拷問
なぜ、俺たちの計画が漏れたのか、今さら、考えても始まらない。
要するに負け続ける国に誰も寄り付かなかっただけの事だ。
勝ち戦が続いている間は、スパイ活動は順調だった。
しかし、怪しくなったのは、日本がアメリカに奇襲攻撃をかけた時からだ。俺達が苦労して集めたアメリカ関連の資料、
それを分析すればあの国と交戦するのはいかに愚かなことかが分かるはずだった。
再三日本に忠告したのに軍部は無視した。
無視するどころか、軍部の上層部は我々をつんぼ桟敷にして、秘密裏に真珠湾攻撃をやらかした。
その時からすべての歯車が狂い始めた。
あの作戦で、日本は卑怯でならず者というレッテルを自ら貼ったのだ。
スパイ活動を成功させるには、我々に情報を流してくれる仲間を作らねばならない。その国の不平不満分子を見つけ、
そして味方につけて思うように動かせれば仕事はほとんど成功したようなものだ。
ところが、あの奇襲攻撃でせっかく味方につけた敵国の不平不満分子の仲間が次々に離れていった。
それでも何とか金の力で情報をかき集めた。
しかし、大本営は勝利に浮かれ、我々諜報活動への軍資金を削減し始めた。
我々の諜報活動は困難を極めた。
しだいに、敗戦が濃くなり、我々に入る軍資金はますます細るばかりだった。
人の心を動かすには、潤沢な金が必要だ。
わずかな金ではムリだ。、しかもどう考えても負けると分かってる国に誰が手を貸すものか。
裏切りは必然的に起こったのだ。
俺はある男によって、睡眠薬を飲まされた。
その男を信用仕切っていた俺がうかつだった。
気が付けば、俺は金属台の上で、手足を縛られ寝かされていた。
もう一つ付け加えれば、素っ裸の状態で。
俺の周りには中国人が高みの見物だ。
今でも一人一人の顔を、正確に思い出すことができる。
奴らは血に飢えた狼、いや、そんな高尚な生き物じゃない。ただの腹を空かしたハイエナ共だ。
一人一人じゃ何もできない臆病な農民崩れの、哀れな兵士もどきの連中。
しかしそうい奴らほど、見境のない残虐な行為を平気でする。
奴らはこの俺を痛めつけるために集まってきた連中だ。
奴らのささくれた手にはそれぞれ、ほとんど手入れされていない錆びかかったナイフが握りしめられていた。
50前後の広東訛りの男が、聞こえよがしに大声で俺をののしりながら、ナイフをちらつかせた。
奴の唇は笑っていたが、眼は怯えていた。
オオカミの皮をかぶった、野ネズミだ。
その皮が重すぎて悲鳴を上げてる様子が俺にはよくわかる。
奴は臭い息と、唾を飛ばしながらわめき散らしていた。次第に恐る恐る俺に近づき、焦点の合わない怯えた目を俺に見せつけた。
奴の顔が目の前に近づいた時、俺は口に溜めていた生唾を思いっきり奴に浴びせた。
男はのけぞる様に飛び跳ね、床に転んだ。よく見れば、奴の顔は血の気を無くし震えあがっていたよ。
そいつの正体は野ネズミどころか、ゴキブリだった。
その時だ。突然。
掃溜めの連中を掻き分けるように、二十歳前後の若者が俺の前に現れた。
後で分かったのだが、その若者がここの部隊の司令官だった。
そいつの顔は無表情だったが目は怒りで赤く怒張していた。
俺の背筋はぞくぞくしたね。一瞬で冷や汗を背中に浴びるほどかいた。
こいつは本物だと、直感したんだ。
その若者は、俺の股にある一物を握りしめ、よく手入れされたナイフをあてがって、こう俺に囁いた。
「お前を死なせはしない。死という永遠の安楽などお前に与えるものか。お前には生きぬいて
苦痛と屈辱をユックリ味わってもらわねば」
奴はアッという間に俺の一物を切り取り、あろうことか、それを俺の口の中に押し込んだ。
自分のあそこを口に入れられた時は、さすがに絶望の二文字が脳裏をかすめたよ。
だが、まだ希望は捨てちゃいない。
奴は、俺を殺さないと約束したのだ。その代わり拷問と言うおまけ付きだが。
他の連中は、側に用意してあったバケツ一杯の塩を掴み、血まみれになった俺の股に、ご丁寧にタップリと塗りこめやがった。
消毒代わりのつもりだったんだろう。
まったく、因幡の白兎じゃあるまいし。
気が遠くなるぐらいの痛みが襲ったのは、奴らの笑い声が沸き上がった時だった。
確かにあれは、今まで味わった屈辱の中でも最高の代物だった。
ただ、あの痛みのおかげで屈辱を凌ぐことができた。
それから一週間、奴等は俺の体をいたぶった。
その一週間の間に、俺は麻酔なしで片耳を削がれ、片足の指を切り取られ、そして睾丸を一つ失くした。
幸い拷問を受けてる間中、俺の心はそこにはなかった。内地に残した妻の大きなお腹の子供に思いを馳せていた。もう生まれたかもしれない子供と、妻の幸せな生活を夢想しながらその拷問に耐えた。
そんなある日、アメリカ兵が俺を救いに来た。
いや、二重スパイという容疑で逮捕しに来たのだ。俺から大本営の情報を得るために。
俺の引き渡しに、中国側は相当渋っていたが、物資や武器を援助してもらっている立場上応じるしかなかった。
俺は奴らの拷問の手から解放された。
アメリカの俺に対する対応は紳士的だった。むろん、それは俺から情報を得られると分かってたからだ。得られなければ、二重スパイとして即刻、死刑だったはずだ。
俺はアメリカの条件を呑んだ。
日本の敗戦は色濃い。すでにロシアが日本に参戦する情報も俺の耳に入っていた。そして、アメリカは我々が、すでに情報を得ていた秘密兵器を、日本に使うらしいという噂も耳にしていた。もちろん、この秘密兵器の情報、つまり原子爆弾も、大本営は握りつぶしていた。
大本営が存在する限り日本に未来はないと、俺は確信した。
とにかく早くこの戦争を終わらせて、妻や子供が待つ日本に帰りたかった。
俺は、俺の知り得る限りの情報をアメリカに流したのだ。




