第二話:首のない案山子
第一話では、ひとつの乞いが、わずかな停戦へとつながりました。
けれど、戦が止まることと、人々が救われることは、同じではありません。
言葉ひとつで変わるものがある。
それでも、言葉だけでは変えられないものもある。
言葉の鍵穴の、その先に何が待っているのか。
第二話です。m(_ _)m
【第二話 首のない案山子】
あの朝から、三か月が過ぎた。
街道には、三つのものが多かった。
泥。
墓。
そして、首のない案山子。
麦畑の番をする案山子の首は、誰かが持っていったらしい。
「どちらの兵が?」
「……王の兵です」
畑の縁で、農夫が鍬を握ったまま、セラの顔を見て、すぐに目を伏せた。
畑の縁の石の祠は、空だった。
獅子の国の民は、初穂をそこへ供える。
「反乱を抑えるため、と聞きましたが」
今年は、供える穂が、なかった。
少し後ろで、ルカが何か言いかけて、やめた。
「納めるものがなかった者は、みな、反逆者だそうで」
「あなたも?」
農夫は答えなかった。
鍬の柄を握る指が、白くなっていた。
セラは、それ以上訊かなかった。
──ルカは、あの朝の若い兵だった。
野営地を出る日、彼は槍を返上して、黙ってセラの後ろを歩き始めた。
何を教えてくれるのかと訊かれ、セラは「何も」と答えた。
それでも彼は、ついてきた。
◆◆◆
昼を過ぎて、道が下りにかかったところで、荷馬車が一台、横倒しになっていた。
「先生、あれは……」
ルカが足を速めた。
セラは、片手を上げた。
「ここで待っていなさい」
ルカが止まるのを確かめてから、セラは荷馬車へ向かった。
車輪の陰で、老人が幼い孫を抱いていた。
青い獅子の紋を縫い取った甲冑の兵が、三人。
荷をあさっている。ひとりが、干し肉の袋を掴み上げた。
「それがないと、この子は冬を越せません」
老人は泥に額をつけた。
──兵の手が、腰の剣に動いた。
「やめなさい」
セラは、大きな声を出さなかった。
三人が振り向いた。
顔を見て、ひとりが唾を吐いた。
「何だ、その面は」
セラは、兵たちの手を見た。
剣の柄に触れている指はあっても、握り込んではいない。
三人とも、老人を斬ると決めたわけではないのだ。
セラは答えず、兵たちを見ていた。
鎧の継ぎ目に、赤い錆。
こけた頬。
爪の黒さ。
ひとりは、右の靴底が剥がれて、足を引きずっている。
「靴が、傷んでいますね」
「……それがどうした」
「補給が、切れて久しいのでしょう」
誰も否定しなかった。
──青い獅子の国の兵は、給金を麦札で受け取る。
倉に麦のある間だけ、様々な物に替わる札だった。
麦の来ない月は、給金のない月だ。
腹を空かせた兵が、何を取るかは、誰も、命じなくても決まっていた。
「その干し肉は、あなたがたの今夜の分にはなります。明日の分には、なりません」
「それがどうした」
頭目が鼻で笑った。
風が、荷馬車の幌を鳴らした。
セラは、老人の荷馬車を見た。
横倒しになった荷台には、空の穀物袋がいくつも積まれていた。
袋の縫い目には、刈り取った麦の穂が、わずかに残っている。
荷台の板は使い込まれ、車輪には泥が幾重にもこびりついていた。
「来週、本隊がここを通るとき、集める穀物が、ありません」
この道を、何度も往復してきた荷馬車だ。
「この老人は、村で一番の農夫です。殺せば、村人たちは山へ逃げる」
老人の手には、鍬だこがあった。
「略奪で補給を潰した隊は、真っ先に吊るされます」
セラは、ほんの少し間を置いた。
「──試してみますか」
長い沈黙のあと、頭目が、干し肉を老人に放った。
「……行くぞ」
足を引きずる兵が、一度だけ振り返った。
何か言いたそうな目をして、結局、何も言わずに仲間を追った。
老人は孫の手を引いたまま、何度も頭を下げた。
「半分は、その子に」
セラはそれだけ言って、歩き出した。
◆◆◆
「──見事でした」
追いついたルカの声は、弾んでいた。
「言葉だけで、三人を。やっぱり、正義は勝つんですね」
セラは足を止めた。
「私は、正義の話をしましたか」
「え……」
「しませんでした。あの人たちは、正しくなったから引いたのではありません。首が危ないと思ったから、引いたのです」
「でも……老人は助かりました」
「今日は、です」
ルカは黙った。
「……あの三人は、今夜、酒を飲みます。顔のおかしな女に言い負かされた、と話すでしょう。その怒りは、どこへ行くと思いますか」
返事はなかった。
「靴の剥がれた人を、見ましたか」
「……いえ」
「見ておきなさい。次は、あなたの番です」
セラは、動かない右の頬に、指の背を当てた。
「行きますよ」
七年前の門を、ルカには言わなかった。
◆◆◆
