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薬と笑う異世界処方  作者: 薬師 慧


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ギルドへ向かう 9時過ぎ

 宿の重厚な木造扉を開けると、朝の澄み切った空気と活気に満ちた街の喧噪が、一気に押し寄せてきた。

 冒険者ギルドへと続く中央大通りは、朝の競りや買い物に訪れた人々で埋め尽くされている。色鮮やかな異世界の果実をうずたかく積んだ露店、見たこともない香辛料のツンとした香りを漂わせる商人、威勢の良い客引きの声。行き交う荷馬車の車輪が石畳をゴトゴトと鳴らし、活気に満ちたファンタジー世界そのものの光景が目の前に広がっていた。


 先ほど服飾店で買ったばかりの、胸元に少しだけフリルのついた真新しい深緑のワンピース。それに身を包んだミアは、物珍しそうに街の景色を見渡しながらも、はぐれないように俺の一歩後ろをピタリと歩いていた。


「トオル様……あの、本当に私がこんな服を着ていて、大丈夫でしょうか……? すれ違う人たちが、みんな私の方を見ている気がして……」


 ミアが少し不安そうに自分の袖口をぎゅっと掴み、頭の上の銀耳をペタンと伏せながら聞いてくる。


(そりゃあ見るさ。病的な面影が消えて、これだけ透き通るような美少女が可愛い服を着て歩いてるんだから、誰もが振り返るに決まってる)


 心の中でそう呟きつつ、俺は彼女を不安にさせないよう、やんわりと微笑みかけた。


「変じゃないよ。昨日の今日で綺麗に病気が治って、そんな素敵な服を着ているんだからね。みんな、魅力的な女の子が通るから目が離せないだけだろ」


「……っ!? そんな、私なんて……っ」


 予想外の角度からの言葉に、ミアは顔を耳まで真っ赤にして俯いてしまったが、頭の銀耳は嬉しさを隠しきれずにパタパタと激しく揺れていた。


 そんな会話を交わしながら市場を進んでいると、乾燥させた植物や色鮮やかな鉱石らしき塊を並べている小さな薬露店が目に留まった。


(……ダイオウとシャクセキシか? 形状からして、片方は腸を強力に動かす大黄や芒硝の類で、もう片方は腸の動きを固めて抑える赤石脂のような生薬だな。……けど、これ一緒に袋へ詰めてないか?)


「兄さん、買ってかないかい? 腹痛や下痢に即効く特効薬だよ!」


 店主の親父さんが威勢よく声をかけてくるが、俺は苦笑交じりにそっと指を指した。


「店主さん、これ……排出を促す根茎だけじゃなくて、隣にある赤っぽい鉱物生薬も一緒に煎じて飲むように勧めてないか?」


「おう、そうだとも! 腸を動かして悪いものを出しつつ、下痢もバチッと止める秘伝のブレンドだ!」


「それ、やめた方がいいよ。片や腸の運動を強烈に促す下剤で、片や腸の動きを抑え込む止瀉薬だ。真逆の作用が真っ向からぶつかり合って薬効を完全に殺し合う『相克そうこく』の組み合わせだよ。お腹の中で下剤と下痢止めが喧嘩して、効かないどころか余計に激しい腹痛を引き起こすことになる」


「な、なにぃ……!? マジかよ! 通りで最近、買った客から『腹が余計に激痛になった』って苦情が来てたんだ……! お前さん、一体何者だ!?」


「ただの通りすがりの薬師だよ。下痢を止めたいなら赤石脂側を単体で使うか、不要なものを出したいなら大黄側だけを適切に売るべきだ」


「助かったよ、兄ちゃん! 知らずに客の体を壊すようなもんを売り続けるところだった……! これ、お礼だ! 受け取ってくれ!」


 店主は冷や汗を拭いながら、感謝のしるしとして上質な革製の『腰下げ調合ポーチ』を俺に押し付けてきた。


「トオル様って……本当に、、、すごく格好いいですっ……!」


 一連のやり取りを横で見ていたミアが、尊敬と憧れの入り混じった宝石のような瞳で俺を見つめてくる。


「あはは、ただの知識だよ。でも、このポーチはありがたく使わせてもらおうかな」


 予期せぬ道具を手に入れ、俺たちは再びギルドへの道を歩き始めた。


 だが、市場の賑やかさを抜けて少し路地裏に入りかけた時だった。


「お、おい見ろよ……あの獣人の子、めちゃくちゃ可愛くないか?」


「ぜ、絶品だな……。どうせどっかの金持ちの愛人か、買い叩かれた奴隷だろ。……けっ、胸糞悪い。俺たちみたいなのにも優しくしてくれねぇかなぁ。おい、こっそり後つけてって、路地裏の隙を見て……へへっ」


