13時 暴走する叡智の実力査定と、覚醒する銀狼
腐死の沼地での凄絶な依頼を終え、冒険者ギルドへと帰還した俺たちは、エルティスの気まぐれによってギルド裏にある専用の特別訓練場へと連れ出されていた。
四方を頑強な石壁に囲まれた、上位冒険者のみが使用を許される屋根付きの闘技場。時刻はまだ昼過ぎくらいだが、バケツをひっくり返したような激しい雷雨に見舞われており、外は薄暗い。その湿気と静寂に包まれた空間で、金糸の髪を持つエルフの少年は、重力を無視してふわりと宙に浮かび上がった。
「ねえ、お兄さんたち。僕の『後ろ盾』が欲しければ、二人で協力して僕に一撃入れてみてよ! ほらほら、早くやろーよー!」
エルティスは地上から数メートルの空中で胡座をかき、無邪気に足をバタバタさせて急かしてくる。
ーーーーー
事の発端は帰路の道中だった。
「君のその不思議な故郷の知識、もっと詳しく知りたいな。僕がパトロンになってあげるから、その代わり、たまにで良いから知識の共有、しよ?」
エルティスからの唐突な提案。
「たまに、の頻度によるかな」
苦笑いで返すが、悪い提案ではない。
俺の持つ『現代薬学』の知識と魔法は、この異世界において劇薬だ。
俺は弱い。
下手に権力者に目をつけられれば、自分達の治療のためにこき使われる可能性もある。
だが、もしこの世界における最高戦力である神域到達者が後ろ盾になってくれれば、ギルドや貴族などの厄介な権力者からの干渉を完全にシャットアウトできる。
俺にとっては喉から手が出るほど欲しい提案だった。
しかし、当然タダというわけではない。これは、ゼニスである彼が俺たちの真の価値を見極めるための『実力テスト』なのだ。
***
「やるしかない、か……」
俺は小さく息を吐き、隣に立つ少女へと視線を向けた。
「ミア、相手はゼニスだ。まともにやり合えば一瞬で消し炭にされる。俺が全力でサポートするから、一撃離脱でなんとか隙を突くんだ。いけるか?」
「はいっ! わたしがトオル様のお役に立てることを、ここで証明してみせます!」
やる気満々に銀色の獣耳をピンと立てたミア。その小さな肩に、俺はそっと手を触れた。
これから使う魔法は、人体が緊急事態に陥った際に分泌される「闘争か逃走か(Fight-or-flight)」のホルモン。生命の危機的状況下においてのみ発揮される、いわゆる『火事場の馬鹿力』を強制的に引き出す極限のバフ魔法だ。
「――『薬効顕現』! 処方、アドレナリン。指定【主作用:心機能亢進および骨格筋血管拡張】!」
『アドレナリンの投与を確認。当該薬品の半減期:約5分。向こう5分、トオルはアドレナリンを使用できません』
俺の手のひらから、燃え盛るような赤い光の粒子がミアの身体へと流れ込む。
強力な強心作用と血流促進作用。骨格筋への血管が急激に拡張し、莫大な酸素と栄養素が全身の筋肉へと一瞬にして送り込まれる。
――その瞬間だった。
俺たちの間で、神から与えられた潜在スキルである『相互作用』が共鳴するように激しく覚醒した。
(っ……!? 頭が……視界が、恐ろしいほどクリアになる……!)
バフの対象はミアのはずなのに、シナジー効果によって術者である俺の脳内物質までもが極限まで澄み渡っていく。
動悸が激しく打ち鳴らされ、訓練場を舞う砂埃の一粒一粒すら視認できそうなほどの異常な集中力。相手の動きや、時間の流れすら緩やかに感じられる。
それと同時に、ミアの全身から溢れ出た銀色の魔力が、まるで意思を持つ疾風のように彼女の周囲で渦巻いた。
「体が……とっても軽いです……! いけます!」
「んん……? ふたりの動きが、というか纏う空気が急に良くなった? まだそんな面白い隠し球を持ってたんだ!」
宙に浮くエルティスが歓喜の声を上げるよりも早く、ミアが大地を強く蹴った。
――ズドンッ!!
爆発音のような轟音と共に、訓練場の分厚い石畳が粉々に弾け飛んだ。
ミアの姿が、完全に視界から消えた。
いや、あまりにも速すぎて、シナジーによって強化された俺の動体視力をもってしても、残像すら捉えきれなかったのだ。視界を置き去りにする、まさに超神速。
空中のエルティスへ向かって跳躍したミアは、最初の探索前にギルドで買い与えていた鉄製のショートソードを素早く引き抜いた。そして、全身に纏う濃密な銀色の魔力を刀身の切っ先へと一点集中させ、ゼニスに向かって鋭い一撃を叩き込んだ!
ガキンッ――――!!!!
