12:30 微睡みの谷と無敵の処方
冒険者ギルドで依頼の受領手続きを終えた俺たちは、街を出る前にギルド内の武具・道具コーナーへと向かった。
道中で魔物と遭遇する可能性は低いとはいえ、ここは異世界だ。何が起こるか分からない以上、最低限の備えを怠るわけにはいかない。
「いらっしゃい、新人の兄ちゃんたち。装備をお探しかな?」
カウンターの奥から顔を出したのは、両腕に頑固そうな傷跡が刻まれた、髭面のドワーフ風のおっちゃんだった。
俺たちはそこで、ミアと俺の分として取り回しのしやすい鉄製のショートソードを一本ずつ、そして服の上から装着できる軽量な革の胸当てと小手、ついでに草刈りや解体にも使えそうな頑丈な採集用ナイフを一本購入した。決して高級品ではないが、革はしっかりと鞣されており、縫い目も頑丈だ。
「へえ、見る目があるな、兄ちゃん。うちで扱ってる防具は、俺がしっかり手入れをしてるからな。表の露店通りで安く売ってる奴なんか、革が乾燥してひび割れてたり、金具が錆びてたりして、いざって時に何の役にも立たない粗悪品ばかりだからよ」
おっちゃんは満足そうに太い腕を組み、不敵にニカッと笑った。
(目利きができるほど武器に詳しいわけじゃないんだがな……。単に、街を歩いていた時に露店で見かけた武器や防具が、素人目に見ても刃が欠けていたり革が薄っぺらかったりと、お世辞にも頼りなさそうに見えたからギルドで買おうと決めていただけだ)
だが、おっちゃんの言う通りだ。自分の命を守るための装備を、ほんの少しの金銭を惜しんでケチるなんてのはバカのすることだ。何かあってから後悔しても遅いのだから。
「ありがとうございます。大切に使わせてもらいます」
「おう、気をつけて行ってきな!」
装備を身につけ、ズシリとした剣の重みを腰に感じながら、俺たちは冒険者として初めての目的地へと出発した。
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依頼を受注した際、受付の女性職員からはやんわりと制止されていた。
「極光草ですか……? うーん、その依頼は魔法の保存箱を持っていないと達成できませんよ? 持ち帰る途中で枯れてしまっては、せっかくの苦労が無駄になってしまいます」
彼女は呆れたような、けれど本気で俺たちの身を案じてくれるような困り顔をしていた。
だが、依頼の内容自体は戦闘を伴わない純粋な採取作業であり、命の危険が極めて少ないため難易度は最低の『G』に設定されている。条件さえ満たしていれば、新人であっても受注を拒否されることはない。向こうも仕事だし、何より俺たちのことを心配してアドバイスしてくれたのだから、俺は感謝の言葉を述べてから依頼書を受け取ったのだった。
街の東門を抜け、踏み固められた街道を歩くこと小一時間。
なだらかな丘陵地帯を越えた先に広がっていたのは、薄暗い岩壁に囲まれた深く静かな谷――『微睡みの谷』だった。
谷の入り口に足を踏み入れた瞬間、肌にまとわりつくような、幻想的で淡い紫色の霧が視界を覆う。
「トオル様……やっぱり、受付で聞いた通りですね」
立ち込める紫の霧を前に、ミアが警戒するように耳をピクッと揺らした。
「ああ。吸い込むと身体が重くなって数時間は眠くなるっていう『催眠花粉』か」
受付で事前に受けていた注意を思い出しながら、俺は一息吸い込んでみた。甘ったるい香りが鼻腔をくすぐり、不自然なほどの静寂が谷全体を支配している。
「よし、ミア。手を出して」
「はいっ」
俺はミアの華奢な手に優しく触れ、胸の奥で己の魔力を練り上げた。
(まずはミアの分だ。短時間の行動なら、無水カフェインで十分持ちこたえられる)
「――『薬効顕現』。処方、無水カフェイン。指定【主作用:中枢神経興奮作用】!」
透明な魔力の波動が、俺の手からミアの肌へと伝わっていく。
『無水カフェインの投与を確認。当該薬品の半減期:約5時間。向こう5時間、トオルは無水カフェインを使用できません』
「あっ……頭がスッキリしてきました! 眠気も全然感じません」
「よかった。ただ、俺の魔法は『同じ薬を半減期が過ぎるまで再使用できない』って制約があるんだ。だから俺自身には、別の薬を使わないといけない」
俺は自分自身の胸元に手を当て、データベースからより強力で長持続型の覚醒物質を呼び出した。
「――『薬効顕現』。処方、モダフィニル。指定【主作用:中枢神経の覚醒維持】!」
『モダフィニルの投与を確認。当該薬品の半減期:約15時間。向こう15時間、トオルはモダフィニルを使用できません』
直後、脳みその裏側を冷水で洗われたかのような、圧倒的な覚醒感が突き抜けた。半減期は圧巻の15時間。今夜は絶対に目が冴えて眠れそうにないな……と内心で苦笑しつつ、俺はミアに合図を送った。
「よし、これで俺もバッチリだ。サクッと採ってしまおう!」
「はいっ!」
