冒険者登録
冒険者ギルドの、年季の入った分厚い木扉を押し開けると、むっとした熱気と喧噪、それに安いエールと脂っこい肉の焼ける匂いが全身を包み込んだ。
体育館ほどもある広いホールの中には、巨大な斧を背負った筋骨隆々の戦士、フードを目深に被った不気味なローブ姿の魔術師、全身を無骨な鉄甲冑で覆った騎士など、まるでファンタジー映画からそのまま抜け出してきたような多種多様な冒険者たちがひしめき合っている。あちこちのテーブルで木製のジョッキが打ち鳴らされ、豪快な笑い声や、時には依頼の報酬を巡る罵声までもが飛び交っていた。
「うわぁ……すごい人です……。なんだか、皆さんとても強そうで……」
ミアはあまりの荒々しさに気圧されたのか、不安そうに銀耳をペタンと伏せ、俺の背中に隠れるようにして真新しいワンピースの裾をぎゅっと掴んできた。これほど活気があり、殺気立った場所は生まれて初めてなのだろう。俺は後ろ手に彼女の小さな手を優しくポンポンと叩いて安心させると、比較的空いている受付カウンターへと向かった。
「すみません。新規の冒険者登録をお願いしたいんですが。俺と、この子の二人分です」
「はい、冒険者ギルドへようこそ歓迎いたします! 本日のご登録ですね……あら?」
愛想よくビジネススマイルを浮かべていた受付の女性職員が、俺の後ろで身を小さくしているミアの首元に目を留め、驚いたように丸い眼鏡の奥の目を大きく開いた。
手枷こそ外して綺麗で新しい衣服を着せてはいるものの、彼女の白い首筋にはまだ、奴隷であることを証明する『隷属の魔法紋』がくっきりと刻まれているのだ。
「そちらの方は……奴隷紋が見えますが、よろしいのですか? 法律上、奴隷はご主人様の所有物として扱われますので、冒険者として登録しなくても依頼への同行自体は可能です。登録にはお一人につき初期費用として金貨1枚がかかりますので、奴隷の方をわざわざ個人登録なさるお客様は滅多にいらっしゃらないのですが……」
「問題ありません。彼女は俺の所有物じゃなく、大切な相棒です。一人の冒険者として、しっかりと登録してください」
俺が迷うことなく金貨2枚(約2万円分)をカウンターに差し出すと、受付嬢は一瞬呆気にとられた後、
「……承知いたしました。とても素晴らしいご主人様ですね」と感心したように微笑んだ。
後ろにいたミアが、息を呑んでハッと顔を上げた。その黄金色の瞳には、信じられないという驚きと、胸を打たれたような温かい感情が溢れている。
手渡された羊皮紙の登録用紙に、俺は自分の名前と職業欄に『薬師』と記入した。受付嬢はそれを見て特に深く突っ込んでこなかったところを見ると、この世界でも薬師という職業自体は珍しくないのだろう。
ミアの分も記入しようとしたが、ふと手が止まった。今後どんな武器や戦闘スタイルが彼女に合うか探っていくため、ひとまず暫定的に『剣士』と記入しておくことにした。
「確認いたしました。トオル様とミア様ですね。お二人は今日から、一番下のGランクからのスタートとなります。詳しい規約や昇格条件は、こちらの小冊子をご確認ください」
そう言って手渡された二枚の銅製カードには、俺たちの名前と『G』の文字がくっきりと刻まれていた。
「あの……トオル様。わたしのような者が、本当に冒険者になれるのでしょうか……。文字もまともに読めないし、武器だって持ったこともないのに……」
真新しい冷たい銅のカードを両手で大事そうに胸元で握りしめながら、ミアが不安げに見上げてくる。
「なれるさ。文字も戦い方も、これから二人で一緒に覚えていこう。俺だってこの世界の言葉や歴史は知らないことだらけなんだから、何も心配いらないよ」
俺が頭を撫でてやると、ミアはホッとしたように安堵の笑みを浮かべ、獣耳をパタパタと揺らしながら「はいっ!」と元気に頷いた。
「せっかくギルドに来たんだ、少し中を見て回ろうか。どんな施設があるか知っておきたいしね」
「はい、トオル様!」
登録を終えた俺たちは、ギルド内の見学を兼ねて広いホールを歩き始めた。
まず目に留まったのは、ギルドの一角に併設されている初心者向けの『武具・消耗品コーナー』だった。壁には大小さまざまな剣や槍が掛けられ、台の上には革の胸当てや小さな木盾、ポーションらしき小瓶が並べられている。
「へえ……初心者用の装備や道具は、ここで一通り揃うみたいだな」
「わぁ……剣って、近くで見るとすごく重そうですね。私に振れるでしょうか……」
ミアが陳列されたショートソードを興味深そうに見つめている。値段を見ると、街の専門店で買うよりは少し割高かもしれないが、質は悪くなさそうだ。ここで手頃な装備を一式揃えてみるのも良さそうだ。
ふと見ると、棚の隅に赤褐色の液体が入った『下級鎮痛ポーション』が売られていた。値段は銅貨5枚(約500円)。
薬剤師としての習性が黙っておらず、俺は思わずその小瓶を手にとり、光にかざして凝視した。
