↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薬と笑う異世界処方  作者: 薬師 慧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/14

11:20 依頼受注と少女の秘めた決意

 劇症二日酔いに襲われた酔っ払いのゴンズが、情けない悲鳴と呻き声を上げながら便所へと担ぎ込まれていったことで、ギルド内を包んでいた張り詰めた空気は一気に霧散した。


「おいおい、あの酒乱のゴンズが急に腹と頭を押さえて倒れたぞ!」


「昼間から安酒をガブ飲みしすぎたんだろ。ったく、だらしねえな!」


 周囲の荒くれ者たちは下品に腹を抱えて笑い合い、関心はすぐさま次の酒の肴や博打の話へと移っていった。先ほど水晶玉が解き放ったまばゆい『銀色の光』についても、ゴンズの派手な自爆劇のインパクトに掻き消され、うやむやのまま立ち消えてくれたようだ。


(……助かった。これで余計な目立ち方をせずに済むな)


 俺は小さく安堵の息を吐くと、驚きと尊敬の入り混じった眼差しで見上げてくるミアの手をそっと引き、何事もなかったかのような顔で初心者用の依頼掲示板の前へと移動した。


 壁一面に貼り出された、無数の羊皮紙の依頼書を一枚ずつ眺めていく。


 討伐、警護、運搬、採取……多種多様な依頼が並んでいるが、今の俺の持つ能力『薬効顕現ファーマ・マテリアライズ』には、対象の素肌に直接触れなければ発動しないという厳格な制約がある。素早く動き回る小型の魔獣や、一撃が致命傷になり得る大型モンスターとの戦闘は、武器の扱いもおぼつかない現在の俺たちにとってあまりにもリスクが高すぎる。まずは戦闘を極力避けられる「薬草採取」の依頼から始め、冒険者としての基本を掴むのが確実な選択だろう。


「トオル様、これ……すごく報酬が良くありませんか?」


 ミアが掲示板の端に貼られた、一枚の依頼書を指差した。


「どれどれ……『極光草オーロラソウの採取』。指定場所は『微睡まどろみの谷』。報酬は一株につき銀貨五枚、か。さっき露店で見た下級ポーションが銅貨5枚だったことを考えると、破格の金額だな」


 一番下のGランクの駆け出し向けとしては破格すぎる好条件だ。しかし、これほど美味しい採取依頼が誰にも取られずに売れ残っているのには、必ず何か裏があるはずだった。


「極光草の依頼でしたか……金額だけを見て選んでしまいました…たぶん、今の私たちじゃこの依頼を受けられないと思います」


 ミアは申し訳なさそうに銀耳をキュッと伏せ、不安そうに指先を弄んだ。


「奴隷商にいた頃、薬草の荷仕分けを手伝ったことがあって……極光草の話を聞いたことがあります。あの草はとても繊細で、根から摘み取った瞬間から、数秒で急速に黒く枯れ果ててしまうんだそうです。安定して素材を維持するには、外部と完全に遮断する高級な『魔法の保存箱』が必要で……。それを持っていない冒険者は、いくらたくさん採ってもただのゴミになってしまうんだとか」


(なるほどな……。摘み取った直後から空気中の何かと反応して急速に黒変して枯れる。つまり、酸素や光、あるいは魔素に触れることで起きる急激な『酸化反応』、あるいは植物自身の自己分解酵素が爆発的に活性化してしまう性質の可能性があるか)


 高価な魔道具を準備できるベテランや、資金力のある貴族しか達成できないからこその高額報酬。だが、現代日本の薬剤師としての知識を引っ張り出せば、対処できる可能性は十分にあった。


