小和田の最後
「さあ、もう撤収しよう」
俺は仲間達に告げた。
「忘れ物はないか」
ベルマンは仲間に尋ねた。
「忘れ物と言ったら、スカンクの臭いションベンぐらいだ」
ザラシは,笑いながら言った。
「何言ってるんだ。俺だけじゃないだろう、俺なんかザラシの量に比べればスズメの涙さ」
「確かに、ザラシは長かったなあ。お前の膀胱は恐竜並みか」
カラスはそう言いながら、ザラシのパンパンに膨れ上がったライダースーツを眺めた。
「カラス、お前、恐竜の膀胱見たことあるのか?」
ザラシは不機嫌な声で怒鳴った。
「お前たちのションベン談義は帰った後で好きなだけやれ」
俺は早くこの場から去ろうと思った。
その時、突然俺の体が硬直した。
冷水を浴びたように体中が凍りつき身動きが取れない、そんな感じだ。
この感覚は俺にとって初めての経験だ。
「感じたかい?」
声が聞こえた。
弟が俺の心に話しかけたのだ。。
「すまない、僕が感じたのを、兄さんの体にまで伝播しちゃったようだね」
何だいこの感覚は?
「僕にもわからない。初めての体験だ。まるでこの空間が凍りついたようだ」
気温の低下か?
「いや、物理的な現象じゃない。僕だけに感じる冷気だ」
冷気?
「僕の心を凍らせるような強い冷気が近づいている」
その冷気の正体はなんだ?
「分からない。とにかくここから早く出た方がいい」
「ウルフ、どうした?」
ベルマンは俺が呆然としているのを見て心配したようだ。
「いや、何でもない。早くここから出よう」
俺はもう一度、今いる屋上の全景を見渡した。
闇に覆われているその場所は不気味に静まりかえっているだけだった。
夜空には星が煌めいている。
小和田にとって初めて見る光景だった。
コンナにきれいな夜空があったのか
小和田は逆さに吊るされたままの体勢で、その煌めく夜空を見つめた。
ロープに縛られた右足の感覚はすでに無くなっている。
肌を突き刺すような寒さは、次第に恐怖を上回り身に堪えはじめた。
小和田は今まで犯した自分の罪を思い浮かべた。
まずは、若い女性家庭教師を強引に犯した。
始まりここからだった。
親が始末してくれた。金銭的に解決したのだ。
次は、いじめだった。
いじめ抜いたそいつは学校の屋上から飛び降り自殺した。
そいつが書いた遺書には小和田の名前が載っていたが、
警察と学校は結託してその遺書の公表を抑えた。
要するに小和田の名前は出なかったのだ。
警察官僚である父親の威光のおかげだった。
小和田の親は次から次へと問題を起こす息子の行動にさじを投げた。
が、身内の不祥事は父親の肩書に傷をつけ、地位をも揺るがす。
仕方なく、裏に手を伸ばして表沙汰にならないように奔走した。
小和田は自分の犯した罪を一つ一つ思い起こした。
被害者たちの顔が次々に頭に浮かびそして消えていく。
全ての者たちがこのような恐怖を味わい、絶望に押し潰されていった。
自分のせいで…。
小和田は初めて自分の犯した罪の重さを味わった。
階段を上がる靴音がする。
ゆっくり慌てず、乱れもせず、闇の中に靴音は静かに鳴る。
靴音は屋上で止まった。
そして再び靴音は鳴り響いた。
迷うことなく足は目的の場所に向かった。
そして止まった。
小和田は人の気配を感じた。
手摺に誰かがいる。
俺達に気づいて、誰かが助けに来てくれたのだと思った。
口をテープで塞がれた小和田は必死に声にならない唸り声をあげた。
吊るされた他の仲間も同じようにうめき声を必死にあげていた。
「助かった」
小和田はそう思い思わず涙ぐんだ。
闇に慣れた目には屋上にいる人間が男だと分る。
顔形ははっきりしないが、力強いシルエットが目に映る。
「助かったら、まともな人生を歩もう」
小和田は心に誓った。
屋上の男は何かを取り出した。
星明かりに照らされ、それは僅かに煌めいた。
「何をするつもりだろう」
小和田は男のする仕草に見入った。
右端にいる仲間のロープにその光る物体を当て始めたようだ。
ロープは麻縄で二重に縒ってある代物だ。
男の手に持っているものは切れ味の鋭そうな刃渡り二十センチもあろうかと思われるナイフだった。
麻縄に当てそのナイフをユックリと前後に動かし始めた。
張りつめた麻縄は弾けるように繊維が少しづつ裂けていく。
二重に縒ってある縄のうちの一つが完全にナイフで切り離された。
吊るされた男の足首を支えているのは、たよりなく細く伸び切った一重の麻縄だけになった。
「何をしたんだ」
男が何をしたのかがまだ分からない。
小和田の眼に突然、光が入った。
ボッと男の手元が光りはじめたのだ。
「ライターに火を点けた?何をするつもりなんだ」
男はライターの火を麻縄に近づけた。
小和田は、その男が何をしようとしているのか今はっきりと分った。
麻縄を燃やそうとしているのだ。
麻縄に火が灯った。
男は、次の麻縄にも同じように行動を起こした。
灯った麻縄の光で男のしている様子がはっきりと分る。
ナイフで麻縄を半分切り落とし、残った麻縄を火で燃やそうとしているだ。
男が三人目の麻縄にナイフをあてがった時、ズドっという鈍い音が小和田の頭上、つまり地上で鳴った。
最初に火を付けられた仲間の一人が落下し、落ちたのだ。
「やめろ!なんでそんなことをする!」
小和田は口ごもりながら叫んだ。
「地上から二十メートル以上ある。足が吊るされた状態だから頭から真っ逆さまだ。
落ちれば頭が砕け、脳みそが潰れ出る。これを、よく見るんだな。
この炎はお前たちの最後の命の灯だ」
縄が燃える淡い明かりで男の顔が浮かんだ。
青白い顔には表情がない、まるで白い仮面をかぶっているようにも見える。
女性のようにも聞こえるハスキーがかった高い声は恐ろしいぐらい単調だ。
二人目が地面に叩きつけられる音がした。
「小和田君、今度は君の番だ。君に最高の時間をプレゼントしよう。自分が死ぬ瞬間をゆっくり味わえるのだ。十分楽しんでくれ」
小和田のすぐ隣の仲間が目の前から消えた。
「小和田君、君だけはユックリと時間をかけて死の瞬間を味わせてやる。ナイフは使わずロープを焼くだけにしておく」
男はライターでロープを炙った。
ロープに火が付き燃え始めた。
「お前は、一体誰なんだ」
小和田は、絶望の中で呟いた。
男は、一枚のカードを投げた。
小和田の目の前にそのカードが一瞬目に入った。
「ジョーカー…?」




