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忘れ潮の灯台守  作者: Tpump6957
船を出すまでの春
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35/196

死んだ男の荷物

死んだ男は、朝の坂を悪態と一緒に上ってきた。


背負った包みの片側が膨れ、歩くたびに腰の鍋が鳴った。


村の犬がその音を面白がって追いかけるので、男は振り向いて叱り、振り向いたぶんだけ足を取られた。


最後は犬にではなく、道を作った誰かに文句を言っていた。


俺は仮置場の軒下で、荷受けの控えを整理していた。男が戸口の板を読むのを見ても、最初は客だと思った。


死人が注文書を持って現れる可能性など、昨夜の検討には含めていない。


「ナラはどこだ」


男は言った。髭の中に干した葉の切れ端が入り、左の靴には泥が厚く張りついている。


「支店なら、広場の奥です。お名前は」


「レムだ。うちの荷がここにあるはずだが」


俺は手元の紙を見た。紙に書かれた名前は、たいへん落ち着いた字で死んでいた。


目の前の男は、俺が返事をしないことに苛立ち始めている。名前と靴についた泥以外、死者らしいところはなかった。


いや、死者の靴がどういう状態か、俺にまともな知識はないのだが。


「レムさんは、沿岸の船で」


「乗れなかった。風で止まったんだ。途中から陸を来た」


「そうですか」


「そうだよ。で、荷物は?」


俺の背後には、油を引いた布、撚り糸、留め金、茶葉の包みが積まれていた。船造りの注文に便乗して、近隣の商売人がまとめて運んでもらった荷である。


俺はその受取人の一人であり、仮置場で他の受取人へ引き渡す仕事も頼まれていた。


昨日の夕方までは、滞りなく進んでいた。


死亡の速報が来るまでは。


ナラは、夫が先に手配していた布を取りに来た。村の広場に借りた小さな店で売るのだという。


既に予約を取ってあり、今日の市に間に合わせる必要があった。


彼女は夫の死亡を伝えられると、一度だけ戸口へ目をやった。それから、知らせを見せて、と言った。


あのとき俺は、その順序を不審に思った。


泣きもしない。椅子へ崩れ落ちもしない。


まず紙を確かめ、布を受け取ろうとする。


夫を失った妻にふさわしい反応を、俺はどこかで見た物語から幾つも持っていて、目の前の女がそのどれも選ばないことを疑った。


ナラの持つ受取状には、速報と同じ日付があった。別の便で本人から知らせが来た、と彼女は言った。


俺にはそれが、辻褄を合わせるため用意した紙に見えた。


「明日まで待ってください。確かめないと、僕の名前で渡せません」


俺はそう言った。


言い方だけなら慎重な人間だった。実際には、皆が悲報に沈むなかで一人だけ不正を見抜く自分を、少し気に入っていた。


今、その自分が、死んだはずの男と向かい合っていた。


「本人か、確認する必要が」


「俺が?」


レムの声がひっくり返った。俺は、自分の商売上の用心がますます小さな袋へ押し込まれていく気がした。


それでも、一度疑うと言った以上、何も確かめず撤回するのもまずい。面倒なのは、後者には本当の理由があることだった。


「ナラさんを呼んできます」


「俺が行く。足が二本とも動くうちにな」


彼は戸口に包みを下ろし、その上へ鍋を置いた。鍋の底がひどく歪んでいる。


生還に必要な道具というより、持主と一緒に苦労してきた荷物に見えた。




*




市の朝は、晴れていても地面が濡れる。


桶からこぼれた水と、洗った根菜の泥と、家畜の足跡が広場の端に集まっていた。


干し肉を切る包丁が台を叩き、温めた乳の匂いが、まだ冷たい空気へ甘く伸びている。


レムは串焼きの前で足を緩めたが、俺に見られていると気づくと、何もなかったように歩いた。


ナラの店は、戸板二枚を台にしたものだった。並ぶはずの場所に品がなく、彼女は古い布の端切れを畳み直していた。


客は一人もいない。


夫を見た瞬間、ナラの指が止まった。


レムも止まった。俺は二人の間に立ちかけ、どちらの役にも立たない位置だと気づいて脇へ退いた。


「その鍋は?」


ナラが聞いた。


「割引で買えた」


「鍋を買ってる場合だったの」


「煮る物があったから」


「便が止まったら、次の知らせを寄越してって言ったでしょ」


「寄越した」


「こっちじゃなくて、前の店へ」


レムが口を閉じた。ナラは台の端を握ったまま、しばらく夫の足元を見ていた。


濡れた靴の先から、泥が一片剝がれて落ちた。


「もう、そっちには泊まってないって」


続きは声にならなかった。レムは一歩近づき、妻の肩へ手を伸ばしてから、途中で止めた。


手のひらが汚れていたのだろう。上着へ擦りつけても綺麗にはならず、結局、その手でナラの腕を掴んだ。


彼女は払いのけなかった。ただ、随分と強く夫の袖を握り返したので、縫い目が細く張った。


俺は広場のほうを向いた。


