最後の別れ
その恐怖は博史から伝播したものじゃない。
明らかにジョーカーが発っするものだ。
それがもろに俺に伝わっている。
冷たい氷の破片が俺の全身に突き刺ささってくるようだ。
「自分のルーツが分かった時は、愕然とした。
自分自身がおぞましく思え、自分が汚れた悪魔の化身ではないかと思った。
僕のたった一つの救いだった聖書の言葉さえ嘘っぽく耳障りに聞こえた程だ。
この世の全てが、憎しみの対象物に変わった」
ジョーカーが言う出生の秘密がどのようなものか俺にはまだ分らない。
だが、ジョーカーが今味わっている張り裂けそうな苦痛を今俺は同じように味わっていた。
「僕の秘密を知りたければ君の弟、博史君に聞けばいい。彼は僕の心の中を読んだはずだ」
そう言ってジョーカーは椅子から立ち上がった。
「過去の話はここまでにしよう。お互いに気がめいるからね。
今度は、未来の話だ。
実は僕のルーツを調べ上げていくうちにある事が分かった。
この日本の醜い影の部分が見えてきたんだ。それはドロドロとしたヘドロのような汚物の固まりだ。
調べ上げていくうちにその汚物は光の部分にも浸食していた。
今、君が見ていたあの男達がヘドロの一部だ。
あの男達は、見かけ上は官僚という肩書を持っているが、それは表の顔で
実はある組織の一員だ。
組織の名前は地下警察。警察とは名ばかりで、やっている事はマフィア以上の悪行ざんまいだ。
奴等はいろんな業種に入り込み陰でこの日本をコントロールしている。
しかも、この組織は日本だけじゃない。世界中のあらゆる国に蜘蛛の巣のようにネットワークで結ばれている。
彼等は地下に潜って暗躍しているが、その秘密を知った者や、組織の邪魔になる者を徹底的に排除する。
つまり暗殺しているのだ。事故や自殺に見せかけて殺していく。
それが判明した時、僕のすべきことが見えてきた」
ジョーカーは再び俺の方に近づいてきた。
マジックミラーを挟んで俺とジョーカーの距離は一メートルもない。
白粉を塗ったようなその顔は蛍光灯の光を背に薄黒いシルエットに変わっていた。
しかし、ハッキリ分る。
この男が唇をピクリとも動かさずに俺の心に直接話しかけてくるのを。
「僕がやるべき事はこの地下警察と言う組織を壊滅させることだ。
一網打尽にし根絶やしにすること。
これこそ僕のライフワークだ。僕が生きている証だ。
そこで、君に頼みと言うのは、僕の後を継いでほしいという事だ。
もし僕に何かあった時、例えば死んだ時に僕の全てを受け継いでほしい。
そして、僕の目的を果たしてほしい」
俺一人でできるはずもない。
「仲間はいる。既に地下警察の中に相当数の数の我々の味方が入り込んでいる。彼らの本拠地等も分かっている。
彼等を壊滅するのは時間がかかるが、不可能な事ではない。
それに、我々の司令塔がもうすぐこの世に現れる」
司令塔?司令塔はお前じゃないのか。
「いや違う。僕は影になりその司令塔を支えていく。その司令塔こそ、この日本を変える男だ」
その司令塔に後を継がせればいいじゃないか。
俺はそう心の中で訴えた。
「その男は日本を変える司令塔さ。
大部分の国民は彼の意見に賛同するだろう。
彼は多くの同志を従え国の中央に出てくる。
彼の力が増せばますほど地下警察は多分彼を抹殺しようと企てるはずだ。
我々は影でそれを阻止しながらフォローしていく。
この司令塔には純粋にこの国を変える事のみ専念してもらう」
もし、俺が断れば?