金属と魔法が激突する、鼓膜を破らんばかりの凄まじい衝撃波が訓練場を揺らした。巻き起こった突風が、俺の身体を数歩後ろへと押し流す。
見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
エルティスは咄嗟に、エメラルド色に輝く強力な多重魔法障壁を展開してミアの剣撃を防ぎ切っていた。
しかし、圧倒的な防御力を誇るであろうそのゼニス級の魔法の盾には、蜘蛛の巣状の深い亀裂がビキビキと音を立てて走っている。
さらに、剣から伝わる圧倒的な運動エネルギーによって、エルティス自身の身体が空中を数メートルも後ろへ押し戻されていたのだ。
「……へえ! 僕の多重シールドをここまで割り込むなんてね。文句なしの合格だ!」
エルティスは空中で目を丸くして硬直した後、腹を抱えてけたたましく笑い声を上げた。
ミアがふわりと着地するのと同時に、エルティスも地上へと舞い降りる。彼は興奮冷めやらぬ様子で俺の元へ歩み寄ると、俺の胸ポケットに、複雑な紋章が刻印された黒い金属の特権カードを強引にねじ込んだ。
「これ、僕の副証。これを見せれば、大抵の連中は誰も君に手を出せないよ。約束通り、僕が君たちのスポンサーになってあげる」
「あ、ああ……助かる。ありがとう」
「それにしても驚いたなぁ……」
エルティスは驚愕と好奇心の入り混じった表情で、息を整えるミアを見つめた。
「お兄さん。あの子、ただの獣人じゃないよ。人間離れどころか、並の獣人すら遥かに凌駕する潜在能力だ。身体能力だけで僕の障壁を削るなんて、普通あり得ない。君のその『魔法』で身体のリミッターを外したからこそ、眠っていた力が一時的に覚醒したんだろうね。……二人とも、飽きないなぁ。最高に面白いや!」
どうやら、エルティスのおもちゃの対象が、『俺』から『俺たち』に変わったようだ。
「トオル様…?」
歩み寄ってきたミアはまだ跳ねている心臓を優しく撫でながら自分でも何が起こったのか半信半疑の様子だ。
そんな俺たちの戸惑いを他所に、エルティスは弾けんばかりの笑顔で俺とミアに抱きついてきた。
「やっぱりやめた!スポンサーなんて他人行儀な言い方はやめよう!今日から僕たちは友達だ!ね?友人のためになることを色々と考えとくから、楽しみにしててねー!」
ゼニスの少年は笑顔で手を振ると、空中の見えない足場を蹴るように跳躍した。
「またねっ!」
ドゴォォォンッ!!
外で鳴り響いた一際大きな落雷の轟音と同時に、エルティスは開け放たれた高窓から、吹き荒れる暴風雨の中へと飛び出した。強烈な風圧と魔力の余波が訓練場を吹き抜け、彼はまさに嵐そのもののような凄まじい勢いで、瞬く間に灰色の空へと姿を消していった。
暴風が過ぎ去ったような静寂の訓練場で、アドレナリンの半減期である5分が経過しようとしていた。薬効が切れ始め、心拍数が徐々に平常へと戻っていく。
ミアが荒い息を吐きながらまだ無意識に握っていたショートソードを鞘に収めた。
「トオル様……わたし、ちゃんとお役に立てましたか……?」
「ああ、見事な一撃だった。俺の魔法に完璧に応えてくれたよ。最高の前衛(相棒)だ、ミア」
俺が頭を撫でてやると、彼女はふにゃりと嬉しそうに目を細めた。
「それにしても凄い剣筋だったな。昔どこかで戦いの訓練でもしたことがあるのか?」
「えっ? いえ、戦うのなんて今日が初めてです」
「……え?」
「奴隷になる前も、ずっと村で畑仕事をしてたので……剣なんて持ったこともありませんでした」
(……初めて!? 今ので!? あれが才能……いや、規格外のポテンシャルってやつなのか!?)
俺は思わず天を仰いだ。だか、嬉しい誤算ではある。
剣を握ったことすらない農村の少女が、俺のバフを一つ受けただけで、神域到達者のバリアを粉砕しかけたのだ。
底知れない相棒の才能に戦慄しつつも、同時にこれ以上ない頼もしさに俺は目を細めた。彼女の失われた記憶の中には、この異常な戦闘力のルーツも眠っているのだろうか。
(またひとつ、旅の目的ができたな)
莫大な権力を持つゼニスからのサブカードと、規格外なことが判明した相棒。
そして、自分の命綱でありながら絶対的な「半減期」の縛りを背負う現代薬学の魔法。
まだまだ手探りのことばかりだが、俺たちの異世界での本当の旅が、今、確かな一歩を踏み出して始まったのだった。
「私たち、ゼニスの友達ができちゃいました」
「だな」
* * *
一方その頃。
ギルドを後にしたエルティスは、一人ご機嫌な様子で雷雨の空をスーパーボールのように跳ね回りながら、眼下に広がる雨霞の街を見下ろして独り言をこぼしていた。
「いやぁ、驚いたのなんのって。僕の魔法障壁はゼニスの中でも上位の方なんだけど……無詠唱の魔力集中だけで、あと一歩で破る破壊力。トオルの不思議な支援魔法と、ミアちゃんの覚醒……これはもしかすると、長年停滞していたゼニスの序列が、根本から変わるかもしれない?……なんてね、あははっ!」
荒れ狂う天候の中、無邪気な笑い声を響かせるこの少年――エルティス・ラ・クリアロード。
見た目はあどけない12歳ほどの少年にしか見えないが、その正体は長命種であるハイエルフであり、実年齢は452歳に達している。
長い年月を生きる中で世のあらゆる魔法理論をある程度網羅してしまった彼は、常に退屈を持て余していた。
己の知識欲と好奇心を満たすためなら何をするか分からないという危うさを秘めているが、その実力は紛れもない本物だ。
この広大な世界に君臨する、トップ20の達人たち『神域到達者』。
通り名【暴走する叡智】こと彼は、その恐るべき魔力と探求心により、強者揃いのゼニスの中でも第8位に座する圧倒的な存在である。
「『薬効顕現』……か。トオルの頭の中には、僕の知らない数百、数千の未知の理が詰まっている。ふふっ、これからが楽しみで仕方ないや」
そんな雲の上の存在の心を、駆け出しの異世界人と奴隷の獣人がどれほど深く揺さぶったのか。
そして、この出会いが彼らの運命をどう狂わせ、あるいは切り拓いていくのか。
今はまだ、誰も知らない。
雷光に照らされたエルティスのエメラルドの瞳だけが、来るべき波乱を予感して妖しく輝いていた。




