↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【言葉の鍵穴】  作者: かぐつち・くまナぱ(便乗期間限定w)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/8

第五話:七つ目の言葉

言葉は、正しいだけでは、人を救えないことがある。


相手の恐れを知ることと、それを口にすること。

その違いを、セラはまだ学びきれていません。


交渉が止まった三日目。

七つ目の言葉が、何をもたらすのか。


第五話、よろしくお願いいたします。m(_ _)m


【第五話:七つ目の言葉】


 天幕の卓には、三日間、パンと塩が置かれていた。


パンは乾いて、反り返っていた。


塩は湿気を吸い、崩れた塊になっていた。


三日のあいだ、どちらの側も、相手の皿には手を伸ばさなかった。

 

──交渉は、止まっていた。


この三日間、セラは、何度も言葉を飲み込んだ。


◆◆◆


 一つ目。


交渉の初日、双方は砦の所有権を主張した。


ヨナは、王から渡された一枚目の紙を読み上げた。


『砦を明け渡すこと。』


『川の浅瀬を青い獅子の国の管理下に置くこと。』


『街道の通行を、こちらの法に従わせること。』


メレクは、最後まで聞き、紙を卓に広げた。


──白い塔の国も、同じような要求を持ってきていた。


どちらも、相手が呑めないと知っている条件だった。


セラは、ヨナの袖に、小さな紙を差し入れた。


そこには、こう書いてあった。


『──砦を得たあと、何を守るのか。』


ヨナは、すぐには口にしなかった。


代わりに、次の議題を求めた。


 二つ目。


二日目の朝、砦の補修費と、川沿いの道の修繕費が話題になった。


双方とも、相手が壊したと主張した。


ヨナが、古い記録を広げた。


道の補修に使われた石材は、両国から運ばれていた。


砦の外壁も、かつては双方の職人が修理していた。


メレクは、記録を指で押さえた。


「昔の取り決めは、今の国境には合わぬ」


そう言いながら、彼は記録をヨナに戻させなかった。


セラは、その手を見ていた。


『手放すつもりは、ない。』


『だが、捨てるつもりも、ない。』


 三つ目。


昼過ぎ、白い塔の将校が、兵の通行権を要求した。


砦を空にしても、兵が自由に川を渡れるなら、意味がない。


青い獅子の護衛が反対した。


椅子の脚が、石床を擦った。


ヨナは、書きかけの紙をセラに渡した。


セラは、将校の言葉を聞き終えてから、紙の端に書いた。


『──兵が通る道と、荷車が通る道を、分けることはできないか。』


ヨナは、その一行を読んだ。


 「兵の通行は、砦を通らぬ街道に限る。その代わり、荷車の通行を、両国が保証する」


将校は、すぐには答えなかった。


──だが、剣の柄から手を離した。


 四つ目。


その日の夕刻、ヨナは、谷の村から届いた報告を読み上げた。


『焼けた家が十二。』


『収穫できなかった畑が、三十余り。』


『逃げた住民の数は、わからない。』


記録に残っているのは、徴税のために数えられた者だけだった。


メレクは、報告を聞いても、顔を変えなかった。


ただ、塩の小皿に触れていた指が、止まった。


セラは、続きの報告を書かなかった。


 五つ目。


三日目の朝、青い獅子の使節団に、宰相府から封書が届いた。


ヨナは封蝋を確かめ、王の印ではないことを見抜いた。


中には、『交渉を打ち切り、砦の奪還を急ぐべきだ』という文言があった。


末尾には、王の許可があると記されていた。


だが、王の署名はなかった。


ヨナは、封書を懐にしまった。


セラは、尋ねなかった。


しばらくして、天幕の外で、馬の蹄が鳴った。


王の使者だった。