 日陰のたむろ場。薄汚れたレザーアーマーを纏った粗暴な男二人が、ミアの全身をねっとりと舐め回すように見つめながら、ゲスな妄想を耳打ちし合っているのが聞こえた。

 ミア本人は、通りすがりの花屋に目を奪われており、背後からの不浄な視線には気付いていない。


(……せっかくのミアの晴れやかな外出に、泥を塗られてたまるか。それに、俺の大切な相棒にそんな汚い目を向ける不快な輩には、少しばかり教育が必要だな)


 俺は歩みを緩め、ミアに「ちょっと待っててくれ」と優しく声をかけた。


 首を傾げるミアをその場に残し、俺はあえて男二人がたむろする路地の入り口へと足を進めた。すれ違いざま、不自然にならない絶妙な足取りで躓いた芝居を打ち、そのうちの一人の男の腕にドンッと肩をぶつけた。


「おっと、失礼」


「あぁん!? どこ目食らっとんじゃコラ、ぶっ殺されたいのか――ひっ!?」


 威勢よく胸ぐらを掴もうと男が手を伸ばしてきた瞬間、俺はあらかじめ男の露出した手首の皮膚にしっかりと自分の手を重ねていた。


 ――接触条件、完了。


「――『薬効顕現ファーマ・マテリアライズ』。処方、センノシド。指定【主作用:大腸刺激による瀉下しゃげ作用】!」

『センノシドの投与を確認。当該薬品の半減期:約15時間。向こう15時間、トオルはセンノシドを使用できません』


 脳内に響く無機質なシステム音声。

 センノシド――生薬のセンナに含まれる下剤成分だ。本来なら服用から効果が出るまでに8〜10時間ほどかかるが、俺の魔法は指定された薬理作用を『即座』に強制発現させる。


「な、なんだお前、急に気持ち悪い目で見つめ……ッ!?!? ぐおっ!?」


 男が文句を吐き捨てようとした直後、その言葉は腹の底から鳴り響いた「ギュルルルルルッ!!」という凄まじい大音量にかき消された。

 大腸のアウエルバッハ神経叢が強制的に激しく刺激され、爆発的な蠕動ぜんどう運動が男の腹中で巻き起こる。


「ヒッ……!? な、なんだこれ……腹が、腹がぁぁっ!!??」


 男の顔色が一瞬にして土気色を通り越して真っ青に変わった。目玉をひん剥き、両手でお尻をぎゅっと挟み込んで強烈な内股になる。


「ヤバい……出っ……漏れるっ!! あばばばばっ!! ご、ごめんなさぁぁい!!」


 男は額から滝のような冷や汗を流し、情けない悲鳴を上げながら、両手でお尻を押さえたまま必死の内股猛ダッシュで近くの便所へと消え去っていった。


「トオル様? どうかしましたか?」


 戻ってきた俺を見て不思議そうに小首を傾げた。


「いや、なんでもないよ。それより、あの猛ダッシュで走り去っていった彼が、無事にトイレで長き聖戦を終えられるよう、心の中で祈ってあげよう」


「?? よくわかりませんが……はいっ」


 キョトンとするミアに爽やかに微笑み返し、俺は心の中でガッツポーズを決めた。


 不快な害虫を退治し、俺たちは再び冒険者ギルドへの道を歩き出したが、楽しそうに周囲を見渡す彼女の横顔を見つめていると、俺の心にはふと、自分の能力の『制約』と『無力さ』に対する冷静な思考が浮かんできた。


(……俺が彼女を『前衛』の相棒として必要としたのには、明確な理由がある)


