感情を詠唱に組み込んだら、副作用が消えて新魔法が完成した
第9話です。
前回発見された「副作用」を抑えるため、レオンたちは新しい研究に挑みます。
研究所の机の上には、昨日の実験記録が広げられていた。
ミリアが何度も同じ行を見返している。
「魔力量12、適性値781、火属性魔法発動成功、その後――」
ミリアは顔を上げた。
「やっぱり変です」
「どう考えても、魔法と笑いは関係ないはずです」
レオンは椅子に腰掛けたまま、静かにノートへ線を引いていた。
「関係ないと決めつけるのは早い」
「魔法は魔力だけで動いているわけではない」
アルドが腕を組む。
「昨日も言っていたな。精神に干渉している、と」
「その可能性が高い」
レオンは頷く。
「適性が高い者ほど、魔法の影響を強く受けるのかもしれない」
研究所の奥で、昨日の実験に参加した青年が不安そうに立っていた。
名はエルム。まだ駆け出しの冒険者だ。
「お、俺、また笑ったりしませんよね……?」
「そのための研究だ」
レオンは立ち上がる。
「同じことを繰り返す気はない」
ミリアがノートをめくる。
「でも、どうやって抑えるんですか?」
レオンは少しだけ考え、それから言った。
「感情が暴走したのなら、感情を制御すればいい」
アルドが眉をひそめる。
「簡単に言うが、そんなことができるのか?」
「できるかどうかを調べるのが研究だ」
レオンは机の上の紙を取り、一つの術式を書き始めた。
「昨日の火属性魔法は、発動そのものは成功した。問題は発動後の精神干渉だ」
「つまり魔法そのものを止める必要はない。干渉の仕方を変えればいい」
ミリアが言う。
「干渉の仕方……」
「感情を外から刺激するのではなく、あらかじめ安定した感情に固定する」
エルムが首をかしげる。
「固定?」
レオンは彼を見る。
「お前、今までの人生で一番笑った時のことを覚えているか?」
「え?」
突然の質問に、エルムはきょとんとした。
「一番……笑った時、ですか?」
「そうだ」
エルムは少し考え込み、やがて苦笑した。
「子どもの頃、弟が転んで泥だらけになった時……ですかね」
「泣くかと思ったら、泥まみれの顔で『俺は土の勇者だ!』って叫んで」
ミリアが吹き出した。
「ちょっと面白いですね、それ」
エルムもつられて笑う。
「いや、本当に大笑いしました」
レオンは頷いた。
「それだ」
アルドが怪訝そうな顔をする。
「何がだ?」
「感情アンカーに使う」
「……感情アンカー?」
ミリアが目を輝かせた。
「感情を固定する錨、ですか?」
レオンは短く頷いた。
「副作用は感情の暴走だ。なら、先に感情を安定させる記憶を与えておけばいい」
「魔法の発動時に、その記憶を詠唱へ組み込む」
アルドは呆れたように言う。
「詠唱に記憶を入れるのか」
「理屈としては通る」
レオンは淡々と答える。
「詠唱は単なる言葉ではない。魔力の流れを整える指示でもある」
「そこに精神の指向性を加えれば、干渉の方向を制御できる」
ミリアが興奮気味に紙へ書き込み始めた。
「精神指向性……感情固定……記憶の参照……」
「先生、それ新しい理論です!」
「まだ仮説だ」
そう言いながらも、レオンの手は止まらない。
新しい術式が組み上がっていく。
火属性魔法。
ただし今回は、その詠唱の末尾に一節を加える。
――もっとも安定した記憶を想起せよ。
ミリアが思わず息を呑んだ。
「こんな詠唱……見たことありません」
「これから作る」
レオンは術式を書き終え、エルムに向き直った。
「もう一度試す」
エルムはごくりと喉を鳴らした。
「だ、大丈夫なんですよね?」
「昨日よりはな」
「昨日よりは、って……!」
アルドが肩をすくめる。
「まあ安心しろ。昨日より悪くなったら研究所ごと吹き飛ばす」
「そんな安心の仕方あります!?」
ミリアがつっこむ。
緊張した空気が少しだけ和らいだ。
レオンは床の魔法陣を確認する。
「始めるぞ」
エルムが魔法陣の前に立つ。
レオンがゆっくり言葉を区切った。
「火属性初級術式、第三改訂版。副作用軽減のため感情アンカーを追加」
ミリアが小声で呟く。
「第三改訂版……」
「研究所っぽいですね……」
「ぽい、ではなく研究所だ」
レオンはそう言って、エルムに指示した。
「詠唱しろ。最後の一節で、その記憶を思い出せ」
エルムは深呼吸し、詠唱を始めた。
火の魔力が空気に集まる。
前回と同じように、安定した炎が生まれる。
しかも、明らかに密度が高い。
アルドが目を細めた。
「昨日より強いな」
ミリアも頷く。
「はい……威力も安定性も上がってます」
エルムは最後の一節を唱えた。
「――もっとも笑った記憶を想え」
その瞬間、炎が一度だけ揺らいだ。
ミリアが身を固くする。
「来ます……!」
だが。
何も起こらなかった。
エルムは数秒そのまま立ち尽くし、やがて目をぱちぱちさせた。
「……あれ?」
「笑わないのか?」
とアルド。
「笑わない、です」
エルムは自分の口元に触れる。
「でも、ちょっとだけ懐かしい感じがします」
ミリアがぱっと顔を上げた。
「副作用が、記憶の想起に変換された……?」
レオンは静かに頷いた。
「成功だ」
研究所の中が一瞬静まり返る。
次の瞬間、ミリアが机を叩いた。
「先生! これ、すごいです!」
「副作用を消しただけじゃなくて、安定した感情に置き換えてます!」
アルドも苦笑混じりに言う。
「相変わらず、とんでもないことを平然とやるな」
エルムが恐る恐る炎を見つめた。
「これ、昨日より使いやすいです」
「魔力が少ないのに、思った通りに動く……」
レオンはノートへ一行書き加えた。
感情アンカー詠唱。
ミリアがその文字を読み上げる。
「感情アンカー詠唱……」
「新しい魔法理論、ですね」
「理論であり、技術でもある」
レオンは言った。
「適性に応じた魔法の調整。さらに精神干渉の制御」
「これでようやく、“使える魔法”になる」
アルドが腕を組み、研究所の窓の外を見る。
「つまり、この研究所は今」
「新しい魔法を作ったわけだ」
「そうなる」
レオンの答えは簡潔だった。
だが、その一言の重みは大きかった。
詠唱の工夫。
感情の制御。
副作用の軽減。
適性による最適化。
それは単なる改良ではない。
新しい魔法体系の入口だった。
ミリアが小さく呟く。
「王都が知ったら、絶対に放っておきません」
アルドが苦い顔をする。
「むしろ、もう遅いかもしれん」
「遅い?」
その時だった。
研究所の扉が叩かれる。
コン、コン、と静かな音が二度。
ミリアが振り返る。
「誰でしょう?」
アルドが扉を開く。
そこに立っていたのは、見慣れない黒いローブの男だった。
顔の半分を覆うようにフードを被っている。
男は研究所の中を一瞥し、静かに言った。
「王都から参りました」
研究所の空気が、一瞬で変わる。
男の視線は、まっすぐレオンへ向けられていた。
「レオン・アルヴェル殿」
「あなたに、少々お話があります」
第9話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、副作用を抑えるための新理論
「感情アンカー詠唱」
が登場しました。
研究所の研究は、ついに王都の目にも留まり始めます。
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次回は、
<王都からの来訪者>です。お楽しみに!