彼は、宰相府からの命令は、王の確認を得ていないため、実行してはならないと告げた。


その場にいた護衛たちは、誰も口を開かなかった。


宰相本人は、王都に残っていた。


ヨナは、封書をもう一度取り出した。


文面を読み返しても、命令の出どころはわからない。


宰相が、王の確認を得ずに命令を出したのか。


あるいは、王の名を借りて、誰かが勝手に動いたのか。


ヨナは、封書を折り直した。


「この書状を、ハーゲン将軍へ」


護衛に向けた声は、低かった。


「原本を届けてください。宰相閣下の筆跡だけでなく、文面も、封蝋も、そのまま確かめていただきたい」


護衛がうなずいた。


「将軍は、宰相閣下と旧知でいらっしゃる。何かお気づきになるかもしれません」


ヨナは、書状を渡した。


それで真実がわかるとは、思っていなかった。


ただ、確かめずに決めつけることだけは、避けたかった。


セラは、何も言わなかった。


わからないことを、わかったふりはしなかった。


 六つ目。


ヨナが、交渉の紙を整えた。


「砦の話は、いったん措(お)きましょう」


メレクの眉が、わずかに上がった。


「措(お)く、とは何か」


「どちらの兵も、置かない。空にしておく、ということです」


ヨナは、手元の紙を見た。


声は、落ち着いていた。


「その代わり、谷の穀倉を、両国の印で封じます。冬の間も、原則として、開けるのは、両国の者が揃ったときだけ」


──天幕の中が、静かになった。


外で、風が旗を鳴らした。


それは、勝利ではなかった。


敗北でもなかった。


少なくとも、今すぐ戦を再開する理由にはならなかった。


──メレクは、案を聞き終えると、天幕の入口のほうを見た。


セラは、その目を追った。


幕の隙間から、谷の下の村が見えた。


家の半分は焼け落ち、焼け残った梁が、黒く空を指している。


畑には、刈られなかった麦が、倒れたまま腐っていた。


──この三日間。


メレクは二度、三度と、そこへ目を向けていた。


セラは、紙の端に、一行だけ書いた。


『──冬の飢えを、恐れている。』


書き終えたあと、セラは、その一行を見つめた。


相手が何を恐れているか。


それを知ることと、口にすることは、同じではない。


──わかっていたはずだった。


それでも、彼女は紙を折り、ヨナの肘のそばへ置いた。


ヨナは読み、顔色を変えず、一度だけ、隅を振り返った。


セラは、うなずきもしなかった。


その静けさを破ったのは、メレクの背後に立つ、若い将校だった。


「穀倉に、敵の印を押せと言うのか」


将校が立ち上がった。


椅子が、倒れた。


「我らの麦を、敵に見張らせる。これを降伏と呼ばずに、何と呼ぶ。団長、席をお立ちください」


メレクは、動かなかった。


ただ一言。


「……お答えいただこう」


ヨナの喉が、小さく鳴った。


こちらの護衛が、剣の柄に手をかけた。


セラは、書きかけの写しを見つめていた。


『封は、両国の者が揃ったときにだけ、開く。』


『揃わなければ。』


『冬のさなか、どちらかが来なければ、封は閉じたままになる。』


谷の下の村の者は、穀倉の前で、待つ。


『待つあいだに、誰かが死ぬ。』


門が閉じる。──七年前の音が、耳の奥で鳴った。


セラは、書きかけの写しを裏返し、新しい一行を書いた。


手が、わずかに震えていた。


ヨナの肘のそばへ、置いた。


ヨナは読み、顔を上げた。


「……封は、三つの印で閉じます」


「三つ?」


初めて、メレクが口を開いた。


「両国の印と、谷の村の長の印です」


ヨナは、倒れた椅子を見た。


それから、メレクに目を戻した。


「ふだんは、両国の者が揃ったときにだけ、開く。ただし、村の長が求めれば、三日の猶予を置く。その間に両国の者が来れば、立ち会いのもとで、開ける。来なければ、三日目に、長の手で、開けられる」