 俺の持つ『薬効顕現』は、あらゆる薬の効能を自在に再現できる規格外の能力だが、決して万能の無敵魔法ではないのだ。


 数日前。現代日本でしがない薬剤師として働いていた俺は、あろうことか毒を盛られて命を落とした。

 仕事終わりに友人に誘われて立ち寄った居酒屋。楽しく酒を交わし、誰も触っていないはずの自分のグラスから一口飲んだ直後に襲ってきた、急激な呼吸困難、気道の狭窄、そして全身を叩きつけるような激しい痙攣。


 神経系の致死性毒物――薬剤師としての知識があったからこそ、自分の体内で起きている不可逆的な破壊を瞬時に理解してしまい、「絶対に助からない」という絶望が俺の意識を深い闇へと引きずり込んだ。誰かに恨まれる覚えもない理不尽で無念な最期だった。


 だが、薄れゆく意識の果て、真っ白な虚無の空間で目覚めた時、『神』と名乗る超然とした存在は俺にこう告げたのだ。


『お前には、対象に触れて薬理を指定し、即座に効果を発動させる魔法「ファーマ・マテリアライズ」を与えよう』


『ただし、厳格なルールがある。一つ、対象の素肌に直接触れなければ発動しないこと。二つ、一度使った薬は、その薬の「血中半減期」と同じ時間が経過するまで再使用できないことだ』


半減期――体内に入った薬品の有効成分が、代謝によって半分に減衰するまでの時間。それがそのまま、この異世界魔法における『クールタイム』として適用されるのだ。


『お主の成長次第では、ルールが変わることもあるかもしれん。それと、もう一つ「相互作用シナジー」のスキルも授けよう。お前と他者との間で、相性によって互いに素晴らしい好影響を生み出す力だ。強いシナジーを感じる相手を見つけるといい』


この『半減期ルール』と『直接接触必須』という二大制約の恐ろしさを、俺は異世界へ落ちた初日に思い知らされていた。

見知らぬ森の中で目を覚ました直後、俺は運悪く巨大な熊の魔獣に遭遇した。立ち上がれば3メートルを超える巨躯。俺は死の恐怖で膝がガタガタと震える中、振り下ろされる丸太のような前脚を命からがら回避し、捨て身で熊の鼻面に直接手を叩きつけて魔法を叫んだ。


『処方、スキサメトニウム! 指定【主作用:脱分極性筋弛緩】!』

強力な筋弛緩薬。指定発動の力により巨熊は崩れ落ちたが――スキサメトニウムの消失半減期は、わずか『数分』。

安堵したのも束の間、早くも薬の血中濃度が下がり、効果が切れ始めた熊が息を吹き返して起き上がってきたのだ。

あの時、たまたま通りかかったA級冒険者のドノバンが豪快に介入し、大剣の一撃でトドメを刺してくれなければ、俺は確実に熊の餌となっていた。


半減期が短い薬はすぐに再使用できるが、効果があっという間に切れる。逆に半減期が長い薬は絶大な効果があるが、一度使うと丸一日使えなくなる。

病の苦しみから解放され、何の疑いもなく真っ直ぐな瞳で自分を信頼してくれるミア。彼女は、俺にとって何よりも得難い最高のパートナーだった。俺たちはまだ、一人ではとても生きていけないくらいに未熟で弱い。だからこそ、互いの欠けた部分を補い合い、支え合ってここから二人で歩んでいくんだ。


「トオル様、あちらでしょうか……?」


ミアの弾んだ声にハッと我に返る。

視線の先には、大通りの突き当たりに一際堂々と佇む、石造りの巨大な建物の姿があった。屋根の上には、剣と盾が交差した重厚な紋章が掲げられている。

「ああ、間違いない。あそこが冒険者ギルドだ」

俺たちは顔を見合わせ、深く一つ頷いた。

ギルドの正面に立つと、そこには人の背丈の倍近くある、年季の入った分厚い木組みの扉が重々しくそびえ立っていた。


「行こう、ミア。俺たちの新しい一歩だ」


「はい、トオル様!」


俺はそっと手を伸ばし、冒険者ギルドの重厚な木扉へと手をかけ、力強く押し開けた。


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