転生3日目 (07:00 - 宿屋にて)
白み始めた柔らかな朝日が、木組みの窓枠の隙間から部屋へと差し込み、床の木目をうっすらと浮かび上がらせていた。
木造建築独特の乾いた匂いと、爽やかな朝の風。時刻は朝の7時を回ったところだろうか。街道からはすでに、街の人々が一日を始める活気ある生活音が微かに響き始めている。
硬めの寝台から静かに身を起こし、隣のベッドへと視線を向ける。
薄い毛布を押し除け、銀色の獣耳をぴくりと揺らしながら、一人の少女がゆっくりと身を起こすところだった。
「おはよう、ミア。体調はどう?よく眠れたか?」
「あっ……お、おはようございます、トオル様……!」
俺の声に驚いたように身をすくめたものの、彼女はすぐに自分の両手を見つめ、それから首元や顔を何度も確かめるように撫でまわした。その黄金色の瞳が、みるみるうちに信じられないものを見る驚きに開かれていく。
「はい……! こんなにぐっすり、一度も途中で起きずに朝を迎えられたのは……本当に、いつ以来かわかりません……!」
俺は彼女のベッドの脇に腰を下ろし、「失礼するね」と断ってから、そっとその細い手首をとった。
脈拍は毎分約70回で極めて安定。皮膚の表面温度も正常範囲内だ。昨日までびっしりと肌を覆っていた不気味な赤い膨疹(蕁麻疹)は綺麗に消失している。自ら掻き壊した痛々しいかさぶたの痕こそ残っているものの、真新しい傷は一つも増えていない。本来の透き通るような美しい白肌を取り戻しつつあった。
「あの……今朝になっても、全然体が熱くなくて、痒くもないんです。触れただけであんなに苦しかった病を消し去ってしまうなんて……もしかしてトオル様は、国を越えて名を馳せるような、伝説の大魔法使いなのですか?!」
ミアが獣耳をピんと立たせ、尻尾をパタパタと揺らしながら、興奮した様子で身を乗り出してくる。
「いやいや、俺はただの薬師だよ。それに、病気を根底から完全に治したわけじゃない。昨日の夜にかけた魔法で、一時的に体内の『炎症の元』を抑え込んでいるだけなんだ」
「抑え込んでいる……だけ、ですか?」
不思議そうに小首を傾げるミアに苦笑しつつ、俺は彼女の目線を合わせるようにかがみ、なるべく分かりやすい言葉を選んで説明を続ける。
「俺の魔法は少し特殊でね。一度使うと、しばらくの間は同じ薬の効果が出せなくなる制約があるんだ。でも、薬の効果が切れそうになっても、俺がそばにいて直接触れられれば、何度でも魔法をかけ直せる。だから安心していいよ」
「トオル様が……そばにいてくだされば……」
言葉の意味を噛みしめるように呟き、ミアの表情が安堵に緩んだ。俺は少しだけ表情を引き締め、優しく彼女に問いかけた。
「良かったら、ミアのこれまでのことを聞かせてくれないか? どうして奴隷商のところにいたのか、その痒みがいつから始まったのか……知っておきたいんだ」
ミアは少しだけ伏し目になり、細い指先を膝の上で弄びながら、ぽつりぽつりと過去を話し始めた。
「私は……辺境の小さな村で、両親と一緒に畑仕事をして暮らしていました。でも、一昨年に流行り病で両親が相次いで亡くなってしまって……。村に残された借金の肩代わりに、知人を名乗る人に騙されるようにして、街の奴隷商館へ連れて来られたんです」
「そうだったのか……」
「はい……。元々は着古したこの服を着ていたのですが、奴隷商館に着いてすぐ、商品として売り出すために綺麗な服に着替えさせられそうになったんです。でも……その新しい綺麗な服に袖を通してしばらくしたら急に全身が焼けるように激しく痒くなって……呼吸も苦しくなって、痛くて暴れてしまったんです」
「……綺麗な服を着てから、か」
奴隷商のジニスが言っていたことと一致する。
「はい。ジニス様や周りの方々も驚いてしまって……。服を着替えることもできず、これ以上暴れさせないようにと、結局ずっと日陰にうずくまっていることしかできませんでした」
(なるほどな……。彼女を着替えさせようとした際、その仕立ての良い服に使われていた特定の繊維や化学染料、あるいは防虫の薬剤なんかが、彼女のアレルゲンだった可能性があるか。だから服を変えようとするだけで強いアレルギー症状を引き起こして暴れてしまったのか)