串焼きの脂が炭に落ち、小さく炎が上がっていた。焼き手は慣れた手つきで串をずらす。


こういうとき、人の顔を見ないために見る物は、なるべく普通のものがよかった。


「それで、この人が荷を止めた人」


ナラに紹介され、俺は振り向いた。紹介としては正確だった。


できれば別の特徴も含めてほしかったが、何も思いつかなかった。


俺たちは荷受けの控えと知らせを、空いた売台の上へ並べた。ナラは客が来たら脇へ寄って、と言った。


夫が生き返った朝でも、売場は売場だった。


レムの持つ運送控えには、荷を先に陸路へ回したことが書かれていた。油布の反数と、糸の包みの数。


ナラの受取状にも同じ数字がある。俺たちが仮置場で受けた数とは、茶葉の包みが一つ違った。


「それは俺が持ってる」


レムは包みの脇へ結んでいた小袋をほどいた。


「箱の底が割れたから抜いた。向こうの荷積み役に書かせたぞ」


紙の下端に、小さな追記があった。折り目の内側に隠れていたため、俺は昨日、そこまで開いていなかった。


ナラは布端に縫いつけられた印の位置も言い当てた。受取状だけでなく、この店が前から使っている注文帳にも同じ印がある。


俺は死亡の知らせを読んだあとで、そうしたものを見なくなっていた。


偶然かもしれない。同じ帳面を借りたのかもしれない。


詐欺ならそこまで用意するかもしれない。


疑い始めた人間の頭は、何でも詐欺の証拠に加工できる便利な作業場になる。便利すぎて、まともな商売が一つも入れなくなる。


エルナが来たのは、その頃だった。俺が昨夜渡した控えを抱え、広場に荷が出ていないのを見て眉を寄せた。


「止めたまま?」


「本人が来た」


紹介すると、彼女はレムへ挨拶し、俺を責めるより先に、どの品が今日の客へ渡る予定だったか聞いた。ナラは布と糸を指した。


茶葉は後でいい、とも言った。


「荷を渡せるか、先に決めよう。知らせの間違いを全部調べるのは、そのあとでもできる」


エルナは俺にではなく、荷受けの依頼をした商人にも聞いた。その男は、レムを以前から知っていた。


昨日は別の市へ出ていたため、俺は直接会って確かめる手間を惜しんでいたのだった。


「こいつで合ってる。値切るときの顔が、もう少し嫌らしいが」


「お前が高く言うからだ」


レムは言い返した。男は笑ったが、俺は笑えなかった。


受取状の委任も有効だと確認できた。レムが元気に店先へ立っていなくても、ナラは夫から預かった荷を受け取れた。


俺は自分の知らない余計な問題を増やして、既に確認できたことまで止めていた。


仮置場へ戻る途中、ナラが俺の隣へ来た。


「あの人が死んだって聞いて、私が泣かなかったから?」


俺はすぐ答えられなかった。


「それも、ありました」


「泣いたら渡した?」


彼女は前を見ていた。乾いた風がエプロンの端を鳴らす。


問いに怒りはあったが、俺を立ち止まらせて返事を迫ることはしなかった。


「分かりません。僕が勝手に、変だと思いました」


「そう」


そこで会話は終わった。俺にはまだ、いかに注意を払う必要があったか、過去にどんな不正を見たか、話せることが幾つもあった。


どれも彼女の布を昨日渡さなかった理由にはなりきらず、俺が悪い人間だけではないと分かってもらうための話だった。


荷の一番下の布には、仮置場の床の湿りが移っていた。


薄い染みだったが、市へそのまま並べられる状態ではなかった。エルナとナラが広げ、風を通すため長い棒へ掛けた。


レムは何も言わず、残りの荷を運んだ。夫婦が俺を叱るより、仕事を始めてしまったことのほうが堪えた。


俺は運び手を一人頼み、増えた手間賃を自分で払った。布の値下げ分は、乾いたあとで見てもらうことになった。


共同の注文の費用へ紛れ込ませないよう、俺の帳面に書いた。


数字は小さかった。小さな失敗でこれだけ嫌な気分になるのだから、俺はどうして毎回、失敗する前だけ自分を安く見積もれるのだろう。




*




知らせを運んだ男の控えが揃ったのは、午後だった。


彼は死亡を確かめた人ではなく、沿岸から陸路へ回された商用の速報を書き写して持ってきた人だった。港で欠航が続き、別の小舟が戻らなかった。


その舟に乗り換えた者の名を、定期船の乗船予定表から拾ったという。


レムはその小舟にも乗っていなかった。陸路へ移ると伝えた相手と、名簿をまとめた相手が違った。


最初の文では、彼の名の脇に、生存未確認、とあった。


後の短い写しでは、消息を絶った人々を一括して扱う見出しの下へ入り、さらにこちらへ回された紙では、その見出しが死亡の速報になっていた。


誰も彼の遺体を見ていない。死亡を正式に認める手続が終わったわけでもない。


だが、その区別が俺の胸に届くより早く、店の品は止まった。


「ここに、同じ日付があります」


俺は、二枚の知らせの上を指した。


「ナラさんが見た受取状と、昨日来た知らせです。だから、後から届いたほうが新しい情報だと」


エルナは二枚を上下に置いた。紙の上端には、確かに同じ日が書かれている。


