島にある名前
岬を回った先で、俺たちは小さな漁の舟と会った。
乗っていた男は、こちらの声が届くところまで近づくと、船の横腹に書かれた名を先に確かめた。
サーヴァの知り合いではない。
知らない船へ近づくには、向こうにも理由と警戒があった。
彼はザロと名乗った。
沖から来た大きな船が島へ入ったという話を聞いていないかと尋ねると、知っている、と答えた。
ただし船名までは覚えていない。
客を乗せていて、帆の縁が裂けていた。
入ったのはメルイの入り江だという。
海図の上で、サーヴァが指を止めた。
「ここか」
「その石の印を、そう呼んでるなら」
ザロは不満そうに言った。
「石しかないわけじゃない。小屋も井戸もある。勝手に水を使われると困る」
俺は、困るのは分かるが今は人が、と言いかけた。
だが、その井戸を使っているのも人だった。
知らない船を助けるために、自分たちの明日の水がなくなってよいわけではない。
「食料と、水を持ってきてる」
サーヴァが言った。
「入れる道を教えてほしい。案内の分も払う」
ザロは風を見た。
「今は外の岩へ寄せるな。夜になったら、明るい水へも入るな」
「明るい水?」
俺が聞くと、彼は俺の顔を見た。
「見れば分かる。見ても、岸だと思うな」
説明が足りない、と以前なら腹を立てただろう。
今日は追加で聞いた。
どのあたりが明るくなるのか、いつからなのか、それが危険を増やす理由は何か。
ザロは、浅いところへ群れが寄るのだと答えた。
魚なのか、別の小さな生き物なのか、彼自身も詳しい名を知らなかった。
ただ、その光で水面の境を間違えた船を見たことがあるという。
彼の知識は全ての答えではない。
だが、俺の知らない夜を何度も見た人の知識だった。
*
メルイへ向かう途中で、雨が戻った。
細い雨は痛くなかったが、顔へ当たり続けると目を開けにくい。
俺は紙を袋へ入れ、見たものを覚えておこうとした。
魔法を使っていなくても、人は見落とすし忘れる。
記録の必要は、失う能力があるからだけではない。
島が見える頃には、光が傾いていた。
入り江の外で、サーヴァは船を止めるよう命じた。
岸には低い家が見え、一本の高い棒に布が結ばれていた。
だが、その時点では何の合図か分からなかった。
風で裏へ巻かれ、形が見えない。
「近づけば、読める」
俺は言った。
「近づく許可のための旗を、近づいて読むな」
サーヴァは言った。
俺は黙った。
さっき危険へ寄せたばかりなのに、目的へ向かう方向を常に正しいと思ってしまう。
俺は舷側へ身体を寄せ、旗が一度でもほどけるのを待った。
風が回り、布が広がった。
淡い長方形に、濃い継ぎ布が残っていた。
俺は息を吸った。
村の湾で何度も上げ下げした形だった。
継ぎ目を邪魔だと思ったことも覚えている。
整った一色の旗より、あの不揃いが目印になる。
「こちらは無事。近づかず待て、の型だ」
俺は言った。
「読めた範囲は、それだけ?」
「それだけ」
エルナが生きている、と続けたかった。
旗を上げた人の中に彼女がいるとは、まだ分からない。
それでも、岸に判断している人がいることは分かった。
サーヴァが舷側の見える位置を示した。
俺はそこで片腕を頭上へ上げ、動かさずに止めた。
見た、と返す、村の湾で習った形だった。
岸の人がこちらを確かめ、旗を下ろした。
それを見届けてから俺も腕を下ろし、ようやく少し息を吐いた。
合図を知っていることは、相手の事情を全部知ることではない。
ここまで待った人々が、今も待てと言っている。
その判断へ、俺は自分の焦りを優先させないようにした。




