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忘れ潮の灯台守  作者: Tpump6957
明日へ返す灯
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海を迎える前に

市との交渉は、椅子の数を数えるところから始まった。


村から来た者が六人、境の内側から二人、記録院から三人、立会人が一人。


十二人分の椅子を並べると、役所の小さな会議室はいっぱいになった。


セラは父の隣に座り、少年の叔父にあたるハルという男は、戸を何度も振り返っていた。


閉じ込められてから地上へ出たのは、今回が初めてだった。


ベレスは、存在が公的に確認されていない住民への補償は手続が難しい、と言った。


「存在は、ここに座ってることで確認できるだろう」


ダナが答えた。


「過去の居住と財産の話だ」


「そこを証明できないようにした設備を、そちらが維持してる」


空気が固くなった。


俺は言い合いが始まることに少し期待した。


怒って正しさを示せば話が進む気がするのは、今も変わらなかった。


エルナは紙を出した。


食事の領収書、靴の代金、古い出生記録。


それぞれ別の家に残ったものだった。


一枚なら誤記かもしれない。


だが、同じ名前が違う土地で同じ季節に動き、親族と年齢が重なる。


人が生きていたことは、偉大な石碑より細かい支払いのほうがよく証明した。


「一枚の台帳に全てを合わせる方法では、この事故の確認はできません」


彼女は言った。


「繋がれた記録が一緒に壊れたから。別々の記録を、別々のまま照合してください」


立会人が紙を受け取った。


ベレスはその人へ顔を向け、手続の変更が必要だと言った。


必要なら提出してください、と返され、初めて言葉に詰まった。


彼が万能の悪役でないことに、俺は改めて気づいた。


彼も規則の中で力を持ち、規則の別の部分に止められる人間だった。


二週間の交渉で、全てが解決したわけではなかった。


当面の避難者として二十人を登録し、その間に出生と居住を審査する。


村の三軒には建て替えの材と共同の人手を出し、失う畑の分は市の備蓄から二年分の穀物を支給する。


三年目以降は土地の配分を見直す。


海を戻したあと何ができるか、誰にも予測できないからだった。


不満は残った。


支給が少ないと言う者も、事故の責任がない人間の税を使うなと言う者もいた。


俺の過去の署名を取り上げ、調査から外せという意見も出た。


俺は悔しかったが、署名の事実は否定できなかった。


操作の決定者は村と市と帰還者から別々に選び、俺は技術を担当するだけになった。


以前なら屈辱だったと思う。


今も少し屈辱だった。


ただ、俺一人に全部を決めさせない仕組みは、俺自身を含む多くの人に必要だった。


村へ戻ってからは、土を掘った。


その間にも、歩ける道が保たれている日は、人と荷物を少しずつ上へ運んだ。


胸の悪い老人を含む六人は先に地上の小屋へ移り、母とミアが様子を見た。


残る者たちは向こうの家を片づけ、地上の住まい作りを手伝い、夜には戻った。


役所との話が終わるまで全員を待たせる理由はなかったし、本人が置いていきたくない物を、こちらの都合で捨てさせることもできなかった。


地図の線に沿って道具を動かすと、紙の上では小さな曲がり角だった場所に大きな岩があった。


避ければ水が隣の畑へ行く。


割れば日数がかかる。


ダナとトマが何度も測り直し、結局、水車小屋から借りた梃子で少しずつ動かした。


トマは十九に近い俺と、同じくらいの背になっていた。


腕は俺より太かった。


アニと結婚すると聞いたのは、土を休ませる昼だった。


俺はおめでとうと言った。


そのあとで、胸の奥に小さな針を感じた。


昔、自分が好かれたかった女が、友人と暮らす。


その程度の嫉妬が、まだ残っていた。


トマは俺の顔を見て、何だよ、と笑った。


「いや、先を越されたと思って」


「競争だったのか」


「僕の中だけで」


彼は笑い続けた。


俺も笑った。


人間の醜いところは、話してしまうと小さくなることがある。


ただし、話せば何でも許されるわけではない。


その区別を、少しは覚えたつもりだった。


アニは蜂箱を高台へ移した。


海から風が来るようになったら、花の咲く時期も変わるかもしれないと言った。


彼女は未知の水を美しいとはまだ思っていなかった。


蜂が塩風で死なないか心配していた。


「見たかったんだよね、海」


彼女が俺に聞いた。


「うん」


「じゃ、見えたあとも手伝ってね」


俺は頷き、彼女の抱えていた空の蜂箱を一つ受け取った。


箱の底から、乾いた草と古い蜜の匂いがした。


海が戻る日までに、残りを高台へ運ばなければならなかった。


セラと母が会ったのは、そんな作業の途中だった。


母は灯台まで来る予定だったが、家畜の下敷きになった男の手当が長引いた。


セラは地上の明るさに目を細めながら、家まで歩いてきた。


父と俺が付き添ったが、戸口では二人だけにした。


母は前掛けを外し、手を洗った。


洗ってあるのに、もう一度水を流した。


妹に触れるための手を、どう用意すればよいか分からないようだった。


「リナ姉さん」


セラが言った。


母は頷いた。


目に涙が浮かんだが、抱きつかなかった。


「ごめんね。覚えてないの」


「知ってる」


セラは答えた。


何処かで聞いた言葉だった。


今度は俺が、外からその残酷さを見ていた。


母は戸を大きく開けた。


「入って。疲れたでしょう」


セラは窓際の椅子を見つけた。


足が止まった。


椅子に触れ、座面の裏へ手を回した。


確かめる場所を知っていた。


「まだ、低い」


彼女はそう言って笑った。


父が頷いた。


「直しかけた。すまん」


「低いのがよかったの」


「今は知ってる」


セラは座った。


ほんの少し腰をずらし、傷めた足を伸ばした。


部屋の中の空気が変わった気がした。


誰かが戻ったからだけではない。


ずっと理由の分からなかった家具が、初めて一人の身体に合ったからだった。


母は湯を沸かした。


「甘いの、入れる?」


「少しだけ」


記憶のある姉妹なら聞く必要のなかった質問かもしれない。


母は聞き、妹は答えた。


俺には、そのやり取りがとても大切なものに見えた。

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