LOG_0014:おかしな科学者
エリュマントス・ギルド本部の地下深層。
そこは「救世主」や「騎士団」という華やかな響きからは程遠い、煤と油、そして鼻を突く魔導剤の匂いが支配する場所だった。
迷路のように入り組んだ通路の両側には、いくつもの工房や研究室が並び、常に何かが爆発する音や、歯車が噛み合う不協和音が響いている。
「ここはギルドの心臓部の一つ、『工廠区』です。都市のインフラ維持や、工房とはまた違って、騎士たちが使う装備の調整や魔力の研究。そして——レオンさんのような変わり者の研究者たちが、夜な夜な理を弄り回す場所でもあります」
案内役のノアが、手元の魔導ランタンで足元を照らしながら歩く。
星奈はその後に続き、物珍しそうに周囲を観察していた。
視界には無数の「解析データ」が流れていく。
【対象:魔導揚水ポンプ。稼働率:62%。エネルギー損失:過多】
【対象:試作型魔導甲冑。耐久値:エラー。構造的不備を確認】
(……なるほど。地上の白亜の街並みとは対極にある、泥臭い『裏方』の現場ね。でも、ここにあるすべての歪みが、エリュマントスというシステムを動かしている……。嫌いじゃないわ、こういう雑多な機能美)
やがて二人は、ひと際騒々しい金属音が響く扉の前で足を止めた。
「レオン・ウェイン研究室」と書かれたプレートは、何かの薬品で半分溶けかかっている。
ノアが扉を開けると、中から真っ黒な煙が勢いよく噴き出した。
「ゲホッ、ゲホッ……! 違う! 刺激が足りないんだ! もっとこう、精霊のケツを叩き上げるような鋭いショックをだな……!」
煙の中から現れたのは、昨日よりもさらに髪をボサボサにし、顔中を煤で汚したレオンだった。
彼は作業机の上に鎮座する奇妙な形の「魔導ランプ」に向かって怒鳴り散らしている。
「……こんにちは、レオン・ウェインさん。拉致を受けて、偵察に来たわ」
星奈の声に、レオンはバネ仕掛けのように顔を上げた。
「おお! 救世主様が自ら地獄へ落ちてきてくれるとは! しっかり見てくれ、この歴史的な大発明の失敗を!」
彼が指差したのは、ガラス容器の中に青白い光の粒が閉じ込められたランプだった。
光は弱々しく明滅し、今にも消えそうだ。
「これは中層の街灯の次世代モデルさ。今、エリュマントスの魔力濃度が不安定だろう? そこで、内部の『光精霊』を活性化させて、低消費電力で高輝度を維持する回路を組んでいるんだ。だが、どうにもこの精霊たちが怠惰でね! 適度な電撃を与えても、すぐにふて腐れて魔力を蓄えようとしないんだよ」
レオンは真面目な顔で、計器を弄りながら熱弁を振るう。
「いいかい、精霊ってのは気まぐれなんだ。優しくすれば甘えるし、厳しくすれば逃げる。この『刺激』の絶妙な塩梅が、魔導技師の腕の見せ所なんだが……」
星奈は黙ってそのランプに歩み寄り、『神の眼』のピントを合わせた。
【対象:魔導発光体。構造解析開始】
【主要因:導線の電気抵抗によるジュール熱の発生。魔石の共振不一致。エネルギー変換効率:12%】
「……レオン。あなたの言う『精霊の機嫌』っていう不確定要素を、一旦変数から外してもいいかしら?」
「なんだい? それじゃあこの魔法装置のアイデンティティが崩壊してしまうよ」
「いいから聞きなさい。あなたの回路図、この部分の魔力伝導体の抵抗値が異常に高いわ。魔力が光に変換される前に、大半が熱として逃げている。……要するに、ただの『エネルギーロス』よ」
星奈は無造作に机の上のペンを取り上げ、レオンが書き殴った複雑な術式の端に、一本の数式を書き足した。
「精霊のお尻を叩く必要なんてない。この導線の材質を比抵抗の低いものに変えて、魔石の振動数をこの数値に同期しなさい。そうすれば、無駄な熱が減って、光の出力は安定するはずよ。……物理的に考えれば、当然の結果だわ」
レオンは星奈が書いた数式とランプを交互に見比べた。提示された数値が、彼が長年勘と経験で探っていた「黄金比」を、あまりにも鮮やかに射抜いていることに気づき、戦慄した。
「……同期、だと? 抵抗値を下げることで、精霊の『機嫌』を制御するというのか……」
レオンは星奈が書いた数式を凝視し、戦慄したように呟いた。
「前に君は自分の学問を『物理学』と言ったね。なるほど、理を解き明かすとはこういうことか。だが……なんて残酷で合理的な考え方だ! ステラ君、君の故郷の『物理』は、まるで奴隷のように効率だけで扱う冷酷なシステムなのかい!?」
「勝手に解釈を飛躍させないで。効率化と言いなさい」
星奈は呆れながらも、レオンの瞳の奥に宿る「変態的なまでの探究心」が、昨日の議論よりもさらに熱を帯びているのを感じていた。
彼は決して世界の真理を知っているわけではない。
だが、この不自由な箱庭の中で、必死に「なぜ」を繰り返している。
その姿は、かつて研究室に籠もっていた自分自身の投影のようにも見えた。
(本当に昨日と同じ人間?なんかまるで昨日とは別人ね。《《こちら側》》に対して理解と見識があると思ってたんだけど)