将校の唇が、動いた。


「村の長は、どちらの民だ」


「谷の民です」


「それは、答えになっていない」


ヨナは、紙から目を離さなかった。


「はい」


声は、かすかに揺れた。


「ですが、最初の冬に飢えるのは、谷の民です」


将校は、倒れた椅子を見下ろした。


長い間のあと、メレクが、静かに言った。


「椅子を、起こせ」


将校は、動かなかった。


メレクは、彼を見た。


「椅子を、起こせ」


将校が、椅子を起こした。


メレクは、ヨナに向き直った。


「貴国は、冬の飢えを、恐れておられる」


声を発したヨナの指が、紙の端を押さえた。


「谷の下の村から、人が流れ込む。それが、お困りなのでは」


メレクの指が、卓の上で止まった。


「……何を、根拠に」


「お目が、幕の外へ行かれました」


その一言は、最初の紙の余白に書き添えた、セラの観察の一行だった。


ヨナは、それを、そのまま読み上げた。


天幕の空気が、変わった。


メレクの目が、ゆっくりとヨナに向いた。


「……我が、女の書記に、顔色を読まれたと」


メレクの声は、低かった。


メレクは、ゆっくり立ち上がった。


さっきまでの、疲れた老人では、なかった。


「それを、我が将兵の前で、言ったか」


ヨナの肩が、わずかに強張った。


「いえ、私は——」


「我が何を恐れているか。貴殿は、それを、貴殿の国のために使うと言うのだな」


ヨナの口が開いた。


声は、出なかった。


メレクは、卓の上のパンを見た。


それから、塩の小皿を見た。


「交渉は、ここまでだ」


メレクの目が、隅に座るセラへ、一瞬だけ向いた。


その目にあったのは、怒りだけでは、なかった。


セラは、視線を落とした。


幕が、はね上げられた。


白い塔の使節が、一人、また一人と、出ていった。


最後の将校が、幕を叩きつけた。


卓には、割られたパンと、塩の小皿だけが、残った。


セラは、動けなかった。


──私は、また、やった。


それは、『七つ目の言葉』だった。


──目の前の男が、何を恐れているかを、暴く言葉。


口にしたのはヨナだが、研いだのは、私だ。


ベルトランの顔が、浮かんだ。


人の恐れを見抜いて、人の前で、言い当てた。


正しかった。


正しかったから──門が、閉じた。


七年かけて、手を見ることを、覚えたはずだった。


見たものを、どこで、誰の前で、口にするかは、まだ──覚えていなかった。


◆◆◆


 天幕を出ると、川の音が聞こえた。


ルカは、護衛の詰め所のそばで馬と待っていた。


彼は、セラの顔を見るなり、立ち上がった。


「交渉は、どうなったんです」


セラは、答えなかった。


ルカは、天幕のほうを見た。


「……失敗したんですか」


「はい」


短い返事だった。


ルカは、何か言おうとして、やめた。


しばらくして、彼はセラの横に並んだ。


「先生は、どうやって交渉したんですか」


セラは、川を見た。


「相手が、何を望んでいるかを聞くつもりでした」


「聞けば、わかるんですか」


「わからないこともあります」


「じゃあ、何のために聞くんです」


セラは、少しだけ、ルカのほうを向いた。


「わからないまま、決めつけないためです」


ルカは、黙った。


川の水が、石にぶつかって白く砕けた。


「でも、あちらが、何を恐れているか、わかったんでしょう」


セラは、答えなかった。


ルカは、続けた。


「それを言ったら、交渉が壊れた」


「はい」


「なら、言わなければよかったんですか」


セラは、しばらく考えた。


「……言わないだけでは、足りなかったのかもしれません」


ルカは、彼女の右頬を見た。


すぐに、視線を外した。


「……難しいですね」


「ええ」


セラは、川から目を離さなかった。


「難しいです」


◆◆◆


 その夜、ヨナは、天幕の灯りの下で、懐の紙を、握っていた。


王から預かった二枚目の紙だった。


封はされていない。


ただ、折りたたまれている。


「二枚目を、開きます」


ヨナは、顔を上げた。


目の下の隈が、灯りのせいで濃く見えた。


「陛下の、ですか」


「砦を、譲る、と書いてあるかもしれません。書いていないかもしれない。どちらでも、これを出せば、終わります」


セラは、紙を見た。


「国は、終わります」


そう繰り返したヨナは、紙の折り目を親指でなぞった。


「冬は、待ちません」


「はい」


「このまま交渉が壊れれば、また人が死ぬ。陛下が何を願っておられたとしても、谷の者には、届かない」


セラは、ヨナの手を見た。


指は、インクで黒く、爪の際が、噛み切られていた。


ヨナは、紙を握り直した。


「私は、書くだけの人間でした」


小さな声だった。


「言う側に回ったのは、今日が、初めてです」


セラは、何も言わなかった。


ヨナの手が、震えていた。


セラは、それを見た。


見て、何も言わなかった。


しばらくして、セラは立ち上がった。


「朝まで、待ってください」


「何を、なさるのですか」


セラは、天幕の入口を見た。


夜の向こうに、谷の村があった。


焼けた家。


刈られなかった麦。


冬を越せるかどうかも、わからない人々。


「──水を、一杯、いただきに行きます」


天幕の外では、冷たい風が、枯れ草を撫でるように吹いていた。


 (第五話 終)


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


正しいことを言ったはずなのに、誰かを追い詰めてしまう。

黙っていればよかったのか。それとも、言い方が違えばよかったのか。


セラにも、まだ答えはわかりません。


それでも、冬は待ってくれない。


次話では、交渉の席を離れたセラが、谷に伝わる小さな習わしに立ち返ります。


引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。(*人´ω`*)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
王のモノではない王の命令書か。 先走った宰相か、そうでなくとも自国の重鎮か。場合によっては敵国の誰か、第三者の可能性すらある、毒か薬かすら判らない一葉だな。 だがそれすら尻目に民は餓える。 毒であろう…
交渉中に、王のものではない王の命令…… そして、お互いに譲らない態度。 言わなければよかったのかな? でも、言わないと何も進まずに終わるだけだったような。 続きを楽しみにしています。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。