「かまわんさ。君が決めることだ。
僕の代わりがいなくなれば、その司令塔は殺され、同士の多くは抹殺されて
我々の仲間は闇に葬られるだろう。
そして、奴らは好き勝手にこの国を私物化する。それだけの話だ」
俺は何も答えることができなかった。
「返事は、すぐとは言わない。まだ、僕は元気だからね。よく考えて答えを出せばいい。
それに僕と君が接触したことは、今後誰も一切口外しない。
だから、僕の誘いを断った後も、奴らの手が君に伸びることはない。
ただし、僕の後を継げば奴らは君を狙うだろう。命の保証はない」
俺の答えは決まっていた。
ジョーカーにそれをハッキリ告げた。
断る。
ジョーカーは、顔を傾げわずかに笑みを浮かべた。
「分かった。残念だが仕方がない。
玄関に帰りの車を用意してある。ベルマン君が送ってくれるだろう」
俺はドアの方に向かった。
ドアノブに手を掛けた時、ジョーカーが俺に言った。
「もし、気が変わったら、田坂通りのベルメゾンデビッドというバーに行けばいい。そこの店長の
野坂欣一と言う人物に会ってこう伝えるのだ。
復活が始まる、と。
その言葉で君は僕の後継者となる」
俺は何も答えずドアを出た。
ジョーカーは桜井が部屋を立ち去った後、かすかな声で呟いた。
「さようなら。桜井君」
暖房が効いた部屋なのに黒コートを脱がずに、二人の男がソファーに座っている。
ジッと何かを耐えるような様子で誰かを待っているようだ。
一人は髪を七三に分け丸い金縁のメガネを掛けている。
もう一人は髪をオールバックでポマードで撫で付け、ヒトラーのようなちょび髭を生やした男だった。
二人とも三十代前半と思われる。
痺れを切らしたのか、金縁メガネの男は右足を激しく貧乏ゆすりを始めた。
口ひげの男は微動だにせず、腕を組んでいる。
部屋のドアが開いた。
五十代後半の羽織袴を着た男が部屋に入ってきた。
続いて黒スーツの三人の男が部屋に入った。
袴の男は、ソファーに座っている二人の男の顔色を見た。
どう見ても、二人は上機嫌と言うような表情ではない。
「やあ、どうも待たせてしまって。今日は兄弟分の事務所開きの祝いですっかり長引いてしまって。
大変お待たせして申し訳ない」
金縁メガネの男の右の瞼が激しく痙攣した。
ユックリ立ち上がり袴の男の前に進み出た。
黒スーツの男達は袴の男をかばうように仁王立ちで立ちはだかった。
「樋口、こいつ等をどかせろ」
金縁メガネの男は表情を変えず、呟いた。
「分かりました。お前達、もういいから部屋を出てけ」
樋口と言われた袴の男は黒スーツの男達に命じた。が、
男達の中の一人、百キロ以上はある巨漢の男が目を三角にし金縁メガネの胸倉をつかんだ。
「やめろ」
樋口はそれを見て思わず小声で叱責した。
「お前、組長に向かって呼び捨てにするとは…」
巨漢の男が、最後の言葉を
言い終える前に、男の側頭部から血飛沫が空中に散った。
巨漢の男は崩れるようにその場に倒れた。
口ひげの男がいつのまにかサイレンサー銃を取り出し、弾を放ったのだ。
残った二人の男はのけ反って腰を抜かした。
袴の男は呆然と立ち尽くした。
「樋口、部下の躾がなっていないな。俺達が躾してやろうか。少し手厳しいがな」
ちょび髭の男が銃に取り付けた着脱式のサイレンサーを外しながら言った。
「き、今日はな、な、何のようですか?」
樋口は緊張のあまり吃音が起き、声が震えた。
「その前にこのゴミを片付けろ」
金縁メガネの男はそう吐き捨て、足元に倒れている死体を指さした。
二人の黒スーツの男は慌てて巨漢の男の死体を持ち上げようとしたが、床が血で塗れていて
足が滑り思うように死体を持ち上げることができなかった。
