、噴水の縁に足をかけて話し始めた。
「私たちのギルド『聖典の守護者』は、基本は実力主義の掲示板制よ。誰がどの依頼を受けてもいい。でも、組織としては大きく三つの部署に分かれているわ」
メイが横から楽しそうに補足する。 「私は『基盤の修復局』です! 下層の巨大な歯車や魔力パイプを直す、エリュマントスの内臓の主治医ですね。職人さんだけじゃなく、実は研究者さんはみんなこっちです!」
星奈は脳内に図式を描き始める。「なるほど。インフラ管理の『修復局』、戦闘特化の『騎士団』、そして……」
「『秩序の編纂局』よ」アネラスが指を三本立てる。 「街のトラブルや小規模なバグを調査する、いわば警察官や探偵みたいな連中。各部署のトップには団長がいて、その下に実戦部隊の総責任者である副団長のカシム様。修復局なら総理、編纂局なら局長がいるわ。彼らはカシム様と同格よ」
星奈は頷き、思考を深める。 「私は騎士団の六階層目、『小隊長』。アネラスはその一つ上の五階層目、『上級騎士』。……組織図上、私はあなたの指揮下にあるという認識でいいのかしら?」
「基本はそうね。でも、あんたは『救世主』っていう特殊枠だから、部署を跨いで仕事を振られることもあるわ。例えば、メイのいる修復局の上級整備士から技術協力を要請されたりね」
思い当たる節はある。あのマッドサイエンティストの仕事もその仕組みの一環だったのだろう。
「……複雑ね。まるで、多次元配列の管理コードを見ている気分だわ」
「新人や見習いは掲示板から仕事を選んでこなしていく。そこで経験や知識をつけていって…本人の適性もあるけど希望や推薦などで、それぞれの部署に配属される形になるの」
星奈は、手元のメモ用紙にさらさらと組織の階層を書き出していく。
騎士団(戦闘): 副団長カシム > 執行官 > 守護聖将 > 上級騎士 > 小隊長
修復局: 総理 > 主任技師 > 監理官 > 階層管理者 > 上級整備士 > 技師長 > 整備士
編纂局(秩序): 局長 > 総監 > 審問官 > 管区長 > 上級検証官 > 班長
「私は現在、騎士団の末端指揮官でありながら、救世主という権限で他部署の事象にも干渉できる『特例プログラム』のような存在……というわけね」
「難しい言い方するわねぇ。でも、そういうこと! ま、あんたのその『眼』があれば、どの部署からも引っ張りだこになるのは目に見えてるわ」
アネラスはそう言って、星奈の肩をポンと叩いた。星奈は書き上げた組織図を見つめ、少しだけ視界が開けたような感覚を覚えた。自分がただ流されているのではなく、この巨大な都市を維持するための「一つの関数」「社会の歯車」として組み込まれている。その実感が、不思議と心地よかった。
(……この世界は、私が思っていたよりずっと、論理的な意志を持って運営されている。ならば、私のやるべきことも明確ね。この階層構造を守りながら、バグを排除する……)
「さて、講義は終わり! ステラ、せっかくの休日なんだから、そろそろ夕陽を楽しみましょうよ」
メイに促され、星奈はペンを置いた。目の前には、白亜の塔が黄金色に焼かれる絶景が広がっている。組織の構造、力の連鎖。それらを理解した上で眺める景色は、先ほどよりも少しだけ、星奈にとって「自分の居場所」としての色彩を帯びているように感じられた。
「……ありがとう、二人とも。私……この世界に来て、良かったと思ったかも」
星奈の唇が、自然と柔らかな弧を描いた。計算でも、確率でもない。心の内側から溢れ出した、混じり気のない微笑み。