だが下の一枚の脇には、小さな字で追記とあった。


「この欄は、案件を最初に受けた日」


彼女は知らせを運んだ男へ確かめた。男は頷き、帳面を出した。


「同じ件の追加だからな。新しく頭を起こすと、別の荷だと思われる」


「追記が着いた日は?」


「こっちの欄外だ。写しには入れなかった」


俺は、その小さな日付を読んだ。二枚の上端を比べているあいだ、ここには別の日があった。


さらにレムが陸路から出した生存の知らせは、ナラの以前の店へ向かっていた。転送され、支店に来るはずの荷車へ載せられ、まだ途中にある。


ナラが昨日持っていたのは、それより先に別の取引先から届いた、レム自身が荷を渡したことを確かめる受取状だった。


紙は一つも未来から来ていなかった。どれも、出された場所から、その紙に与えられた道を来た。


その途中で、見出しが短くなり、日付が一つになり、道が遠回りした。


俺は、よく整った紙を二枚持って、それだけで人の妻を疑った。


エルナは新しい紙に、案件受付日、信号実到着日、転記日、と三つの欄を作った。口頭で運ばれた知らせも、ここでは到着した知らせとして記録する。


発信日は原文に書かれたものをそのまま別に置き、分からないところを勝手に埋めなかった。


「欄が増えると、紙が足りなくなる」


運び手の男が言った。


「同じ紙を少し横に使ってみる。書けない場合は、どの日付か一言添えてほしい」


彼女は線を引き直した。男は渋い顔で見ていたが、やがて自分の帳面を寄せた。


エルナの字の半分ほどの大きさで書くので、目を近づけなければ読めない。


「それでは僕が読み違えます」


俺が言うと、男はようやく笑った。


「お前の目に合わせるのか」


「僕より悪い人も、たぶんいます」


控えには、消息不明から死亡へ言葉が変わった箇所と、生存を確認した根拠を残した。


元の知らせを捨てて綺麗な訂正だけにすれば、何が起きたか分からなくなる。運び手は、次の便で上流の取引所へ訂正を返すと約束した。


俺は別に一枚書いた。ナラに不正の疑いがあると口にした相手へ、自分で見せるためだった。


詐欺の共犯という言葉を、俺は本人のいないところで使っていた。


間違ったと知らせるのは、間違いを見抜いたと知らせるよりずっと足が重かった。それでも、荷の届け先を回るときに持っていった。


二人目には、へえ、そうなの、と言われた。三人目は既に生存を聞いていた。


四人目は、何の話か忘れていた。


俺だけが、全員に忘れてほしかった。




*




市が終わる頃、ナラは台の下から小鍋を出した。昼に食べ損ねた豆の煮物だった。


レムが持ってきた歪んだ鍋は、広場の端で新しい持主を探していた。結局、火に掛けると傾くことが分かり、売物にするのを妻に止められたのである。


彼は仕方なく、水を汲むのに使っていた。


俺とエルナは片づけを手伝い、冷えた豆を少しずつ分けてもらった。湿った布は乾いたが、端に残った染みは消えなかった。


値下げした分の支払いを済ませても、ナラの顔が急に柔らかくなることはなかった。


「今日は、最初に来る人へ売りたかったの。あの人、朝しか来られないから」


彼女は空いた場所を見た。誰かの損とは、帳面で釣り合いを取ったあとにも、こうして残るものだった。


レムは豆を口へ運び、噛みながら妻の指先を見た。


「指、切ったのか」


「紐を切るとき。見れば分かるでしょ」


「深いのか」


「あなたがいないあいだに治るはずだった」


彼は何か言いかけ、豆をもう一匙すくった。ナラはその器へ残りを足した。


自分の分が減ると、夫のパンを取った。レムは抗議しなかった。


俺は、昨日の彼女が泣かなかったことを思い出した。こうして器を寄せる手も、袖を掴んだ指も、俺の知っている悲しみの形に従うため動いているのではない。


「あの知らせ、燃やしてくれ」


レムが言った。


「間違いがあった記録として、控えは残します。出回った先を確かめる必要があるので」


「じゃあ、見えるところに、生きてるって書け」


「書きました」


「字を大きく」


俺は紙を見せた。彼は読んで、まだ小さい、と言った。


ナラが笑った。短い笑いで、疲れのほうが深かったが、レムはそれを聞いて少し肩を落とした。


俺は余白へ、本人来着、生存確認、と大きく書き足した。その下に今日の到着日を書いた。


昨日の誤りを覆うほど大きくせず、でも見落としようのない字にした。


帰り道、広場には濡れた藁と、萎れた葉と、売れ残った一つの鍋があった。


エルナはその鍋を一度振り返った。


「欲しいの?」


「いらない。安い物を見ると、使い道を考えてしまうだけ」


「分かる」


「あなたは、買ったあとで考えるでしょう」


反論の余地はあった。そうでない買物も幾つかしたはずだった。


具体例を探しているうちに彼女が先へ歩き、俺は追いつくため足を速めた。

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