割れてから動く
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完結までの構想はありますが、皆様のご意見を支えに作品を作り上げていく方針です。
封片が割れた時、俺はまだ値切るつもりでいた。
窓の隙間へ詰める藁の束と、職人の汚れた袖と、その向こうの雨空を見ながら、北の仕入れ先にも困ったものだと思っていた。去年より高い。そのくせ届くのは遅い。自分が作った物を高く売りたい時だけは、苦労も技術も値段に含めてほしくなるのに、買う側へ回ると、俺はなかなか清廉な人間だった。
乾いた音がした。
職人の指の間で、薄い板が二つになった。
「あ」
男は声を出し、手を引いた。壁へ押し込んでいた詰め物が跳ね返り、袖に藁が刺さった。台の端を指で叩いたように見えたのは、刃をつけた小さな押し金が、勝手にもう一度動いたからだった。
床へ落ちた欠片には、まだ乳白色の筋が残っていた。
男が拾おうと身を屈める。
「手を出さないで」
言いながら、俺は台の下の遮断栓を引いた。押し金の先が跳ね、脛のすぐ前を擦った。靴の革に白い線がついた。新しい靴だったので、一瞬、助かったことよりそちらが惜しかった。
道具へ続く細い線が消える。俺は手近の角材を台へ噛ませ、もう動かないことを確かめてから、男の腕を取った。
血が人差し指の腹を伝っていた。
「布を。綺麗な方。誰か、水も」
倉庫の番人が、抱えていた荷札を落として走った。男は俺の肩越しに床を見ようとしたが、俺は半歩ずれて見せなかった。
「まだ動くかもしれない」
「拾って片づけるだけだ」
「片づけるのは僕がやる。今、血を止めて」
男は口を閉じた。指よりも自分の道具の方を気にしている顔だった。俺にも多少、その気持ちは分かった。自分のものが変な動きをすると、他人に見られる前にどうにかしたくなる。
ただし今回、見ている他人は俺だけではなかった。
離れた戸口で、次の仕事を待っていた若い職人が、同じ包みを開こうとしていた。
「そっちも置いて。同じ荷か、先に見る」
俺の声は自分で思ったより強く出た。男は驚いた顔で手を止めた。
倉庫の中に、ようやく雨の音が戻ってきた。
*
怪我は浅かった。手当てをしてもらうため職人が出ていくと、床には彼の片方の手袋が残った。人差し指のところだけ、長く使って薄くなっている。
俺はそれを拾い、道具箱の上へ置いた。
オルネが来たのは、濡れた靴跡が半分ほど乾いてからだった。
老人は俺の話を途中で遮らずに聞き、割れた板を小さな木箱の中で回した。刃物で切ったような割れ口ではなかった。薄い層が、途中で別々の向きを向いている。光へ透かしても、中央には灰色が残った。
「栓を抜いて正解だった」
それを聞いて、俺は少し背筋を伸ばした。
「押し金が二度動いたので」
「二度目を見てから手を出さなかったのがよかった」
褒められた範囲を丁寧に狭められた。俺は、褒められたことの方を覚えておくことにした。
倉庫番が、使っていない同じ荷を運んできた。乾いた布が幾重にも巻かれ、紐の下に北第三坑の荷印がある。開くと、内側の折り返しに赤い点が見えた。
俺は指を止めた。
村へ届いた見本も、同じ印だった。加工前の物と混ぜないための目印だと、添えられた紙に書いてあった。あちらは外から見えるように結んであった。
「この布、誰か結び直しましたか」
「俺はしてない。仕入れの時、このままだ」
倉庫番が言った。声の端に、もう自分のせいにされるのか、という苛立ちがある。
「責めてるんじゃなくて、順番を知りたいんです」
俺は布をひっくり返し、赤い所が表へ出るようにした。
端は乾いていた。ところが、中央へ指を滑らせると、冷たかった。雨に濡れた革を部屋へ持ち込んだ時の、表面の乾きに騙される冷たさに似ていた。
オルネも触れ、眉を寄せた。
「加工町へ、これを持って行ってくれるか」
唐突に言われたので、俺は老人を見た。
「僕が?」
「割れる前と後を見ている。村の保守も続けている。石の良し悪しは、向こうに判る職人がいる」
俺でなければ駄目だ、とまでは言っていなかった。
それでも、俺に頼んでいた。
窓の外で、荷車の車輪が水を跳ねた。持ち手のついた押し金が、角材の下でじっとしている。たったさっきまで、一人の職人の指を裂いた物とは思えない。
「返済の日は、動かせません」
「今月の分は出立前に受け取る。旅の報酬は別に出す」
「じゃあ、灯台の代番と、ダナの都合が合えば」
言いながら、胸の中ではもう北の山へ向かっていた。術を失敗して叱られに行くのでなく、失敗を見抜ける者として呼ばれる。その違いは、給金とは別のところで俺をくすぐった。
オルネは木箱の蓋を閉めた。
「上手くいった見本だけ見せられて帰るなよ」
「分かってます」
分かっている人間らしく、俺は箱を受け取った。
箱の底へ敷いた布には、小さな血の跡がついていた。




