第三話 震える勇気
やっぱりおかしい。
奥へと向かえば向かうほどにロルフの本能が急かしてくる。
ロルフの足が止まったのはそれからすぐのことだった。
とてつもない威圧感と死の恐怖。姿が見えないのにも関わらず、脅威の影が体に纏わりつく感覚。
(あの時と……同じ感覚)
脳裏に浮かぶのは自分を庇った姉の鮮血が舞う瞬間。
額に汗が滲み、体中が震えて止まらない。考えるのをやめようとしても何度も繰り返し再生される。
その時、何かが吹き飛ばされたような轟音が鳴り響く。
そこで、ロルフはようやく目を覚ます。
「……行かなきゃ」
弱弱しく、まるで何かに囚われているうわごとのようにつぶやいた。
言葉に出してもなお、心の中で誰かがロルフに訴えてくる。
お前が行った所で何も出来ない。
今度は守ってくれる人もいない。
いいのか? 死ぬぞ。
「死なない! 俺はスプリングホックだ。死にそうになったら逃げるだけだ……」
スプリングホック。それはロルフの蔑称だ。格上相手には戦うこともせずに逃げて、弱いレアモンスターばかりを狙う、脚の速さだけが取り柄の腰抜けロルフ。
皮肉なことに今その蔑称がロルフが進む言い訳になっていた。
ロルフは迷いを振り切るように音の方向へと走り出す。
そして幸いにも探し人は簡単に見つかった。
そして、少年に迫るフェンリルの姿も。
追いかけられる少年はフェンリルによって吹き飛ばされる。
ロルフは急いで吹き飛ばされた方向へと走る。
しかしフェンリルを視界にとらえて瞬間、逃走本能によって増大した恐怖がロルフを襲う。何度も何度もあの時の恐怖が頭を巡り、離れない。頭の中でまたロルフに逃げろと訴えてくる。ロルフはフェンリルに近づくたびに走る足が震え、徐々に減速していく。
――――絶対、あなただけは守るッ!!
突如思い出したのは、ロルフが憧れた冒険者その最後の戦い。
種族系統相手に一人でロルフを逃がし、手負いながらも倒して生きて帰ってきた唯一の家族。
少年の体が大きく跳ね、漸く木にぶつかって止まった。
力なく木に寄りかかるその姿はあらゆるところから出血しアーマーもひしゃげ、体に力が入っていない。
自分の末路を悟り、死を思い、涙を流す少年の姿がいつかの自分に重なった。
――あぁ、そうか。こんな気持ちだったのか。
俺はずっと勘違いしていた。強いから強い相手にも立ち向かえるのだと思っていた。でも、違うんだ。みんな同じだ。死ぬのが怖くて堪らない。
それでも、助けたいから逃げずに立ち向かうんだ。
「ギュルガァゥゥッッ!!!」
――気付いた時にはフェンリルの眼球にナイフを深く突き刺していた。
空中で回転し体勢を整えて着地してから、己がした蛮行と恐怖に足が震えた。
しかし、確かな手応えが手に残る。掌を開いて見つめれば、その手は震えていた。恐怖でというのもあるが、それ以上に自分がフェンリルという強大な敵に立ち向かったこと、そのことに興奮した。
しかし、それは今は必要ない。パシンっ、と顔と両足を叩いて震えを強制的に止めると、生き残る為にロルフは行動する。片目が潰れて暴れている間にロルフは少年を抱えて木の影に隠れる。
「君、どう、して?」
痛みに耐えながら思わぬ助け人に驚きながら聞いてくる。ロルフはちょっとした有名人だからだろう。弱いのになんで来た? そんな意味を込めてか視線を送ってくる。
「たまたまだ、それより名前は?」
「僕は、アグノ。助けてくれて、ありがとう」
「それは助かってからだな。まず、フェンリルの対処だ。あれはさっき生まれただろ。今は目を潰されて見失っているけど、直ぐに耳や鼻を使って俺らを探し出す。その前に作戦を立てたい。アグノのスキルだったりを教えてくれ」
ロルフはここでアグノを抱えて逃げることも出来た。しかし、それはしなかった。対面したからこそわかる。あのフェンリルはまだ赤子の状態でまだ弱い。
種族系統はただのモンスターでは無い。奴らは人と同じように成長する。もし、ここで倒すことが出来なかったら被害者数は膨れ上がるとロルフは分かっていた。それは一冒険者としても避けたかった。
そして何よりロルフの中でひとつの想いが燻っていたからだ。
今この状況で逃げたらもう一生立ち向かえないのではないか、と。
「分かった。僕は火属性の魔法系のスキルが使える。僕の炎は攻撃だけじゃなく、自分の傷も治してくれる。けど、他の人は治せない。多分フェンリルを倒せるだけの火力は出せると思う。でも、倒そうとすると僕は確実に動けなくなる。それでもいいなら時間を稼いで欲しい。一分もあれば十分だと思う」
「上々だ。倒した後は任せろ。もし倒せなくても、俺が担いで逃げてやる」
火属性ではこの森も燃えてしまうかもしれないが、緊急事態だ背に腹はかえられない。
そう言ってロルフは再びフェンリルの元へと向かう。
「よぉデカブツ、かかって来い!」
怖くない訳じゃない、でも
「――俺はもう、逃げない」
血液が身体中を巡るような熱さが身を包む。全身に力が湧き上がるような感覚。
「ガルルゥゥ!!!」
フェンリルは雄叫びを上げ、ロルフへと一直線に駆ける。獣の頂点と呼ぶに相応しい程の猛々しさと覇気を纏うフェンリルへとロルフは睨み返す。
フェンリルの速さは並の冒険者では目で追うことさえも難しい程高速。
しかし、ここにいるのは逃げ足だけが取り柄のスプリングホック。
「――いける!!」
ロルフはその猛突進を右に一気に飛び出し、その頭を避けた所で急停止。体を左に回転させ横っ腹に突き刺すようにナイフを構える。
「疾駆逐電ッ!!」
フェンリルが駆け抜けるよりも早く、刹那に接近し突き出したナイフがフェンリルの硬い毛皮に当たる。
――カキンッ!