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催眠花粉を完全に無効化した俺たちは、紫色の霧が漂う谷の奥へと足を進めた。
やがて、岩壁の陰になった湿り気のあるエリアに辿り着くと、そこには息を呑むほど美しい光景が広がっていた。
そこに生い茂っていたのは、夜空にかかる淡い虹のような幻想的な光を放つ不思議な植物――それこそが、探し求めていた『極光草』だった。
「すごい……なんて綺麗な光……」
「よし、さっそく試してみるか」
俺は群生している極光草の一株に近づき、そっと葉の表面に指先を触れさせた。
(さあ、仮説の検証だ。極光草が摘み取られた直後に急速に黒ずんで枯れる原因が、空気中の酸素と光による爆発的な『酸化反応』にあるとするなら……これを投与すれば抑えられるはずだ)
「――『薬効顕現』! 処方、アスコルビン酸。指定【主作用:強力な抗酸化作用】!」
『アスコルビン酸の投与を確認。当該薬品の半減期:約4時間。向こう4時間、トオルはアスコルビン酸を使用できません』
一株に魔法を放った瞬間、不思議な手応えがあった。
(ん……? 魔力がじわっと広範囲に広がっていく感覚があるぞ)
どうやら極光草は、竹やハーブのように、地面の下で地下茎(根茎)が一本に繋がっている同一個体(クローン群生)のようだ。摘み取るとすぐに枯れてしまうあの激しい変色も、傷ついた部位から全体を守るための防衛機能なのだろう。
一株にかけた抗酸化コーティングが、地下茎を通じて群生全体へと行き渡っていく。
「ミア、新しく買ったナイフで一株摘み取ってみてくれ」
「は、はい……!」
ミアは緊張で指先を震わせながら、採集用ナイフの鋭い刃で極光草の根元を切り取り、手の中に持ち上げた。
通常であれば、茎を切った瞬間からみるみるうちに黒く変色し、数秒でボロボロの枯れ草と化してしまうはずだった。
だが――。
「……っ! トオル様、見てください! 全然枯れません……! それどころか、綺麗に輝いたままです!」
ミアの手の中にある極光草は、黒ずむ気配など微塵も見せず、夜空にかかる淡い虹のような揺らめく光を放ち続けていた。
「よかった……! 根が繋がってたおかげで、一気に全体へ効いてくれたのは、ラッキーだったな」
「本当にすごいです……! 魔法の保存箱がなくても、摘みたての輝きのままですね……!」
ミアは両手で包み込んだ優しく揺らめく光を見つめ、目を細めて少女らしい無邪気な感嘆の声を上げた。
「……本当に綺麗だな。そういえばミア、この極光草って何に使われるか知ってるか?」
繊細な光を見つめながら俺が尋ねると、ミアは少し首を傾げて考え込んだ。
「ええと……荷仕分けの時に聞いた話では、高価な回復薬の原料になるほかにも、貴族様のお屋敷を飾る『夜の観賞用』としてすごく人気があるみたいです。枯れない極光草は、それだけで家が建つほどの価値があるとか……」
「へえ、観賞用か。確かに、部屋に飾っておくだけで幻想的なインテリアになりそうだもんな」
こちらの世界にもフリーズドライとかあったりして。魔法でなんとかなりそうだけど。
俺は極光草の花弁をまじまじと観察した。
(この世界にも、花言葉とかあるのかな……。もしあるとしたら、この極光草の花言葉は何だろう。『変わらぬ輝き』とか『奇跡』とかかな)
異世界に転生してからというもの、生き延びることに必死で余裕がなかったが、こうしてミアと一緒に美しい植物を眺めていると、自分がファンタジーの世界に生きているんだという実感がじわじわと湧いてくる。前の世界ではただ忙殺される毎日だったけれど、異世界の文化や生態系についてもっと知りたいという興味が、自然と胸の中に膨らんでいた。
「よし! 効果が切れないうちに、この調子でどんどん採っていこう!」
「はいっ、トオル様!」
それからの作業は、驚くほどスムーズだった。
採集用ナイフでミアが手際よく切り取り、背負ってきた麻袋へと収めていく。元々誰も採取できないまま放置されていた群生地だったため、見渡す限り極光草は生い茂っていた。
小一時間も経つ頃には、持ってきた大きな麻袋がパンパンに膨らみ、袋の隙間から漏れ出す幻想的な光で、周囲が明るく照らし出されるほどになった。
「ふぅ……! 大収穫だな! 鮮度100%の極光草が、こんなにたくさん採れたぞ」
「はい! こんなにたくさんの極光草、ギルドの受付の方も、きっとビックリしますね!」
額の汗を拭いながら嬉しそうに微笑むミアの顔には、かつて奴隷商館で見せた暗い影など欠片もなかった。
――本当は、びっくりどころの騒ぎではないのだが。彼らがこれから巻き起こしていく数々の『イレギュラー』の中に比べれば、これはまだ一番マイルドな部類に過ぎなかった。
麻袋いっぱいの宝物を抱え、二人は冒険者としての初めての依頼を完璧な成果で達成し、誇らしげな気持ちでギルドのある街へと引き返したのだった。




