祭の夜の契約書
エルナが三か月の仕事を引き受けると決めたのは、港の小さな祭の日だった。
祭のために決めたわけではない。
契約の返事の期限がその日で、俺たちの予定より先に街の暦があっただけだ。
昼の工房で、彼女は責任の範囲を二か所直し、最終の支払いの時期を確かめた。
俺は隣に座らなかった。
外の階段で、船へ積む小さな箱を膝に乗せて待った。
彼女が困れば呼べる場所にいることと、話の中心へ入り込むことは違う。
出てきた彼女は、肩の力を少し抜いていた。
「決まった」
「うん」
「顔が、変」
「応援してる顔の練習中」
エルナは笑った。
それから、俺の隣へ座った。
「無理に嬉しそうにしなくてもいい」
「嬉しいところもある」
「知ってる」
「面白くないところも」
「それも」
俺は少し救われた。
だが、分かってくれることと、こちらの気分に従って仕事を取りやめてくれることを、混ぜないようにしなければならなかった。
夕方になると、港の広場へ布が張られた。
魚を焼く匂いが風に乗り、いつもは荷車の通る場所へ長い卓が並ぶ。
子供たちは濡れた石へ滑りそうになりながら走り、叱られては方向だけ変えた。
大人の言うことを聞くという動作には、驚くほど多くの解釈がある。
俺たちは一枚の皿へ食べ物を取りすぎた。
焼いた魚、甘い根菜、細く切った海藻を粉でまとめたもの。
エルナは最後の品を二つ取った。
俺は香りが苦手だったが、彼女は気に入ったらしい。
「これ、家でも作れるかな」
「材料を持って帰れば」
「乾いたのを探してみる」
帰る話をする彼女を聞いて、俺はここで働くことと向こうへ帰ることが、彼女の中で同じ未来に入っているのだと少し理解した。
楽器が鳴り、人が輪を作り始めた。
エルナは行きたいと言った。
俺は踊りを知らないと言った。
知らないなら見て覚えれば、と返された。
俺の前世の知識は、こういう実用の場ではいつも品切れだった。
輪の中で足を踏まれ、俺も誰かの足を踏んだ。
最初の謝罪の後は、笑って場所を直すだけになった。
エルナは上手くなかったが、失敗するたびに肩を揺らして笑った。
仕事で紙を傷めたときの硬い顔とは違う。
彼女を一つの性格へ揃えようとしているのは、俺のほうなのだろう。
汗をかいて輪から出ると、レクが屋台の板へ肘をついていた。
片手で器を持ち、もう片方で焼き物の串を外している。
「医者なら、踊りも上手いと思われる?」
俺が聞くと、彼は変な顔をした。
「さあ。錠前屋は、踊りの下手さを仕事のせいにできる」
「何て言うの」
「膝が錆びてる」
エルナが声を出して笑った。
俺は、先に言えばよかった、と本気で思った。
*
祭の帰りに、今後の支払いを確かめた。
灯りの下で金銭の話をするのは、雰囲気を壊すどころか、これから彼女がここで暮らす時間を現実のものにした。
ロイの支援費、俺の送金、手紙を運んでもらう代金。
どちらかが働けなくなったときに連絡する相手。
エルナは宿を替える予定だった。
工房に近い家の二階へ部屋を借り、朝の通りを減らせる。
窓が東を向いていて、仕事前に明るいという。
「鍵は、誰が持つ?」
俺が聞くと、彼女は貸主と自分だと答えた。
俺の分は、と言いそうになった。
次に来る予定もないのに、持っていれば近くにいるような気がしたのだろう。
「住所を、二通書いてくれる?」
代わりに頼んだ。
「失くす?」
「一通は工房に。もう一通は自分で持つ」
彼女は頷いた。
部屋へ戻ると、買った小鉢が卓に置いてあった。
包むのはまだ先だった。
俺はそれを棚の端へ勝手に寄せず、明日の朝に使うのか聞いた。
「使う」
彼女は答えた。
だから、そのままにした。
別々の場所で暮らす準備は、大きな言葉だけでなく、今夜ここにある器へ手を伸ばさないことからも始まった。