王都の手前の宿で、セラは、宿代を麦札で払った。
獅子の焼き印を押した、木の札だ。
宿の主人は、それを歯で噛んで確かめてから、懐へしまった。
──その宿に、使いが来たのは、その夜だった。
黒い封蝋を捺した書状を持つ、書記官だった。
痩せて、目の下が暗い。
名乗るより先に、彼は言った。
「──王が、あなたに、一つお尋ねしたいと」
「謁見ではなく?」
「お会いになる気は、まだ、おありでない。……ただ、尋ねたい、と」
書記官は書状を卓に置いた。
宿の主人が、扉の向こうで、息を殺している気配がした。
「国境から、報せが来なくなりました。三か月前までは、村々から、毎週、敵の動きが届いていた。今は、何も来ない。敵が静かなのか……村が黙っているのか、分からない」
「それが、お尋ねですか」
「はい。なぜ、報せが来なくなったのでしょう」
窓の外は暗かった。
昼間の泥の匂いが、まだ部屋に残っていた。
「今日、街道で、王の兵が、老人の干し肉を取ろうとしました」
書記官が、目を上げた。
「私が止めなければ、斬っていたでしょう」
「……それが、何か」
ルカが、何か言おうとした。
セラは、手で止めた。
「その老人が、もし敵の兵を見たとして」
セラは書状を、卓の端へ押し戻した。
「王に、教えるでしょうか」
書記官は、すぐには答えなかった。
蝋燭が、一度、揺れた。
「……教えません」
「そうですか」
書記官は、書状に手を置いたまま、動かなかった。
「教えれば、兵が来る」
「はい」
「兵が来れば、取られる」
「はい」
セラは、卓の上の蝋燭の芯を、見ていた。
しばらくして、書記官が立ち上がった。
「……王に、そのまま、お伝えしてよろしいですか」
「あなたの言葉で、どうぞ」
「……王は、聞くでしょうか」
「分かりません」
書記官は一礼し、扉に手をかけた。
「あなたは、聞きましたね」
出ていく背に、セラが言った。
──彼は振り向かなかった。
扉が、静かに閉じた。
◆◆◆
その夜、ルカは眠れずにいた。
窓のそばの寝台で、セラは目を開けていた。
蝋燭は消してある。
月だけが、床に細い光を落としている。
「先生は、昔……喋れたんですか」
「ええ」
「それで」
「喋りすぎました」
ルカは待った。
セラは長いこと黙っていたが、やがて、天井を見たまま言った。
「七年前、ある領主を、正しい言葉で追い詰めました。三日かけて、全部の逃げ道を塞いで」
「……それで」
「門が、閉じました」
「何を、言ったんです」
「本当のことを、全部。広場で、言うつもりでした。彼の逃げ道は、一つも、残しませんでした」
「先生のせいじゃ、ないでしょう……。門を閉じたのは、その人だ」
「はい」
セラは、否定しなかった。
「それでも、私の言葉でした」
セラは、天井を見たまま、続けた。
「ルカ。あなたは、正しいことを言って、誰かを怒らせたことは、ありませんか」
ルカは、長いこと考えた。
「……弟に。……弟が畑を継がないと言ったとき、お前は親不孝者だと、言いました。正しいと思ったんです」
「それで」
「弟は、それから、俺と話さなくなりました」
セラは、何も訊かなかった。
月が、雲に隠れた。部屋が暗くなった。
「ルカ」
「はい」
「あの朝、あなたは、どうして私に水を渡したのですか」
ルカは少し考えた。
「……足が、痛いと言ったので」
「それだけ?」
「それだけです」
「そうですか」
暗がりの中で、セラの声が、わずかに緩んだ。
「私は、あの朝、あなたの水に、助けられました」
ルカは、何と答えていいか分からなかった。
◆◆◆
翌朝、街道には霧が出ていた。
二人は、また首のない案山子の横を通った。
風が吹いて、案山子の袖が揺れた。
ルカは、その袖を、いつまでも見ていた。
「先生は、王を、変えたいんですか」
「いいえ」
「じゃあ、何を」
「問いを一つ、置いてきただけです」
「それで、変わらなかったら」
「変わらないでしょう」
「……それで、いいんですか」
セラは答えず、前を見た。
霧の向こうに、王都の塔の影が、うっすらと見えていた。
(第二話 終)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。m(_ _)m
正しいことを言えば、誰かが救われる。
間違いを指摘すれば、何かが正される。
けれど、言葉が届いたあと、その先で何が起こるのか……。
口にした者にも、すべてを見通すことはできません。
それでも、黙っていればよかったとは限らない。
セラが何を見て、何を言わずにいたのか。
そのあたりも、ゆっくり見守っていただけたら嬉しいです。(*人´ω`*)
※セラの言葉にはブラフも入ります※