「素晴らしい……! ステラ君、君という『外部変数』は、僕の魔導理論を根本から破壊し、再構築してくれる! さあ、次のテストだ! 精霊のストライキを理論で封じ込める、新しい魔法を組んでみようじゃないか!」
「だから、精霊の話じゃないって言ってるでしょう……」
(あぁ、この人はきっと
星奈の抗議も虚しく、レオンは狂喜乱舞しながら新しい部品を掻き集め始めた。
背後で、ノアが「ふふ、楽しそうですね」と、いつものように穏やかに笑っている。
煤煙と火花の舞う研究室。
星奈は、現代物理学というもう1本の「剣」を手に、このファンタジーに満ちたデタラメな世界に、少しずつ自分の居場所を刻み込み始めていた。
「……さて。精霊を効率よく『躾ける』理論は理解したよ。次は実地での検証だ。ステラ君、中層の共同炊事場まで付き合ってくれないか?」
レオンは黒く汚れた白衣を翻し、星奈を促した。ノアも苦笑いを浮かべながら、二人の後に続く。辿り着いたのは、中層住民たちの胃袋を支える巨大な炊事場だった。そこには数十人が一度に食事を作れるほどの巨大な魔導大釜が鎮座している。
「こいつが最近、機嫌が悪くてね。火力が安定しないせいで、スープが煮えないと料理番たちが泣いているんだ」
料理番の男が困り顔で近寄ってくる。
星奈はさっそく『神の眼』を起動し、大釜の底に刻まれた術式と、熱源となる魔石の配置をスキャンした。
(……やっぱり。この世界の設計思想は、エネルギーを『点』でしか捉えていないわ)
「レオン。この釜、熱源の魔石が中央に一箇所しかないわ。これでは釜の端まで熱が伝わる前に、中心部だけが過加熱して、熱の対流が死んでいる。煮え方にムラが出るのは、精霊の怠慢じゃなくて、単なる『流体力学的な配置ミス』よ」
「リュウタイ……? なんだい、その新しい呪文は」
「呪文じゃないわ。……いい、この釜の中に、魔力による『熱の道』を新しく作りなさい。中央から外側へ、そして外側から中央へ。熱が循環するように術式を書き換えるの」
星奈は煤けた床に、チョークで簡略化した対流の図解を描いた。それは現代のエンジニアなら誰もが知る「熱の循環」の基本だが、レオンにとっては未知の幾何学だった。
「……信じられない。精霊の力を拡散させるなんて、普通なら威力が落ちるだけだ。だが……なるほど! 力を分散させることで、空間全体の『機嫌』を一定に保つというのか! ステラ君、君は精霊の心理学者か何かかい!?」
「だから心理学でも精霊でもないって言ってるでしょう。……ノアくん、悪いけれど、そこのバルブを私の合図で回して」
「了解しました。……ステラ様、レオンさんがここまで人の意見に聞き入るなんて、珍しいことなんですよ」
ノアの協力のもと、星奈の緻密な計算に基づいた「最適化」が始まった。レオンは星奈の指示を「精霊を統率する軍師の号令」のように受け取り、興奮気味に魔導筆を走らせる。
「……今よ、点火して!」
星奈の合図とともに、大釜の底に青い火が灯った。次の瞬間、これまでの不安定な明滅が嘘のように、均一で力強い熱波が釜全体を包み込む。料理番が試しに水を注ぐと、あっという間に美しい対流が生まれ、均一に沸騰し始めた。
「すごい……! 今まであんなに手こずっていたのが嘘みたいだ!」
料理番の歓声に、レオンは自分の手柄のように胸を張った。
「見たかい! これがステラ君による『調教術』の成果だよ! 物理という名の鉄の規律が、この釜を支配したんだ!」
「……もう、訂正するのも疲れたわ」
星奈は溜息をつきながらも、沸き立つ水の泡を見つめていた。
数値と理論。自分が唯一信じてきた「物理」が、このデタラメな世界でも、形を変えて確かに誰かの役に立っている。それは、数値以上の何かを彼女の胸に刻んでいた。
「ステラ君、決めたよ! 君は僕の最高のバディだ! この世界の理を、君のその『冷徹な眼』で全部書き換えてやろうじゃないか!」
「……効率化に協力するだけよ。あと、拉致は二度としないで」
夕暮れの炊事場に、変人の笑い声と少女の呆れた声が響く。
「お疲れ様でしたステラ様」
「たまにいたのよね。理論を語る時と、実際に手を動かす時で全く違うタイプになる人。きっとあのタイプは真理に近付いてもどんどん別の方向に離れていく……マッドサイエンティストであり、《《机上の空論》》タイプね」
例えるなら《《机上狂科学者》》か、《《理論暴走型》》とでもいうのだろうか。
「昨日も仰いましたが。一度潜ると、戻ってこられなくなるタイプですから」
「本当にそうだったのね」
そう答える星奈はあながちレオンは自分とあながち遠くない人種の様な気がした。
彼がもし私と同じように神の眼で見た景色。
あるいはこの世界の「綻び」や「違和感」に気付いた時、果たして協力してくれるタイプなのだろうか??
如月星奈。彼女の「救世主」としての道は、戦いだけでなく、こうした泥臭い「世界の修理」を通じても、一歩ずつ進み始めていた。




