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忘れ潮の灯台守  作者: Tpump6957
明日へ返す灯
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誰のものでもない明日

試験の日、灯台の前に記憶を差し出す人々が並んだ。


全員が喜んで来たわけではなかった。


仕事として報酬を受ける職人もいれば、帰る土地のために出す者もいた。


出さないと決めた者もいた。


その名を、帳面へ目立つように書くことはしなかった。


オルネは一人ずつ希望する範囲を聞き、適合するものだけを小さな封片へ移した。


保存したまま試験が終われば本人へ返す。


使えば体験は戻らない。


連想の近いところまで傷む可能性もある。


説明を聞いて列を離れた者には、帰るための通り道を空けた。


俺は操作台で、使う順序を確かめた。


都市の事故では、折り畳まれた距離を記憶の帰路で無理に繋いだ。


今回は先に水のための道を掘り、家を移し、向こうとこちらの距離を測り直した。


魔法で保たなければならない時間を短くし、その間の仕事を分ける。


記憶の力で何でもできるわけではない。


できない部分を身体と道具で埋めて初めて、必要な代償が人に選べる量になった。


それでも、俺の担当する最後の照合は軽くなかった。


この土地で生まれた現在の道と、外から来た海の感覚を区別して扱える者が必要だった。


俺は唯一の候補ではなかった。


セラにもできる。


だが彼女は向こう側の人々を長く繋ぎ留めてきたため、操作をすると帰還者への連鎖が起きやすい。


俺のほうが危険の範囲を小さくできる。


それが担当する理由だった。


選ばれた英雄であるほうが、楽だったかもしれない。


比較してましだから引き受ける仕事には、運命に責任を預ける余地がない。


差し出す記憶を、俺は三つ選んだ。


母と薬草を探した山道。


父の背で村を見下ろした春。


トマの水車へ材を運び、自分の妬みを話した昼。


どれも家へ帰るための道を持ち、この土地を指すことができた。


失いたくなかった。


だから、それらを選ぶまでに二晩かかった。


要らないものを出すのが上手くなったのではない。


要るものを失うときに、何が起きるかを他人にも伝えるようになっただけだった。


母は俺の書いた内容を読み、紙を畳んだ。


「薬草の道は、また一緒に歩ける」


「同じにはならない」


「ええ。私も年を取ったもの」


母は笑った。


簡単に取り戻せると言わなかった。


そのことがありがたかった。


最初の照合は、予定通りに進んだ。


塔の下で歯車が回り、開いた水路へ塩水が細く流れた。


東の畑の先に、灰色の光が帯のように現れた。


水面だった。


遠くの森は消えず、水の向こうへ遠ざかって見えた。


空間に押し込められていた距離が、少しずつ開いていた。


俺は一つ目の記憶を流した。


母の背籠を追って歩いた道が、形を失っていった。


植物の名は残ったが、母が振り返って俺を待ったときの陽の傾きがなくなった。


二つ目では父の肩の高さが消えた。


地面から離れる楽しさを説明できても、その喜びの中へ戻れなかった。


灯室の壁に、明るい線が一本増えた。


地下ではセラとダナが、残る十四人を渡らせていた。


先に移った六人の札は、朝の点呼で既に裏返してある。


自分で荷物を持てない子から通し、エルナとミアが地上で名を確認した。


人が上るたびに札が一枚ずつ裏返される。


二十枚の札は、ただの人数ではなかった。


顔と、荷物と、苦手な食べ物を俺たちは知っていた。


十七枚目で、壁の線が逆に動いた。


足元が揺れた。


遠くの水面がこちらへ迫った。


古い保持回路が、開いていく境を故障とみなし、元の形へ戻そうとしていた。


オルネが補助の弁を閉じた。


動きは止まらなかった。


封片の一つが裂け、白い粉になった。


「古い基準名が残っている」


老人は低く言った。


俺たちはそれを想定していた。


都市の帳面では、最終の管理者名を外せば自動保持は止まるとされていた。


だが実物には二重の基準があった。


現任者の名と、その者が守るべき土地の名。


片方を外せば、もう片方から新しい管理者を引き入れる。


灯台は一人を求めていた。


名前と居場所の関係を全部差し出せば、その人間を灯台の基準として使える。


地上の人々から切り離し、ここに留めておく仕組み。


セラたちが帰れなくなった事故も、この仕組みが破れかけたときに起きたのだろう。


俺は操作環を見た。


自分が残れば済むのか、と考えた。


その考えには恐怖だけでなく、奇妙な甘さがあった。


全てを引き受けて消えれば、これ以上返済に追われず、関係をやり直す苦労もなく、立派な人間として終われる。


死ぬ三日前から善人だった俺に、よく似た解決だった。


「ノア、手を離して」


エルナが灯室に入ってきた。


地上の引き継ぎを済ませ、俺の状態を見に来たのだった。


俺が環へ手を近づけているのを見て、顔色が変わった。


「まだ触ってない」


「考えたでしょう」


否定できなかった。


彼女は俺へ近づいたが、腕を掴まなかった。


「あなたの代わりに、賛成も反対も決められない。でも、私が戻ってきたあとを、またあなた一人で決めないで」


俺は手を下ろした。


思いついた犠牲へ飛びつくのも、相談する面倒からの逃避になり得る。


立派な姿をした逃げ道は、見つけにくかった。


オルネが図を広げた。


ダナから伝声管に声が届いた。


残る三人を戻すには、数分の保持が要る。


「自動保持そのものを切る」と俺は言った。


「境が開くぞ」


「だから水路を作った。全部の水を一度に押し込めなければ、地面の形で流せる」


理屈は正しかった。


問題は、準備した水路で足りるかだった。


ダナは測量値を読み上げた。


村の東道を越える恐れがある。


避難は済んでいるが、空けた家と畑をさらに失うかもしれない。


操作の決定者三人へ知らせが送られた。


俺は待った。


早くしろと思いながら、待った。


返事は、全員を上げてから切断、だった。


俺は三つ目の記憶を差し出した。


トマの水車、柔らかいパン、自分の嫉妬を認めた口の動き。


許されなかったまま一緒に働いた昼が、静かに薄くなった。


壁の線が止まった。


数分だけの、俺の人生の長さだった。


そのあいだに、下から帰還者が一人上ってきて、十八枚目の札が裏返った。


階段に残った荷を押し上げ、ハルが地上へ出た。


その後ろにセラ。


二十枚の札が全部裏返ってから、最後を確かめたダナが姿を見せた。


父が物理の梃子を押し、俺が流れを切り、オルネが二重の基準を外した。


三人の動作は、訓練のときより遅く、ぎこちなかった。


それでも順序は守った。


塔の奥で、何かが長く息を吐いた。

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