なくなった一つの数え方
立会所の長椅子は、座る人間の気持ちに比べてよく磨かれていた。
誰が磨くのだろう、と俺は考えた。
昨日ここで怒鳴った人がいても、泣いた人がいても、朝には布で拭かれる。
机の上には砂を入れた小皿があり、筆先についた余分なものを落とすために使われていた。
窓は細く開いていたが、人が集まるにつれて部屋の空気は重くなった。
席を決める係が、俺たちの名を一人ずつ確かめた。
エルナはロイの代理として話す範囲と、自分が損失を受けた本人として話す範囲を確認された。
俺は署名した者として、何を見せられ、どの言葉で安心し、何を読まなかったのかを答えた。
何を読まなかったのか。
質問は、そこだけ小さな鉤を持っていた。
「自分が立ち会っていない回収まで、承認したことになるとは考えていませんでした」
「そのように確認しましたか」
「いいえ」
答えると、筆が紙を擦った。
ベレスは、俺に責任を押しつけなかった。
だが、自分一人が決めたとも言わなかった。
設備の維持のために必要だとされた量、上から割り当てられた回収予定、保留を続けた場合に迫る運用上の問題。
それらを、順を追って説明した。
話を聞くうちに、俺は何度か頷きかけた。
必要な量があり、間に合わない期限がある。
知っている苦しさだった。
隣でエルナが控えをめくる音がして、ようやく顎を止めた。
その紙の先には、もう空になったロイの封片がある。
俺は膝の上で指を組み、返事を急がず続きを聞いた。
審査に当たる女が、別の役人へ尋ねた。
「この家が拒否した場合の扱いを、誰が確かめましたか」
答えは一度で出なかった。
技術上使えるかを確かめた者は、使ってよいかは別の担当だと言った。
別の担当は、署名のある控えを受け取ったと言った。
控えをまとめた者は、現場の確認が済んでいると思ったと言った。
答えるたびに、視線が次の席へ移った。
俺もかつて、その視線の行く先を確かめずに紙を渡した。
膝に置いていた手が湿り、控えの端へ触れるのをやめた。
エルナが話す番になった。
彼女は最初に、返還された二つを開けていないことを述べた。
それは怠慢でも、治る機会を捨てたのでもない。
父と話し、まだ開かないという選択を続けている。
そこへ、この場の判断を混ぜないでほしいと言った。
次に、失われた一つについて話した。
父が持っていた、幼い娘の雨の日の記憶。
娘である彼女自身にも、その出来事を同じ形で覚えている保証はない。
だから二人のどちらかが説明し直せば補える、と数えられるものではなかった。
「父が持っていたものです」
彼女は言った。
「私が代わりに持ち直すことも、皆さんが金額にして返すことも、できません。でも、それで何も払わなくていいことにはしないでください」
声が一度切れた。
俺は口を閉じていた。
彼女は自分の指を机から離し、続きを言った。
父の暮らしに増えた負担、手続のために休んだ仕事、返還を求めるのに使った時間。
数えられるものを一つずつ数えた。
俺は、数えられない悲しみだけを語る方が、聞く側には都合がいいのだと知った。
悲しみなら黙って頭を下げていられる。
失った仕事の日数には、支払先がある。
ベレスへの担当停止と、複数の関係者の責任範囲は、その日の審査で示された。
回収の適否を決める持場から外し、記録と本人の意向を確かめずに包括署名を根拠として進めた点を、個人の判断として認めた。
指示を出した部署と、控えを受け付けた側の不備も、別に残された。
補償額の細部は、明細の確認が要る。
すぐに金が入るわけではなかった。
それでも、いつ誰が次の返答をするのかは、その場で書かれた。
俺の返済が、それで消えるとは書かれなかった。
エルナは控えを受け取り、日付を確かめた。
ベレスは少し離れた場所で、自分の担当を引き継ぐための書類を渡していた。
部屋の外へ出ると、雨が降っていた。
俺は何か言おうとしたが、勝ったね、とは言えなかった。
彼女は扉の下の乾いた場所に立ち、紙を袋へ入れた。
「何か食べたい」
ようやく言った。
「何がいい?」
「自分で選びたい。でも、お店を探すのは今日は頼んでもいい?」
俺は頷いた。
道の向こうに、湯気の上がる屋台があった。
雨を避ける席が二つ空いている。
俺は走り、戻って来て、彼女の荷ではなく、雨の当たりにくい道の方を指した。