見かねたようにちょび髭の黒コートの男が言った。
「持ち上げず、口の中に手を突っ込み、頭ごと引き摺れ」
黒スーツの男達は仲間を二、三人呼び四苦八苦しながら死体を引き摺って片付けた。
「仕事の依頼だ。このリストに載っている人間を始末してくれ」
そう言いながら金縁メガネの男はA4の大学ノートをテーブルに投げた。
「全国にいるお前の部下達に知らせ実行しろ。できるだけ早くミッションを終えろ」
樋口はノートを開け驚いた。
そこには相当数の名前、住所、電話番号が載っていた。
「これだけの、人間を殺すんですか」
「一週間の間にやれ」
「一週間の間に?…そんな、いくらなんでも無理です。せめて一か月、いや半年の期間がないと」
「樋口、お前達広域暴力団の配下に指図すればどうってことはない仕事だ」
ちょび髭の男が言った。
「でも、数が半端じゃないですよ」
金縁メガネの男は樋口の羽織の襟を掴み引き寄せて、言った。
「広瀬組の事を忘れたのか。二年前まで暴力団どおしの対立で広瀬組とドンパチやってた頃、俺達が
お前に協力し広瀬組の組員全てをきれいに始末してやった事を忘れたのか?しかも、自殺や事故死で後腐れなく片付けてやった。警察の動きも俺達の力で封じ込めた。その恩を忘れたのか?」
「もちろん、その事は感謝しています。ただ、内の舎弟のほとんどは殺しの経験がありません。うまくいくかどうか不安なんです」
「なるほど、要するにできないって事か?」
金縁メガネの奥に光る瞳の瞳孔が一瞬縮んだ。
「殺しのプロのあなた方がやった方が確実だと思うんですが」
胸ぐらをつかんだ手が緩んだ。
樋口は目の前の男の表情を読み取ろうと必死だった。
「分かった」
金縁メガネの男は樋口が持っているノートを掴み取った。
「お前にはもう頼まん」
「すみません。力になれなくて」
「別にいいさ」
「おい!お客さんがお帰りだ」
そう言った後に樋口は、のしがみに包んだ分厚い祝儀袋を金縁メガネの手に握らせた。
「何だこれは?」
「いえ、御足労代ですよ」
男は袋の中身を調べた。一万円札の束が入っている。
ざっと見積もって百万と言うところか。
「なるほど、ところでお前、二人目の孫ができたらしいな。名付け親がお前で確か名前は、隼人。いい名前じゃないか。
長男の第二子。長男も喜んでいるだろう。念願の男の子だ。長男は現在アメリカで美容整形外科をやっているらしいな。確かアメリカ人の娘と結婚したんだよな。
嫁さんの名前はキャサリン。住まいはサンフランシスコ」
樋口の顔色が変わった。
「そうそう、お前が囲っている鹿野洋子。元舞台女優の卵で現在は鹿野レオンって言う名前で
バラエティ番組におバカキャラで出ているそうじゃないか。今が一番充実した日を送っていると週刊誌に載っていたよ。
それと、お前のお袋さん確か名前は樋口洋子だったかな。
来年は八十八歳。米寿じゃないか?」
金縁メガネの男の瞳孔が一瞬広がった。
「…いつ何が起きるか分らない。
今日中にでもお袋さんの米寿のお祝いをすることだな」
「あんた達、何を言ってるんだ」
「樋口、今がお前にとって一番幸せな時だという事だ。なぜなら、お前たちのようなやくざな商売は一寸先は闇だからな。明日は全部失ってるかもしれないぞ」
そう言って、握った祝儀袋を投げ捨てた。
樋口は、慌てて床に土下座して叫んだ。
「その仕事を私にやらせてください!必ず一週間でやり遂げます」
「いいや、樋口。期限は五日だ。五日でやれ。一日でも遅れたら、お前の身内は、残らずあの世行きだ」
ちょび髭の男はそう吐き捨てた。
「名前が分かっても一人一人の特徴がわかりません」
樋口は尋ねた。
「特徴は全て白い皮膚の人間だ」
「白い皮膚?」
「そうだ。アルビノだ」




