空の舟を帰す
試験に借りた舟は、ひどく臭かった。
魚を運んだあとに洗ったそうだが、洗うという動作と、洗い終えたという状態の間には深い溝がある。舟底へかがんで綱を結ぶと、俺は何度もそこへ落ちそうになった。
岸で見ていたユストは、終わるまで笑いを我慢しなかった。
「吐くなら外へ」
「仕事の前に言ってほしかった」
「言っても臭いは減らん」
その通りなので腹が立った。
舟は短い試験の水路に置いた。港の内側で、昔の荷を返すための細い口だけが、まだ動く。二つの端は歩けば二百歩ほど離れているが、古い溝が通る時だけ、互いの杭が同じ入江の両端に見えた。
片側の手綱をユストへ渡し、もう片側へサーヴァが回った。人を乗せず、空舟だけを引く。通り終えたら、札が戻った分だけ口を外す。海水を消す試験ではない。舟を曳く水面の道順を、一度使って終わらせる試験だった。
カザは俺の隣で膝をつき、留め具の向きを確かめていた。
彼女がレンネルへ来たのは、俺を助けるためというより、港の道具の追加注文を受けたからだった。到着してすぐ、俺がまた厄介な所へ指を入れているのを見て、嬉しそうな顔をした。競争相手が困ると機嫌がよくなる職人は、信用できる部分と、できない部分が分かりやすい。
「その先、替えなさい」
彼女が言った。
「まだ使える」
「私の先端の評判を落とすのに使える」
俺は道具の爪を外した。掌で押すと留めが解ける。濡れた指でも爪先を立てずに済んだ。代わりの薄刃を入れ、カザへ渡すと、彼女は試しもせずに刻みの隙間へ差し込んだ。
「自分の道具は大事にしてると思ってた」
「僕のじゃない所から傷むんです」
「いい言い訳。今度使う」
彼女の背後には、小さな木箱が置いてあった。
帰着のために用意した束が三つ。短い文字を送る薄片が二枚。箱の外へ、今日の試験用の細片が一つ出してある。用途に合うものを揃えるため、カザとイェトは別々の工房から取り寄せた。値を聞いてから、俺はサーヴァの食べる干し肉の厚さが気になるようになっていた。
「三つで足りますか」
俺が聞くと、イサナは船の数を見た。
「途中で新しく往かせなきゃね。最初の二つで、近い枝。残りが長い方。こちらから次の船を入れれば、その船が戻るまで待つ仕事が増える」
イサナはカザの箱へ触れなかった。
「だから、港を止める人が要る」
俺は東岸の方を見た。エルナは小屋の前で、船主と話していた。話しかけられているのか、口論になっているのか、遠くからでは分からない。彼女の手が胸の前で二度動き、船主が頭を掻いた。
「やるよ」
サーヴァの声が飛んだ。
試験片を器へ置く。乳白の筋が、日の光の中でくっきり見えた。
俺は昔の溝の縁を開き、今の輪へ戻る細い枝を一つずつ塞いだ。力をあちこちへ引っ張らせず、帰りの口にだけ使う。数年前なら、その細い枝を飾りの傷と思ったかもしれない。いまは余計に残された指先の形に見える。
空舟が動いた。
ユストが綱を送り、サーヴァが自分の方へ引いた。舟の影が水の上を滑った。向こうの杭の横を通り、こちらから見ればまだ中ほどにいる。その妙な遠近のずれが、舟底の黒い汚れまで二重に見せた。
「待って」
俺は片手を上げた。
一か所だけ、筋の流れが中央へ引かれていた。
図にはない新しい橋が、二本の線を跨いでいた。俺は指で触れず、薄刃を当てた。柔らかい金属が昨日か今朝、押し入れられている。ラウゼンの締結を楽にするためのものだった。
空舟の舳先が横へ寄った。縁が杭へ当たり、乾いた音がした。
「引くな、そのまま!」
サーヴァは綱を腕へ巻かず、杭の周りで一度返していた。俺の声で掌の中を滑らせ、舟の角度だけを止めた。ユストが短い鉤で縁を押した。
カザが俺の手首をつかんだ。
「それを切ると、下も切る」
俺は刃の角度を変えた。彼女が薄い木片を隙間へ差し、その上に新しい橋を浮かせる。俺は木片へ刃を寝かせ、柔らかな金属だけを掻き取った。
舟がまっすぐになった。
向こうの杭が近づき、サーヴァの綱が緩んだ。舟は普通の水面へ抜け、底を少し擦って止まった。
俺は帰着札を返した。
輪の一か所が閉じた。押し戻そうとする力が抜け、古い小さな留めを、手だけで外せた。
水面に舟は残っていた。
向こうの杭は、もう歩いて二百歩離れた杭にしか見えなかった。
試験片は透明になっていた。俺はそれを指に挟み、光へかざした。もう一度使うつもりで覗いたのではない。何に使ったのかを、自分の目で終わりまで見ておきたかった。
カザは岸へ腰を下ろした。
「通ったね」
「通りました」
「臭いも帰ってきた」
ユストが笑った。サーヴァはもう舟の側板を調べ、杭へ当たった傷の深さを見ていた。借り物に傷を付けた代金まで俺が持つのかと考えていると、彼女が顔を上げた。
「見てたか」
俺に聞いたのではなかった。
岸の階段に、ラウゼンが立っていた。側には当番の男と、港でよく見る見回りが二人いる。
「見た」
彼は答えた。
「無理に中央へ戻す線を入れれば、ああなる」
俺が言うと、ラウゼンは俺を見た。
「試験を認めたのは、この水路までだ。主塔には触れさせない」
「昔の輪なら帰せます。あなたも見た」
「そして、帰した口から私の港は遠くなる」
彼は階段を上った。
俺は立ち上がりかけた。追って説得する言葉なら、頭にはいくらでも出てきた。しかしサーヴァが、借りた舟を返すのが先だと言った。
俺はその舟へ、もう一度綱を掛けた。




