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最後のピエロ  作者: ハロル・ロイド
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エヌマルイチ



直径三メートル、厚さ三十センチの丸い鋼鉄の扉が音もなくユックリと開いた。

銀行の地下に埋設された大金庫のような扉だ。

ただ違うのは、その中には金塊とか札束は一切見当たらない。あるのは、ただ、とほうもない巨大な空間だ。


開かれた扉の中に、一人の若者が入った。

上半身は裸で身に着けているのは、膝上までの青い海水パンツのみだ。

全身の筋肉は鍛え上げられ、逞しく隆起している。


微動だにしない均整の取れたその体は、まるで彫像のようだ。

ただ、その鍛え上げられた上半身には無数の白い艶を帯びた線状の傷跡がある。

その傷は瘢痕化し、全身にびっしりと蜘蛛の巣のようにはびこっている。幾何学的な形状で細かく全身の皮膚を細分化しているようだ。

他の言葉で言い換えるなら、皮膚をモザイクのように切り分けていると、表現したほうがいいかもしれない。

いや、むしろこう言った方がいいだろう。

この若者の体は、他人の皮膚を一枚一枚剥ぎ取って、継ぎはぎだらけに自分の体に張り付けている、と。




直立不動で微動だにしない若者の前に、五人の男が長机にうずくまるように座っていた。

黒いネクタイと同色の背広の五人の出で立ちは、まるで葬儀屋の面接官のようだ。

銀縁の眼鏡を掛け髪をオールバックにした男が書類に目を通しながら若者に告げた。

「認識番号を言いたまえ」


真一文字に閉じた若者の唇が大きく開き、ハッキリとした口調で答えた。

あずまたけし認識番号Nエヌ01(ゼロイチ)です」


「名前を聞いたんじゃない。認識番号を聞いたんだ。もう一度最初から答えろ!」

そう怒鳴り声をあげたのは隣に座る口髭を生やした、黒服の男だった。


「はい!認識番号Nエヌ01(ゼロイチ)です」


五人の中で一番年老いた男は若者をジッと眺めた。

若者の無表情な顔にこの老人は興味を持った。

「彼がエヌマルイチか」老人はそう呟きながら目の前の書類と若者を見比べていた。

老人はユックリと言葉を発した。

「君にとって今日が最後の試験だ。無事にこの試験に合格すれば我々組織の一員になれる。ただし、不合格になればここから出ることはできない。

永遠にだ。

…承知しているだろう」


「はい!」

若者は表情を変えず答えた。

はい、という言葉が広い空間にニ、三回木霊した。


「君の試験結果は…、実に優秀な成績を収めている。ある一部を除いて全てが最高得点を出している、今までの結果を台無しにしないように今日も最高の結果を見せてくれ」


老人はT字状の杖で体を支えながら、ユックリ椅子から立ち、若者の右手に用意された机に向かった。

その机には、黒い重厚なライフルと脚立の付いた双眼鏡が置いてあった。


老人は手招きして若者を椅子に座らせた。

老人も隣の椅子に座った。


「ここは東京ドームニ十個以上入る広さがある。天井の高さは高層ビル二つ分だ。太平洋戦争のころ日本の軍部はここに地下都市をつくろうとした。空間だけは完成したが都市ができる前に敗戦し、巨大な穴倉だけが残った」


若者は相変わらず表情を変えず老人の目だけを見つめていた。


「今日の試験は、君がどれだけ我々に忠誠を尽くすかを見極めるためのものだ。これが不合格となると、我々が今まで君を育てた意味がなくなる。無駄に終わる。我々指導者、ミスターXが最も嫌う言葉『無駄骨』。君は無駄な人間の一人となるのだ。言っている意味は理解できるな」


「はい」


「無駄な者は処分される。それを理解したうえで今日の試験を説明しよう」


机の上にあるのは六十口径のボルトアクション単発式のライフルだ。ロシア製で射程距離は四キロ。近距離なら厚さ四センチの鉄板も貫く。

そのライフルスコープを覗いて前方にある目標物を捜せ。


若者はすぐにライフルを構えライフルスコープを覗き込み、目標物を捜した。

目標物を捉えるのに一秒もかからなかった。


老人も目の前の双眼鏡を目に当て目標物を確認した。

「Nマルイチ、何が見える?」


「椅子に縛られた男が見えます」


「そうだ、今日の課題はあの男をそのライフルで射貫くことだ。要するにあの男を殺すのだ、君に対する最初の上層部の指令だ。忠実に実行しろ」


「…」若者の返答はなかった。


「君の成績の評価にこんな但し書きがあった『弱い』と」

老人は、双眼鏡から目を離し若者を見つめた。


「格闘技ではいつも君は相手に手加減をしてしまうらしいな。そのため、実施訓練ではいつもAランクではなく一つ下のBランクの評価となってしまう。相手を傷つけるのが怖いのか?」


若者は何も答えずライフルスコープを覗いたままでいる。


「心根が優しいのは悪いことではないが、時と場合による。命令されれば自分の感情を押し殺して実行しなければならない。殺せと言われたら殺すのだ。それがたとえ自分の親だとしても」


老人はそう言った後、再び双眼鏡を覗き込んだ。



「エヌマルイチは、任務を貫徹できますかね?」

口髭の担当官は銀縁メガネの男に尋ねた。

「さあ、どうかな。任務を遂行できなければエヌマルイチは我々の手で処分するまでだ」

そう言いながらメガネの男は背広の下から黒光りの銃を出し、銃口の先に消音器を取り付け、机の上に静かに置いた。

その行動が合図かのように他の三人も同じように銃を取り出し目の前に置き始めた。


「但馬室長が右手を上げたら、一斉にエヌマルイチを殺す。それまで…ジックリと待つさ」


男たちは腕を組みながら、ライフルを持つ若者の背中を食い入るように睨んだ。


若者の人差し指はライフルの引き金に触れているが、その指はピクリとも動かない。

時間は十分を過ぎた。


老人の頭にある制限時間は、三十分だ。それ以上待つことはできない。

エヌマルイチが実行できなければ後ろに控えている部下四人が老人の合図とともに処刑することになる。

老人は焦った。


せっかく育て上げた優秀な人材が目の前で消える事になる。それこそ、無駄なことだ。

老人は双眼鏡の中に見える椅子に縛られた男の顔を眺めた。

顔を上げ何か大声で叫んでいるようだ。距離が離れているので声は聞き取れない。


「あの男の素性を教えてやろう」

老人は若者に語った。

「東 五郎。四十一才。十九年前に我々が捕らえ、地下の牢獄に生かしておいた。即殺してもいい奴なのだがこの時のために生き延びさせたのだ」


あずま…」若者の口から苗字が漏れた。


「そうだ、君と同じ苗字だ。これから話すのは気分が悪くなる我慢のならん話だが…エヌマルイチ、しっかりと頭に叩き込んでおくのだ」



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