海を閉じた人たち
主照合塔の足元には、使われなくなった荷車の道があった。
今の港から見ると、途中で石壁へ突き当たり、不自然に終わる。夏には草が覆っていて分からなかったが、冬枯れの中では、轍の向きがよく見えた。
ラウゼンは俺たちをそこへ連れていった。
「昔は、この先へ抜けた」
壁の向こうに海は見えない。現在は小さな家が並び、子供の服が干してある。
「開ければ、元へ戻るんですか」
俺は聞いた。
「今ある家の下へ、以前の出入口が来る。水の流れも変わる。全部戻せばよい、では済まない」
彼は近くの戸口へ声を掛けた。
老いた男が出てきて、俺たちを家の裏へ通した。そこには平たい石があり、端へ金属の輪が埋まっていた。男はその輪へ、薪を割る時の台を繋いでいた。
船を留めた輪だと、ラウゼンは言った。
男は頷いた。
「親父の代からこれがある。ここの土を掘ると、いくらでも貝が出る」
男の妻が窓から、土を掘る前に戸の傾きを直せと声を掛けた。
俺は反射的に戸を見た。
ラウゼンも見て、苦笑した。
「彼に見せると、仕事が増える」
塔へ戻ると、エルナが修復した地図を広げた。
一枚の図へ、何度も色が重ねられていた。最初は、帰る船を確かめるための線がある。その上へ、寄り道を短くする線が足された。さらに中央へ名を集める線が入り、枝のいくつかを横切って黒い線が引かれていた。
最初から、今の形を作ろうとした人間はいなかった。
近い岸へ帰す。
長い岬を回らずに荷を運ぶ。
戦の間、相手側の船を通さない。
名の重複を中央で揃える。
壊れた所の修繕が済むまで、そこだけ外す。
一つひとつが、その時には役に立ったのだろう。
エルナは黒い線の下へ薄紙を入れ、浮かせた。
閉じるという字の前に、小さく、仮に、とあった。
その仮の閉鎖は、何十年も図に残っていた。
ラウゼンは黙って見ていた。
「避難が済んでから閉じるはずの所に、人が残ってる」
エルナが言った。
「数は別冊へ送られた。閉じた側の帳面からは消えた」
俺は紙へ指を置かなかった。
あの湾から帰ってきた二十人を思い出していた。俺の叔母たちも、消えた側に暮らしていた。十九という最初の数が、そのまま命の数として残っている間に、二人が死に、三人が生まれた。
その時間は、線が引かれた紙の上では進まなかった。
エルナが広げた次の図には、船の線と別に、土地の名を結ぶ細い線があった。近くの家の人々が、あの岸に誰が住むかを思い浮かべる、その繋がりまで使う古い隔離の仕組みだった。ロスカで読んだ〈境定め〉の控えと、抜かれた金具の位置が合った。
母に妹がいたことと、その妹がセラであることが繋がらなくなった理由を、叔母は話していた。海も同じように切られたのだろうと、俺たちは考えていた。
その、だろう、の部分が目の前にあった。
「道だけを閉じたんじゃない。そこを探そうとする行き先まで、外してる」
俺が言うと、エルナは細い線の先を押さえた。
紙に書いた名前も、家に残った椅子も、消えなかった。だが、そういう物から、そこにいた人へ辿る繋がりが切られた。紙を見つけて知り直せても、失われた家族との体験が戻らなかったのは、そのためだった。
ラウゼンは、今の港の図を隣へ置いた。
「船の出入りを締める線は、こっちだ。古い土地の隔離を、今また動かすつもりはない」
太い接続を辿ると、実際に使う管も別だった。今いる船を帰し、中央への集約を止めるために、家族や故郷への繋がりをもう一度燃やす必要はない。その区別を、俺は現物の位置まで確かめた。
「どうして、そのままに」
聞くと、ラウゼンは窓の外を見た。
さっきの家々が見えた。
「一度閉じたあとに、別の暮らしができた。開け直す工事には金も人も要る。そのままでも中央の荷は動いた。後回しにした者がいて、次の者は、もうそういう地形だと思った」
彼は紙へ目を戻した。
「すべてが事故でも、すべてが悪意でもない。だが、残った人間には理由の違いなど関係なかっただろう」
俺は、彼の言葉を信じかけた。
理解している人だと思った。
そのラウゼンが、次に言った。
「だから、今度は先に行き先を中央へ集める。枝の維持を減らし、こちらを強くする」
エルナの指が止まった。
俺は、彼を見た。
「枝にいる人は」
「使う船を減らす。必要な物は中央から送る。今の全部を残す余裕はない」
「帰ってくる道まで?」
「同じ数の帰り方を残せるとは言っていない」
ラウゼンの声は落ち着いていた。
彼の背後で、冬の光が窓を白くしていた。俺は、さっき掬った粉の小さな山を思い出した。その粉を食べる町を守るため、彼はどの岸を遠くへするつもりなのだろう。
塔の奥で、金属の短い音が鳴った。
イサナのいる部屋からだった。
ラウゼンは顔を上げ、俺たちとの話を切り上げた。急いで廊下を歩く。俺も後を追った。
イサナは台へ片手を置き、もう一方の手を自分の膝へ押しつけていた。
小さな原片の白い筋が、一つ消えるところだった。急な食い違いに備えて、イサナ自身が以前、帰着を合わせた短い感触を封じておいた片だと聞いていた。
来た船の行き先が中央の一覧とずれ、彼女は備えていたその一片を使い、食い違った帰着を合わせていた。海水の全部を支えているのではない。照合の食い違いを、ここにいる一人へ返していた。
船の印が揃った。
イサナは手を離した。
「今日は、このくらいにしておきたい」
彼女は言った。
言い終えてから、窓の方を見た。
次の船は、もう港口へ入っていた。




