安いものから燃やす
五歳の夏、俺は初めて一人で火をつけた。
場所は物置の裏で、燃やしたのは父の靴紐だった。
正確には落ちていた麻の端を拾ったつもりだったが、その端は戸の隙間を通って靴へ続いていた。
世界の物体には、見えないところでも連続性がある。
前世で学ばなかったわけではないが、魔法の成功に夢中な人間には不要な知識だった。
最初に差し出した記憶は、前のアパートのごみ置き場だった。
潰れた缶、濡れた段ボール、誰かが貼った注意書き。
その場所で夜中にごみを捨て、足音を聞いて逃げた朝のない時間。
何年分も似た場面があり、一つなくなっても困らないと思った。
頭の奥で、結び目がほどけるような感覚がした。
場所の名前は残った。
何をしたかも説明できる。
けれど、風景を内側から眺めようとすると、平らな言葉しか出てこなかった。
さっきまで鼻についた生ごみの臭いが、遠い百科事典の記述になった。
麻紐に火が走った。
俺は慌てて踏み消し、焦げた靴を土でこすった。
それから父に、鼠が齧ったのではないかと言った。
父は黒くなった紐を嗅ぎ、俺の煤けた指へ目を移した。
「この頃の鼠は火を使うのか」
「進歩してるんじゃない」
その返事をしたことは、殴られなかった幸運とともによく覚えている。
父は長く息を吐いて、俺を作業台の前へ座らせた。
「火打ち石を使え。濡れてどうにもならないときに、初めて魔法を考えろ」
「でも、できたよ」
「できることと、することは違う」
父は新しい紐を通しながら、俺の顔を見なかった。
褒めてもらえると思っていたので、俺は腹を立てた。
才能を持つ子供は、親を選べない。
そういう悲劇の側に自分を置くと、焦げた靴について考えずに済んだ。
父は最後に、木の板へ二本の線を刻んだ。
一方の端に鉤をつけ、もう一方を短く止める。
「これが止め目だ。教えないで使われるよりましだから教える。差し出したものが尽きる前に、流れを止める」
俺は身を乗り出した。
父は俺の指を掴んだまま、しばらく離さなかった。
「いいか。思い出を一つ選べても、どこまで繋がっているかは、自分でも全部は分からない」
面倒な注意事項だと思った。
俺の関心は、火より便利なものへ移っていた。
小さな風を起こすのは、案外簡単だった。
息を吐いた感覚に記憶を結び、指の間に流す。
夏の便所で使えば快適だが、土埃も一緒に舞うことを学んだ。
水を少し押し上げる魔法は、桶運びの最後の坂だけを楽にした。
何もないところから水が出るわけではなく、手を離せば落ちる。
俺はその程度の不便を、改良の余地と呼んだ。
ミアには見つかった。
洗濯桶の水を浮かべているところへ通りかかった彼女は、感嘆する代わりに自分の靴を脱ぎ、濡れた中敷きを俺に見せた。
「落とすなら先に言って」
「落としたんじゃない。制御の途中」
「途中で私が濡れたんだけど」
九歳の姉は、俺の高度な事情説明に全く敬意を払わなかった。
結局、彼女の靴が乾くまで薪割り用の木屑を集めさせられた。
魔法で乾かすことは許されなかった。
記憶がなくなるのを、俺は最初、清掃に似ていると思っていた。
辞めた会社の階段。
携帯の契約に行った店。
隣室から聞こえた喧嘩。
取っておく理由のないものを便利な力に換えられるのだから、これほど合理的な技術もない。
その考えが最初に揺らいだのは、母に前世の料理を作ろうとした日だった。
じゃが芋に似た根菜と、獣乳、干し肉。
材料を集めたところまではよかった。
だが、白い煮込みの味が分からなかった。
名前は知っていたし、とろみがあることも覚えていた。
塩を入れ、粉を混ぜ、温めると、それらしい外見にはなった。
口に入れれば温かくて重いだけで、知っているはずの味へ辿り着けない。
「粉、炒めた?」
母が鍋を覗いて聞いた。
俺は知っていたふりをして頷いた。
母は何も言わず、小鍋で粉と脂を炒め始めた。
香ばしい匂いが広がっても、それだという確信は来なかった。
俺が捨てたのは、アパートで食べた安い弁当の記憶だったはずだ。
けれどその夜、弁当を食べながら実家の煮込みを思い出していた。
その繋がりを、火は一緒に辿ったらしい。
俺は台所の隅で泣きそうになった。
今さら料理一つに執着する自分がみっともなく、焦げたから目が痛いのだと言った。
鍋は焦げていなかった。
母は完成した煮込みを四つの器へよそい、五つ目を出しかけて手を止めた。
戸棚へ戻す音だけが少し強かった。
「変な味だったら残していい」
俺が言うと、ミアは匙を口に入れたまま首を振った。
「おいしいよ。ノアの考えたやつでしょ」
考えたのは俺ではない。
けれど、その訂正はしなかった。
褒められる機会を失うのは惜しかったし、説明すればもっと大切なものを手放す気がした。
父はおかわりをした。
母は炒めた粉を少し残して、次のために壺へ入れた。
その晩、新しい料理が家に一つ増えた。
俺が何をなくしたのか、誰も知らなかった。
七歳になる頃には、村で最も賢い子供だという噂が立った。
主に俺が、噂の材料を慎重に提供した結果である。
数を数えられないふりをやめ、父の獲物を売るときに釣銭の間違いを指摘した。
畑を順番に休ませればよいと提案して、農家の老人から既にそうしていると教えられた。
石鹸で一財産築く計画は、母が既に灰汁で洗濯していたことで終わった。
世界は俺が転生するまで何も考えずに待っていたわけではないらしい。
不親切な話だった。
それでも、読み書きを習い始めると評判はよかった。
冬だけ村へ来る書記に教わり、文字を覚えた俺は、薄い板に前世のことを書きつけた。
紙は高く、父の余り木だけが無料だった。
『母。短い髪。蜜柑の筋を取る。車の中。海』
板を眺めても、その光景が強くなることはなかった。
ただ、失う前に何があったかは残せる。
俺は文字を指でなぞり、もっと書こうとしてやめた。
前の人生がどれほど惨めだったかを、物として保存したくなかった。
その代わり、魔法で一日に動かせる水の重さを書いた。
三十一年分の資産を使って何ができるか。
俺はまだ、そちらの帳簿をつけていた。




