番号で呼ばれる人
エシュルは、着くより先に鳴り始めた。
金属を打つ音。
車輪が敷石の継ぎ目を越える音。
樽を転がす男たちの掛け声が、舟に近づくにつれて別々の声へほどけていく。
背の低い家が斜面を上り、その屋根の間から幾本も竿が伸びていた。
乾いているのは服だけではなく、海藻や魚や、何に使うのか分からない細長い袋だった。
港の灯台は灰色で、途中から六角になっていた。
アルヴェインの塔と同じものを大きくした形ではない。
窓も階段の張り出しも違い、足元には後から付け足したらしい小屋が幾重にも寄っている。
サーヴァは接岸する前に、役人の小艇へ書類を渡した。
俺が降りようとすると、ユストに肩を掴まれた。
「今は荷だけ」
「僕、荷を持ってる」
「なら荷を置け」
上陸にも順序があった。
歓迎される旅人という役柄は、俺の中でしか用意されていなかったらしい。
検査台では、薬草の包みを一つ開かれた。
検査の女は匂いを嗅ぎ、紙へ何かを書いた。
母が結んだ紐を別の形に直されるのを見て、俺は少し不機嫌になった。
だが、中身を確かめない相手へ安心して渡せるものでもなかった。
財布も開いた。
ロスカで使っていた銀貨は一枚ずつ秤へ乗せられ、縁の削れたものだけ別へ置かれた。
「同じ大きさなのに」
「削った分は軽い」
検査の女は当然のことを言った。
当然のことを金銭で教えられると、人は損をした気になる。
俺は交換した銅貨を数え、手数料の書かれた札をもう一度読んだ。
エルナはその間、記録の袋を膝へ抱えていた。
役人が手を伸ばすと、開く範囲を聞く。
船の荷札と本人の身分を示す紙だけを先に渡した。
俺は以前なら、何も隠していない証明として全部見せていただろう。
そして、他人に属する秘密を売ったことに後から気づいたに違いない。
ようやく板を渡って陸へ上がると、身体はまだ揺れていた。
「地面が動いてる」
「それはもう、あんたのほうだね」
サーヴァが言った。
俺は地面への謝意を一部撤回した。
*
名簿室は港の上の通りにあった。
扉の前で、男が錠前と喧嘩していた。
片手に紙袋、もう片方に鍵を持ち、鍵穴の縁を睨んでいる。
紙袋から白い粉が落ちていた。
「入らないんですか」
俺が声をかけると、男は顔を上げた。
俺とそう違わない年頃に見えた。
頬に煤の線が一本あり、左の眉が途中で細く切れていた。
「入る。回らない」
「油を差すとか」
「粉を吸って固まる」
「ああ」
早くも俺の知識は一往復で役目を終えた。
男は袋を俺へ差し出した。
俺が受け取ると、両手を擦り合わせ、指を曲げ伸ばししてから、鍵を半分だけ抜いた。
少し戻し、押し直す。
金属が短く鳴り、扉が開いた。
「ありがとう」
「僕は何も」
「袋を持った」
彼は袋を取り返し、そのまま建物へ入った。
俺は後に続いた。
焼き菓子でも入っているのかと思ったが、袋の底から落ちたのは白い研磨粉だった。
廊下には濡れた紙と古い木の匂いがした。
受付の机には背の低い仕切りがあり、名前を呼ばれた人が一人ずつ奥へ入っていく。
男は順番札を取り、壁際へ座った。
俺たちがアルヴェインからの照会状を出すと、すぐに別の部屋へ通された。
そこにいたのがディオルだった。
薄い色の上着の袖口をきっちり折り、首から細い紐で小さな札を下げている。
年は三十代の終わりくらいだろうか。
机の上には三本の筆があり、全て先を同じ向きへ揃えていた。
そういう机を見ると、俺は自分の袖が汚れていることを急に意識する。
「第七岸の受理照会ですね」
彼は俺の名より先に、紙の番号を読んだ。
「こちらの系列へ換算すると、外受二七四、枝九。あなたが、その接続先ですか」
「ノア・アルヴェインです」
「ええ。現在名は承っています」
現在名。
その言い方が、借りている外套の呼び名に似ていた。
エルナが隣の椅子へ座り、書き取る紙を開いた。
「記録にも、その名前を先にお願いします」
ディオルは一瞬だけ顔を上げた。
それから名前を書き、番号を小さく添えた。
拒みはしなかった。
だから俺は、この人へ腹を立てるのは早いのかもしれないと思った。
「照会された未出生者については、どの範囲をご存じでしょう」
「これから生まれる人の記録が、そちらにあると」
「まだ接続していない原本の分類です」
言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。
ディオルは机の端から薄い帳面を取り、図を開いた。
庫の印、線、その先に小さな人の形。
線の横に、接続、と書かれている。
「先の人生を見た記録ではありません。外から受理された体験群を、出生した身体へ渡す以前の状態を、古い分類では未出生と呼びます」
俺は図を見た。
未来に俺の子供がいるのではなかった。
まだ生まれない俺自身の別の姿でもなかった。
別のどこかで生きた人生が、ここへ届いている。
「何人も、いるんですか」
声が乾いていた。
ディオルは、どちらを尋ねられたのか分からないという顔をした。
「未接続の原本ですか。既に接続した方ですか」
俺は返事をしなかった。
その質問の仕方だけで、答えは十分だった。




