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忘れ潮の灯台守  作者: Tpump6957
地図の外の家族
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知らない人の涙

目を覚ますと、手に傷があった。


指の間を厚い布で巻かれ、左の手首に赤い跡が残っていた。


部屋は知っていた。


工房の客用の寝台だった。


窓から隣の屋根が見え、雨樋の外れたところで雫が落ちていた。


椅子に女が座っていた。


短い髪、目の下の隈、爪の脇の黒い汚れ。


俺と年の近い人だった。


疲れているのに目が離せない顔だと思った。


そう考えた自分に、こんなときまで、と少し呆れた。


「水、飲める?」


彼女は聞いた。


俺は頷いた。


差し出された器を、自分で持とうとした。


指が曲がらず、水が零れた。


「ごめんなさい」


俺が言うと、彼女の顔が変わった。


ほんの小さな変化だった。


口元が固くなり、瞼が一度だけ閉じた。


それから彼女は布で水を拭いた。


「謝らなくていい」


「あなたは、工房の人?」


彼女は返事をしなかった。


俺は失礼なことを聞いたのかと思い、説明しようとした。


「事故に遭ったのは分かる。

誰かと地下へ行って、でも、その人が」


「分かってる」


声がかすれていた。


女は膝から灰色の帳面を取り、俺に渡した。


表紙は俺のものだった。


母にもらい、何度も綴じ直した帳面。


栞代わりの木片に、トマの歯車の印があった。


開く場所を彼女が教えた。


『この女を忘れるな。

お前はこの人を愛している』


俺の字だった。


下に、彼女へ何かを要求するな、とあった。


その下に名前があり、金と署名の話が続いていた。


読み進めるほど、俺が知らない人間として自分を説明していた。


俺は顔を上げた。


「エルナさん?」


彼女は頷いた。


その頷きの途中で、涙が落ちた。


口を結んでも止まらず、彼女は袖で拭いた。


俺に見られたくないようでもあり、目を逸らされたくないようでもあった。


抱きしめるべきなのかと思った。


そういう役目を、俺は失う前に引き受けていたらしい。


だが今の俺が何も感じないまま触れたら、彼女にはそれが分かる気がした。


俺は帳面を閉じなかった。


「今、何をすればいい」


エルナは答えようとして、声が出なかった。


しばらく呼吸を整え、やっと言った。


「今は、ここにいて」


俺は頷いた。


窓の外で、都市の水が引いていく音がした。


人々が石畳を洗い、戸を開け、濡れたものを運んでいた。


戻ってきた街の片隅で、俺は目の前の人を知らなかった。


それでも立ち上がらずにいた。

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