次は勝つ方の仕事
エルナは、俺の顔より先に、頬の傷を見た。
加工町の宿の前だった。
夕方の荷車から降りた彼女は、鞄を肩へ戻しかけ、そのまま手を止めた。髪は風で乱れ、上着の裾には街道の白い埃がついている。
「顔、どうしたの」
「少し擦った」
「顔を?」
どこを擦ったのかは、見れば分かるはずだった。
俺はそう思ったが、言わなかった。彼女が怒っているのか、心配しているのか、まだどちらも決めきれていない顔をしていたからだ。
十日目の報告便には、荷を止めたことと、怪我人のことを書いた。自分の頬は、書くほどでもないと省いた。今、それを読んだ人間から見れば、何を省かれたかは分からないのだと気づいた。
「ボルンを引っ張った時、台車の角で。手当てはしてもらった」
エルナが近づき、傷の横へ指を触れた。
触れたのは痛くない場所だった。
「帰ってから説明されるより、ここで見られてよかった」
そう言って、彼女は指を離した。
その声で、俺はようやく、自分が待たれていたのだと分かった。待っていたのは俺の方だと思っていた。
「荷、持つよ」
手を伸ばすと、彼女は軽い方の袋を渡した。
「重い方も」
「あなたの腕、変な伸ばし方をしてる」
見抜かれていた。
筋肉痛だった。英雄らしい負傷の説明をするほどでもなく、毎朝、服へ腕を通す時だけたいへん英雄に向いていない声が出る。
俺は軽い袋を持ち、宿へ案内した。
彼女は途中の靴屋の前で立ち止まった。
「寄っていい?」
「足、痛い?」
「少し。あと、あそこにある紐が欲しい」
店先に、暗い赤の紐が吊ってあった。
俺は値段を聞こうとして、彼女が先に店主へ声をかけるのを聞いた。長さを確かめ、違う色と並べ、最後に最初の赤を選ぶ。その間、俺は袋を持って立っていた。
退屈しなかった。
同じものを二度、三度と見比べる彼女を見ていると、山で急いでいた時間が、自分の中から少しずつ抜けていくのが分かった。
*
部屋へ入ると、エルナは机の上の鉄板を見た。
俺は、説明するのを待ちきれなかった。
「これ、灯台の紙と合うんだ」
靴を脱いでいた彼女が顔を上げた。
「穴の?」
「四つとも」
彼女は片方だけ靴を脱いだ格好で、机へ寄ってきた。
俺は紙を広げた。古い鉄板は借りたものなので、宿の机を傷つけないよう布を二重に敷いてある。鉄の匂いが、濡れた外套の匂いに混じった。
エルナは穴の位置を確かめた。
一度、紙をずらした。
戻した。
「本当だ」
その小さな声が、俺には大きな褒美だった。
「同じ所で作ったのかな」
「同じ型かもしれない。作った場所は、まだ」
彼女はそこで止まり、俺を見た。
「でも、見つけたんだね」
俺は頷いた。
彼女はもう一度、穴へ指を当てた。
「持って帰るの、大変そう」
「帰りの荷は増えた」
「服を減らせばよかった」
それは来る前に言ってくれてもよかったが、彼女は確かに、それに近いことを言っていた。
俺は反論を諦め、椅子を引いた。
ようやく両方の靴を脱いだエルナは、足を前へ伸ばして息を吐いた。踵に小さな赤い擦れがある。俺は水を汲み、清潔な布を出した。
「書類、全部終わった?」
「終わった。花嫁は替わってなかった」
「それはよかった」
「注文した人が、染める前と後の色を取り違えてた。面白い話にならなかった」
彼女は不満そうに言ったが、口元が笑っていた。
俺は布を渡し、自分も隣へ座った。彼女の肩が触れた。外では荷車の車輪が石を踏み、誰かが高い声で道を空けるよう言っていた。
俺たちはしばらく、その声を聞いていた。
*
イェトの誘いは、翌朝だった。
工房へ道具を返しに行くと、台には新しい先端が三つ並んでいた。どれも同じように見えたが、触ると重さと角度が違う。俺はまず、一番小さいものを手に取った。
イェトは、それを見るのを待っていたようだった。
「次の比較試作に出る」
「何の?」
「保守具。加工場と荷下ろし場で使う。古い器具の爪や留めを直す時、片手を増やす道具だ」
俺は先端を戻した。
「あの夜、あったら楽だったね」
「あの夜に使った物を、そのまま売るつもりはない」
イェトは厚い指で柄を回した。冷えた親指が、また一度浮く。彼は握り直し、苛立ったように台へ置いた。
「使う奴がいちいち職人を呼ぶようじゃ、金を出して買わん」
「僕に何を?」
「線をやれ」
短い誘いだった。
俺はすぐには返事をしなかった。
いくつか理由があった。灯台の当番、村への報告、旅の金。どれも既に相談を始めていて、初冬までの交代なら引き受ける、というジナの返事も昨夕の便で届いていた。急な話ではない。
それでも黙ったのは、こういう時、安く請ける人間だと思われたくなかったからだ。
イェトは俺を見た。
「報酬は出す」
「採用されたら?」
「取り分も話す」
「競う相手は?」
「カザ」
名前を言った時だけ、彼の声が少し平らになった。
それまで棚の脇で、使い方の説明図を見ていたエルナが顔を上げた。
「強い人?」
「口は」
イェトは答えた。
少ししてから、付け足した。
「腕も」
俺は笑った。
山の荷を止めた夜、俺はずっと怖かった。終わってからも、自分がもっと遅かったらと、何度も考えた。けれど、あの爪が止まった感触は覚えている。俺の引いた細い線が、欲しかった場所へ力を通した。
今度は、最初から上手くいく物を作りたかった。
人が危ない目に遭う前に、俺の腕を見てほしかった。
それから、勝ちたかった。
「やります」
俺は柄を取り上げた。
イェトは頷き、作業用の前掛けを投げて寄越した。
受け取ると、細かい木屑が服へ散った。
「まず、その三つの違いを当てろ」
「教えてくれないの?」
「当てたら教える」
エルナが隣で笑った。
俺は一番軽い先端を選び、灯りの下へ持っていった。