(んー……瓶の底に粗い沈殿物があるな。ヤナギの樹皮などに含まれる天然の鎮痛成分『サリシン』の抽出液に似てるみたいだが……火加減と抽出の手順が雑すぎるな。蓋もせずに強火で煮詰めたせいで、サリシンの鎮痛作用を助ける抗炎症性の精油やフラボノイドが揮発・劣化してしまっている上に、有効成分の溶出バランスも崩れている。これじゃあ打撲や怪我の痛みを抑えるには力不足で、本来の半分も効き目が出ていないぞ。俺が適切な温度管理と溶媒で丁寧に抽出し直すか、『薬効顕現』で再現したほうが効果が高いな)
「トオル様、そのお薬……何か変ですか?」
「いや、少し調合法が勿体ないなと思ってね。やっぱり市販のポーションに頼るより、俺の魔法や知識を使った方が確実そうだな……でも異世界の薬も試してみたい……いやでも…」
「ふふっ、お薬のこととなると、トオル様は楽しそうで私まで嬉しいです!」
ミアが嬉しそうに目を細めたが、集中し過ぎて聞いていないトオルであった。
さらにホールを進むと、ギルドの裏庭に通じる勝手口のような大きな扉に出た。そこからは、鼻をつく強い血の匂いと、獣の生臭い匂いが漂ってくる。
「トオル様、あちらで何かしていますよ……!」
ミアの視線の先、広い石畳の解体所では、血まみれのエプロンを着た屈強な男たちが、巨大な魔物の死骸をテキパキと解体しているところだった。鋭い解体ナイフが滑るように入り、巨大な肉の塊や皮が次々と切り分けられていく様は壮観だ。
「すごいな……魔物の解体か。でも、あの魔物……」
俺は首を傾げた。解体されているその魔物は、ずんぐりとした巨躯に白と黒のまだら模様。そして頭部には立派な一本の角が生えている。
(……どう見ても『牛』じゃないか? ファンタジー世界の魔物っていうから、もっとドラゴンとか凶悪な狼みたいなのを想像してたんだけど……)
気になった俺は、近くで腕組みをしながら解体の様子を眺めていた、暇そうな中年の冒険者に声をかけてみた。
「すみません、あそこで解体されてる魔物ってなんていう名前なんですか?」
「ん? ああ、兄ちゃんたち新人か? あれは『ホーンボア』だ。この辺りの平原や森で一番よく獲れる魔物でな。肉は少し硬いが煮込み料理にすると美味えし、素材もそこそこの値段で売れるから、駆け出しの連中にはうってつけの獲物だよ」
親切に教えてくれたおっちゃんに礼を言いながら、俺は内心で盛大にツッコミを入れていた。
(ボア(猪)って名前なのに、見た目は完全に牛じゃないか……! 角が生えてるからって,、異世界のネーミングセンスはどうなっているんだ。生物学的な分類が気になって仕方がない)
そんな俺の困惑をよそに、ミアはさらに奥の施設へと視線の向けていた。
「トオル様、あちらはなんでしょうか? 皆さんが武器を振っています!」
解体所の隣には、高い石壁に囲まれた広い土のグラウンドのような場所があった。そこは『戦闘訓練場』になっており、何組かの冒険者たちが木剣で打ち合ったり、的当ての魔法の練習をしたりと、熱心に訓練に励んでいる。
「なるほど、ギルドには自由につかえる戦闘訓練場もあるのか。……これはいいな」
俺の『薬効顕現』の魔法は、相手の素肌に直接触れなければ発動しないという厳しい制約がある。実戦で魔物に触れるためには、俺が安全に接近するまでの隙をミアに作ってもらうか、あるいは彼女に敵の攻撃を受け止めてもらいながら立ち回る必要があるのだ。
「ミア、いきなり外に出て魔物と戦う前に、ここで少し練習していこう。俺とミアで、どうやって上手く連携して戦うか、本番前の動きの確認をするんだ」
「はい! 私、トオル様を守れるように一生懸命がんばります!」
やる気に満ちたミアの頼もしい返事に、俺も自然と笑みがこぼれた。
ギルドの中を一通り見て回り、今後の見通しが立ってきたところで、メインホールへと戻ってきた。さっそく初心者向けの依頼を探そうと思った、その時だった。
ギルドの奥にある巨大な依頼掲示板の周辺が、急にざわざわと騒がしくなり始めた。
「おい、見たかよ……! 北の『腐死の沼地』の貴族からの高額依頼、ついに『神域到達者』の出動要請が出たらしいぞ!」
「マジかよ……! ゼニスが動くなんて、ここ数年あったか?!」
「ああ、最上位の化け物が動くってことは、よっぽどヤバい事態なんだろうな……」
神域到達者。周囲の冒険者たちの興奮した会話に耳を傾けていると、どうやらそれが、この世界における『トップ20の達人たち』の総称であることが分かった。一人で一国の軍隊に匹敵するほどの力を持ち、規格外の魔法や剣術を操る、文字通りの化物揃いらしい。
(……トップ20の達人、か。俺たちのような最弱の初心者には、次元の違う雲の上の話だな)
俺たちには俺たちのペースと、俺たちだけの戦い方がある。俺は隣にいるミアの手をしっかりと引き、まずは初心者向けの簡単な採取や討伐の依頼が貼られている、もう一つの小さな掲示板へと歩き出した。




