悪くない椅子
ラウゼンが俺を通したのは、冬に話した広い部屋の隣だった。彼が一人で使う私室は、予想していたより狭かった。
港が見える机は大きい。そのせいで客の椅子を引くと後ろの棚にぶつかる。棚には船の模型があった。飾り物にしては船底が擦れ、帆の端を粗い糸で直してある。
俺が見ていると、ラウゼンは子供の物だと言った。
「あなたの?」
「私が子供だった時の」
それきり模型へ触れず、机の上の箱を開けた。
中には新しい刻線具が並んでいた。先が薄く、長さも揃っている。俺は一本を持ち上げたいと思った。思ったことを顔へ出さない程度には、年を取ったつもりだった。
「主任の道具だ。君の手に合わせて作り直せる」
俺は椅子へ深く座り直した。
「冬の話は、断りました」
「承知している。条件を変えた。彼女の負担を、今の設備へ合うやり方で引き継ぐ。君なら、余計な動きを減らせる」
提示された給金は、冬の額からさらに増えていた。住む所は塔の南棟。エルナの修復室の話も、必要な紙を買える費用を加えて、もう一度出された。
俺は一瞬、そこの窓辺へ彼女の机を置いた。
よく日が入り、作業を続けても食卓を片づけろと言わなくて済む。俺の道具も、床にしゃがんで研がずに済む。借家の梁が低いと文句を言ったのは、俺だった。
「彼女の仕事は、彼女へ頼んでください」
「もちろん。まず君に、条件を見てもらっている」
ラウゼンは、ごまかしている様子がなかった。この条件が二人のためになると、本当に思っていたのだろう。
「帰着の照合を一人で引き受ける時間は」
「日により違う」
「船が遅れたら?」
「待ってもらう」
「その間、僕は外へ出られない」
「イサナよりは短くできるはずだ」
俺は箱の中の道具を見た。
刃の一本に、指を置く窪みがあった。そこへ俺の指が合うかどうかは、持ってみなければ分からない。だが、ここでそれを持てば、相手は話が一歩進んだと思う。その期待を断る作業まで増やしたくなかった。
「村に、僕の仕事があります」
「代わりは立つ」
「立てました。いまは、帰ってくる約束で」
ラウゼンは口を閉じた。
窓の下を大きな荷車が通った。覆いの布が膨らみ、車輪が石のくぼみを越えた時、何か柔らかいものが荷台で揺れた。食べ物か、寝具か。短縮航路が止まれば、その荷はもっと長い道を来ることになる。
「この港に来る物の半分は、冬の間、短い道を使った」
ラウゼンは言った。
「君は一便を海沿いに通した。見た者は喜んだ。私も喜んだ。しかし一便通ることと、港が冬を越すことは同じ量ではない」
俺はうなずいた。
それは本当だった。俺たちが通した道は、手間も船も必要になる。余った船が勝手に生まれるわけではない。売る物を減らす者も、値を上げる者も出る。そこを綺麗な未来の一枚絵にして押しつければ、俺はまた自分の好きな結果だけを先に描いたことになる。
「だから、冬から荷を減らす相談をしました」
「私もした。だが、皆が減らしたいのは隣の荷だ」
少し笑いかけて、俺は笑えなかった。
「僕も、高い給金は好きです」
ラウゼンが俺を見た。
「さっきの額なら、この椅子に座った自分を一度は想像しました」
「悪い想像だったか」
「かなりよかった」
それは嘘ではなかった。
俺は箱を、相手の方へ少し戻した。
「でも、帰りが遅れた船の代わりに僕が待つ暮らしを、妻には約束していません。イサナさんが出られなくなった理由を知ってから、同じ椅子をもらうのは嫌です」
ラウゼンは箱を閉めなかった。
「彼女は、何度も自分で残った」
「今は出たいと言ってます」
ここで、彼の顔に怒りが出た。
その表情を見て、俺は腹の中が冷えるのを感じた。相手を怒らせたら話が進まなくなる。頭ではそう分かるのに、もっと言ってやりたい気持ちもあった。恥をかかせたい。イサナの前で、今朝の板をもう一度見せたい。
俺は指を組んだ。爪が掌へ食い込んだ。
「一巡だけ、戻せます」
言いたかった罵りの代わりに、用意していた図を出した。
昔の太い輪へ、今使っていない帰着の溝が残っている。往きと帰りをずっと固定せず、入った船の札を一つずつ送り返す。その最後に中央から切り離せば、以後の海は遠くなるが、人が枝の中へ残らない。
「君の案なら、短い航路は終わる」
「この集中のさせ方は終わります」
「私は港を守るために、君を呼んだ」
「僕は人が帰るために、来ました」
声が硬くなった。うまい返事をした気はしなかった。互いに同じ港を見ているのに、相手の指すものが、どうしてこんなに遠いのだろう。
ラウゼンは図を受け取らなかった。
「三日後の満潮だ。期限は動かせない」
「それまでに試験を見てください」
「空いた時に」
俺は図をしまった。
椅子を引くと、棚へぶつかった。小さな船が傾き、俺は反射で手を出した。船底を掌で受け、元へ戻した。古い帆の継ぎ糸が指に引っかかった。
「すみません」
「構わない」
ラウゼンは立ち上がらなかった。
廊下へ出たあとも、俺の指には模型の軽さが残っていた。あの男も昔は、このくらいの船を水へ浮かべ、遠くへ行きたかったのだろうか。
考えても分からない。
階下でイサナが俺を待っていた。籠ごと持ってきた黄色い実を、こちらへ突き出した。
「どうだった」
「いい給金でした」
「惜しいね」
「ええ」
俺は実を一つ取った。今度は心構えがあったので、顔をしかめずに食べられると思った。
無理だった。
イサナはまた笑った。