話を聞きながら俺はふと彼女の指先に目を留めた。
畑仕事をしていたと言う割には、彼女の爪の形は酷く整っており、指の関節にも長年の農作業でつくような硬いタコが見当たらない。立ち振る舞いの端々にも、どこか品格のようなものが滲み出ている。
まだ憶測の域を出ないし、今はまず治療が優先だ。深く追求することはせず、俺は心の中にその違和感を留めた。
「……わたしなんかで、本当に良かったのでしょうか。奴隷で、おまけに服を着ることすらできない病持ちで……戦う力も何もないのに……」
自嘲気味に呟くミアの黄金色の瞳を、俺は真っ直ぐに見つめ返した。
「君がいいんだよ、ミア。昨日の夜も少し話したけれど、俺には相手との相性を感じる『相互作用』っていう特別な能力があるんだ。奴隷商館で君と目が合った瞬間、俺たちは最高の相棒になれるって確信した」
「わたしと、トオル様が……最高の相棒……?」
「そうさ。もちろん、奴隷としてじゃない。対等な仲間としてね。俺はこれから、この広い世界を旅して、いろんな場所や見たこともない景色を見て回りたいと思っている。ポイントは一人じゃ心細いし、何より寂しい。……だから、俺と一緒に来てくれないか?」
俺が手を差し伸べると、ミアの銀色の獣耳がぴこりと跳ね、その瞳にポロポロと大きな涙が溢れ出した。今度の涙は、悲しみではなく、温かい光に満ちたものだった。
「はいっ……! 私でよければ、どこへでも……トオル様と一緒に行きたいです!」
差し出した俺の手を、彼女は温かい両手でキュッと固く握り返してくれた。
彼女の心からの笑顔を見た瞬間、トオルの頭がフッとクリアになり、次にするべきことへ思考がシフトした。
「よし! そうと決まれば、まずは身支度からだ。ミアに似合う新しい服を買いに行こう!」
「えっ、あ、新しい服ですか?! で、ですが……私、また着替えようとしたら、あの恐ろしい痒みが襲ってくるんじゃ……」
トラウマから不安そうに自分の肩を抱きかかえるミアに、俺は優しく微笑みかけた。
「大丈夫だよ。昨日の夜にかけた俺の魔法が、今も君の体の中でしっかりアレルギーをブロックしてくれている。絶対にもう酷い目には遭わせないから、俺を信じて」
「トオル様……。はいっ、信じます!」
俺たちはさっそく部屋を出て、女将さんに手頃な服飾店の場所を教えてもらうと、朝日が眩しい街の大通りへと繰り出した。
教えられた服飾店に入ると、店内には色鮮やかな布地やデザインの違う衣服が所狭しと並んでいる。
「さあ、好きなものを選んでごらん。まずは肌触りの良い素材のものから試してみよう」
「は、はい……」
かつて綺麗な服を着ようとして痒みに襲われた恐怖から、おそるおそるブラウスに腕を通すミア。試着室のカーテンの向こうで、息を呑む気配が聞こえた。
「あ……あれ……? チクチクしない……全然、痒くなりません……!」
試着室から出てきたミアの表情は、驚きと感動に満ちあふれていた。
上質な綿で織られた白いブラウスに、動きやすい深緑のスカート。昨晩までの痛々しい貫頭衣姿が嘘のように、彼女の持つ透明感と気品が見事に引き立てられていた。
「すごく似合ってるよ、ミア。本当に可愛い」
「ふえっ……!?t、か、可愛……っ」
素直な感想を口にすると、ミアは耳まで真っ赤にして俯いてしまったが、頭の獣耳は嬉しさを隠しきれずにパタパタと激しく揺れ動いていた。
「こんなに可愛い服を、普通に着られるなんて……夢みたいです……!」
涙ぐみながら鏡に映る自分を見つめるミアを見て、俺の胸の奥もじんと温かくなった。昨夜処方したルパタジンが、今も完璧に彼女を守ってくれている証拠だ。
テンションが上がった俺は、予備の着替えや少しフリルのついた可愛らしいワンピース、旅用の軽やかなローブなど、結局合わせて5着ほど買い込んでしまった。俺自身の旅装も数着買い揃え、一旦宿の部屋へと戻って大量の荷物をベッドの上に整理した。
「よし、身なりもバッチリ整ったし、荷物も置けたな。それじゃあ、いよいよ冒険者ギルドへ向かおう!」
「はい、トオル様!」
買い立ての真新しいワンピースの裾を少しだけ摘み、ミアが最高に晴れやかな笑顔で頷く。
俺は部屋の鍵を締め、宿の重厚な木製扉を押し開けて、また朝の大通りへと一歩を踏み出した。