「ミア。その依頼を受けよう」


「えっ……でも、魔法の保存箱なんて、私たちは持っていませんよ……?」


「保存箱がなくても、試してみる価値はある。俺の『薬効顕現』がうまく作用すれば、摘みたての鮮度のまま持ち帰れるかもしれない」


「トオル様の魔法で……!? そんなことまでできてしまうんですか……!?」


 ミアが黄金色の瞳を丸くして驚きに満ちた声を上げる。


「ああ。薬ってのは、人に使うだけが能じゃないからね。防腐や抗酸化も立派な薬理作用の範囲内だ。……よし、受付にこの依頼書を持っていこう」


「はいっ!」


 俺が掲示板から依頼書を剥がすと、ミアは心底嬉しそうに頷き、俺の斜め後ろをピタリとついて歩き出した。


---


(ミア side)


 私は毎日、自分の呼吸が苦しくなっていくのを感じながら、ただ死が訪れるのを待っていました。

 皮膚が焼き切れるように激しく痒くて、全身に酷い斑点が広がって、誰からも気味悪がられて。奴隷商に商品を探しにくる人たちは、私を生き物ではなく「不良品」として、冷たい目で通り過ぎていくだけでした。


(誰でもよかった……。神様でも、悪魔でも、私をこの苦しみから連れ出してくれるなら、なんだってよかった……)


 そんな絶望の底にいた私を、あの人は見つけてくれました。

 トオル様は、私の醜く腫れ上がった肌を見ても顔一つ歪めず、優しく「痛かったな」と声をかけてくれました。温かい手で私に触れ、ずっと苦しかった息苦しさと激しい痒みを、嘘みたいに消し去ってくれたのです。


 それだけではありません。私をただの所有物として扱うのではなく、一人の対等な人間として信じてくれて、街に連れ出して真新しいきれいな服を買ってくれて、冒険者として隣に立つことを認めてくれました。


(もう、トオル様しかいない……)


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように熱くなります。

 命を救われたからだけではありません。トオル様が私に向ける瞳には、軽蔑も、気味の悪い欲望も、哀れみすらもありません。ただ真っ直ぐに、私を一人の仲間として大切にしてくれています。

 まだ出会ってから数日しか経っていないけれど、私の中でトオル様という存在は、世界のすべてと同じくらい大きくなっていました。


 この人のために生きたい。この人の力になりたい。トオル様を守るための鋭い爪に、丈夫な盾になりたい。


 市場を歩いたときも、ギルドで新しいカードをもらったときも、世界がこんなに色鮮やかで楽しいものだなんて知りませんでした。この幸せで、あたたかい時間を、絶対に失いたくありません。


『文字も戦い方も、これから二人で一緒に覚えていこう。俺だってこの世界の言葉や歴史は知らないことだらけなんだから、何も心配いらないよ』


 さっきトオル様が頭を撫でながら言ってくれた言葉が、心の中で何度もあたたかく響きます。


 ……でも、ときどき、胸の奥底で小さな引っかかりを感じることがありました。


 ふとした瞬間に、頭の深いところがズキリと痛むのです。

 私は、自分が何者なのか、どこから来たのか、幼い頃の記憶がほとんどなく、最近までの記憶も病のせいもあり曖昧。ただ辺境の村で畑仕事をしていたような気もするけれど、それ以外の記憶はまるで深い霧に包まれたように思い出せない。


 何か……私にとって、とても大切なこと。決して忘れてはいけない何かを、深い霧の向こうに置き去りにしてしまっているような、そんな胸騒ぎがするのです。さっきの水晶玉が放った、誰も見たことがないという『銀色の光』も、私のその失われた過去と関係しているのかもしれません。


 けれど――私の前を歩く、頼もしくてお人好しなトオル様の背中を見つめていると、そんな不安は不思議と消えていきました。

 トオル様のそばにいると、身体の奥から不思議な力がみなぎってくるのを感じます。言葉にはできないけれど、私はこの人と一緒にいるべきなんだと、魂が教えてくれているみたいに。


「さあ、受付で手続きを済ませたら、まずは街を出る準備を整えようか」


 振り返ったトオル様が、私に向かって柔らかく微笑みかけてくれました。


「はい、トオル様! どこへでも、一緒に行きます!」


 私は失われた過去の霧を振り払うように深く頷き、大切なその背中を追いかけて、元気に一歩を踏み出しました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。