鉄同士が衝突したような重く乾いた音、そして連続する様に幾つも木が倒れる轟音が響く。
「ちっ!」
その間にロルフはフェンリルから距離を取り、左に旋回しながらなるべくアグノの正面にフェンリルの背後が来るように駆ける。
フェンリルは衝撃から立ち上がりロルフに飛びかかろうと地面を抉り、跳躍する。
瞬時に疾駆逐電を発動し木の枝を掴み、ぐるりと体を反動で半回転させ枝に足を着ける。
「こっちだよ! このバカ犬がっ!!」
ロルフがフェンリルを煽ると、ロルフのいた場所に飛びかかったフェンリルはロルフを見つけるとそのまま目の前の木に激突する。
ドゴォン!! メキメキ、と音を立てて崩れ去る木からロルフは横の木へと飛び跳ね、張り付くように一瞬幹に着く。
フェンリルは流石の頑丈さで小石を蹴飛ばしたような気軽さで再び立ち上がる。
(やっぱり、ダメージなしか)
ロルフは再度疾駆逐電を発動させ雷鳴のような速度でフェンリルの残った右目を狙って予備のナイフを振り抜く。
(入った!)
――カキンッ!
確実に決まったと思ったナイフはフェンリルの閉じた瞼にいとも容易く砕かれる。
「本当に瞼かよッ」
弾かれた反動を空中で受け流しつつ、着地する。
着地の瞬間を狙ったフェンリルの大振りには腰を大きく下げ、続けざまに凶悪な顎と牙をから繰り出される噛みつきには大きく横に飛ぶ。
<我が身を聖とし、我が血肉は焔血となる>
「ッ! こいつ、速くなってる!」
一撃ごとにフェンリルのスピードは上がっていく。どうやったら速く動けるか、どうやったら攻撃を当てられるか、フェンリルは戦闘の中でそれらを学んでいた。その成長スピードは正に赤子のそれだ。
<聖霊たる焔は邪を滅っさんと業火となりて彼の者を壊し、聖なる者を癒さんと慈焔となる>
フェンリルの凄まじい速度の攻撃に対して、全て疾駆逐電を行使した高速移動で対応する。しかし、何事にも限界はある。
「――しまったッ!」
魔力が切れればスキルは使えない。
突然停止したロルフをフェンリルが見逃すはずなく、フェンリルの攻撃をモロに食らい、バキッと嫌な音と共に痛みがロルフを襲う。そして、ロルフの体はいとも容易く宙に打ち上げられる。
「カッはッ!!」
無防備なロルフへと追撃を加えようと駆けるフェンリル。
しかし、ロルフが見据える先はフェンリルでは無い。
<我が魔力と血肉を糧とし顕現せよ>
「やれッ! アグノッッ!!」
アグノは右手に握るナイフで自ら腹を切り開く。
「――慈血焔壊ッッ!!!」
痛みに顔を歪ませながら尚膝を着くことなく叫ぶ。
その時、噴き出した血が焔となって燃え盛りアグノの身を包む。
――生贄魔法、その言葉がロルフの頭に浮かぶ。
血や死体、生きている人間など様々なものを生贄に通常よりも強力な魔法を放つことが出来る。
滾る紅白の炎はアグノを飲み込み肥大化する。周りの木々は焼き千切れ、その熱はロルフにも届く程強烈なもの。
その熱に気付き、振り返った時にはもう遅い。
フェンリルより何倍も大きな焔はフェンリルよりも速く、地面すらも抉りながら全てを焦がし破壊する。
「……はぁっ、はぁっ!」
血と魔力を大きく消費したアグノは地面に膝を付いたまま動けそうにもない。
土煙が舞い視界が悪い中、一点を見つめる。
「……ガルッ、ガウッ!!」
奥からフェンリルの鳴き声が聞こえ、アグノは戦慄した。
「いきてるっ……!」
「いや、俺らの勝ちだ!」
宙に舞った土が落ち、視界が晴れる。
残ったものは焦げた大地、そして頭だけとなっても粒子とならずに残るフェンリル。
その瞳は未だ闘志を燃やし、ロルフを睨んでいる。
ロルフはダメージが残った体を庇う様に歩き、近付く。
「お前が一日でも速く生まれていたら、負けてたよ……でも、終わりだ」
地面に捨てられた折れたナイフを拾い、その頭に突き刺す。
フェンリルは悲鳴を上げることなく、粒子となり消えるまでじっとロルフを睨む。
そして、フェンリルは完全に消え巨大な魔石だけが残った。
ロルフとアグノはフェンリルに勝利した。




