↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忘れ潮の灯台守  作者: Tpump6957
まだ生まれない名
PR
47/196

雨の下の控え

記録は、人を待っている間に傷む。


それは比喩だけではなかった。


俺たちが訪ねた古い製本工房は、前の大雨で天井から水をかぶっていた。


壁へ寄せた棚の下には、乾かすために広げた帳面が並び、頁の間へ挟んだ布が茶色く染まっていた。


ここには過去に別の受理者の名を訂正した記録があるという。


工房主は年を取った男で、指の節が太く、握ったものを離すのに少し時間がかかった。


エルナがまず壊れた頁を見せてもらえるか聞くと、彼は顔をしかめた。


「見せ物じゃない」


「直す方法を、一緒に考えたいんです」


「直せと言われたら考える」


俺は横で黙った。


仕事を手伝うと言えば必ず歓迎される、という期待を、俺も持っていた。


見知らぬ若者に自分の道具を覗かれたくない日はある。


結局、まず依頼した控えの所在だけを調べてもらい、俺たちは表の軒で待つことになった。


雨が降り出した。


道の土が濃い色へ変わり、軒の先から落ちる水が小さな穴を作った。


腹が減ったが、途中で食べ物を買いに行って呼ばれたら困る。


レクが紙袋を開くと、例の果物が半分残っていた。


今度は俺も受け取った。


甘かった。


その後から少し酸味が来た。


「医者の知識が残ってたら、稼げたかな」


レクが唐突に言った。


「分からない」


「正直だな」


「僕の知識も、そんなに稼いでないから」


彼は笑った。


俺は自分で言って少し傷ついたが、事実が毎回こちらへ配慮してくれるわけではない。


「何か一つ、すごいことをすればさ」


彼は雨を見た。


「育ててもらったことを、全部返せると思ってた。そうすれば、仕事を選んでも何も言われないって。でも、医療の試験へ行く日は、手が震えた」


俺は隣で、湿った外套の端を絞った。


「僕は、すごいことをした後も返してる」


彼がこちらを見た。


「迷惑をかけた分を。自分が助けた人数を数えると、もう十分じゃないかって思う日がある。でも、壊した相手と助けた相手は、いつも同じじゃない」


「俺は、壊したかどうかから争ってる」


「そうだね」


俺は頷いた。


似ているから分かる、と言いかけていた。


似ているところだけ取り出すのは、相手を自分の例題にすることでもある。


工房の中から、何かが倒れる音がした。


扉を開けると、棚の下にいた主が肩を押さえていた。


高いところの帳面を引いたとき、板が一枚外れたらしい。


エルナが椅子を寄せ、俺は落ちかけた箱を支えた。


箱は重く、雨に湿った底が薄く開いていた。


「離すな」


主が言った。


「離したくても、まだ離せない」


レクが作業台を下へ滑り込ませた。


三人で少しずつ箱を下ろし、ようやく床へ置いた。


俺の手に木の棘が刺さっていた。


小さな傷でも、こういうときには自分だけ大損をした気になる。


箱の中身を確かめる作業を、今度は手伝わせてもらえた。


許された範囲の帳面を番号ごとに置き、底が濡れたものを分ける。


エルナはすぐに剝がさず、頁の端の湿りを確かめた。


俺が一枚を持ち上げかけると、紙が小さく音を立てた。


「待って」


彼女が言った。


俺は止まった。


大切なものを助けたい焦りが、大切なものを破ることがある。


知っているはずのことを、指先でまた習った。


探していた控えは、その箱の下から二冊目にあった。


十年以上前、仕立ての仕事を選んだ受理者が、旧い分類の職へ従わないことを理由に給金を差し押さえられた。


本人が成人後に署名した借入れと、引受家の保全契約は別だという判断が、控えには記されていた。


だが、俺たちの思う完全な答えではなかった。


「こちらの事例は、家が一部を放棄した和解ですね」


エルナが言った。


「レクの家が同意しなければ、そのまま使えない」


俺は肩を落とした。


古い正しい判決を見つけて皆が納得する、という便利な話ではない。


ただ、区別して扱われた事例が、確かに一つあった。


その人が仕立ての仕事を続け、料金を受け取った記録も。


レクは最後の頁を長く見た。


そこに書かれていたのは、誰かの名前と、補修した上着の数だった。


「こういう記録が欲しい」


彼は言った。


「一度だけ、認めてもらったっていう記録より、次の年もその仕事をしてたって分かるやつ」


雨は夕方まで止まなかった。


俺たちは工房主に乾燥の補助を頼まれ、働いた分の金を受け取った。


好意で十分だと言いかけたのを、エルナが目で止めた。


俺は差し出された銅貨を受け取り、今日乾かした帳面の番号を控えに書いた。


借りた布はまだ湿っていたので、元の場所へ戻す前に、どこへ干せばよいか聞いた。


帰り道、レクは新しい箱の留め金を指で押していた。


冷えた手では、やはり少し固そうだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。