母の手の大きさ
受理所を離れる前に、俺たちは棚を戻した。
空の容器と、検査帯と、古い紙。それぞれを元の場所へ放り込まず、湿りの来ない部屋へ移すことになった。管理の女が乾いた棚を一段空け、底に新しい板を敷いた。
二枚の受理痕は返却の荷にした。
結局、これを俺が持ち帰って毎朝眺めても、増える答えはなかった。器の底の凹みも、窓の斜めの三角も写しに残した。写しで足りないことは、現物を見た俺とエルナとダナとセラが、それぞれの言葉で残した。
調べる前なら、もっと紙があれば安心できると思っていた。
今は、紙を抱えて寝たくはなかった。
帰りの船で、セラは俺の肩を枕にした。
寝ているのかと思えば、波が大きくなると自分で背を起こす。痛む脚の場所を直してから、また少しだけ寄りかかってきた。
叔母の頭は、思ったより重かった。
俺は肩が痺れても、しばらく動かなかった。
「動いていいよ」
目を閉じたまま、彼女が言った。
「寝てなかったの」
「寝かけてた。あんたが我慢する気配で起きた」
「便利な気配だね」
「身内のは、うるさい」
彼女は笑って姿勢を変えた。
俺は腕を回して、肩の付け根を伸ばした。エルナが向こうで笑っていた。
レンネルへ戻ると、ラウゼンに会った。
荷の積み替えを見ていたところへ俺たちが通りかかり、彼は声を掛けてきた。忙しい男だった。話す間にも荷車を一台避け、人へ指で指示を出す。それでも俺の顔を見る時だけは、途中で目を逸らさなかった。
「分かったのか」
「僕のことは」
俺は答えた。
「古い受け方と、閉じ忘れた口のことです。今、僕に残っている危ない接続はありません」
ラウゼンは頷いた。
「それならよかった。イサナも気にしていた」
俺は塔の方を見た。
「会って帰っても?」
「今なら少し。午後は便が入る」
彼は道を空けた。
それだけなら、親切な人だった。
主照合塔の上で、イサナは黄色い果実の皮を剥いていた。包丁の先が途中で止まり、果肉へ深く入っている。俺を見ると、切りかけを卓へ置いた。
「酸かったろう」
「目が覚めました」
「いい物を選んだんだ」
俺は素直に礼を言った。
彼女は詳しい結果を聞かなかった。俺の顔を見て、ひとまず帰るんだねと言った。それから、残った半分を手に取り、皮の切れ目を指で広げた。
窓の外には港が見えた。
人が行き来し、舟が小さな波を押していた。あの場所へ、彼女が自分の足で下りたいと言ったことを思い出した。
「寒くなる前に、もう一度来ます」
俺は言った。
大きな約束にはしたくなかったが、ただ帰るのも嫌だった。
「その時は、自分で果物を選びたいね」
イサナは窓を見た。
俺は頷いた。
*
村へ着く頃には、日の傾きが少し変わっていた。
灯台へ上がる道の草が、先の方から黄色くなっている。父は上の窓を開け、油差しを持ったまま俺を見下ろした。
「帰ったか」
「帰った」
「そこの戸、閉めてこい。風で鳴る」
久しぶりの息子へ最初にさせる仕事としては、扱いが軽い。俺は戸を閉めた。閉めると、確かに鳴っていた音が止まった。
父は梯子を下りてきた。
俺の肩と、セラの荷を順に見た。
「脚は」
「文句を言ってる。持ち主に似た」
セラが答えると、父は笑い、小箱を受け取った。
家では、母が薬草の茎を束ねていた。
俺が入ると手を止め、一度だけ頭から足先まで見た。怪我がないか、痩せたか、何を食べてきたか。そういう目をしていた。
説明は、夕方にした。
セラも同じ卓に座り、ミアは仕事を終えてから来た。エルナは父の家へ先に帰っていた。俺の家のことを話す間まで付き合わせるのは、こちらの都合だった。
母へ、生まれた時の扱いを聞いた。
「塔の側から、保全の確認をしたって聞いた。熱が下がらない子や、乳を飲まない子のためにも使うからって」
母は答えた。
「あなたは、よく飲んだよ」
父が頷いた。
「寝て、飲んで、文句を言った」
「文句は分かったの?」
「あれは文句だった」
俺は少し笑った。
何を渡されたか、二人は知らされていなかった。日本の俺も、こちらの赤ん坊も、関わる人間の都合を聞かれたとは言えなかった。その事実を話す時、母の指が茎を折った。
乾いた音がした。
「知っていれば、聞いたのに」
母は言った。
誰へ何を聞いたかは、続かなかった。
俺は説明を急ぎかけた。最初に体験が来て、次の声が遅れてきた。もう閉じている。母が心配する危険は残っていない。
その説明だけでは、母の折った茎へ届かないと分かった。
母が知らなかったのは、危険の大きさだけではなかった。
「僕も、知らなかった」
俺は言った。
母は俺を見た。
しばらくして、手を出した。俺は何を渡せばよいか分からず、空の掌を見た。
「手」
言われて、出した。
母は俺の手を取った。最初に薬の匂いがし、その後で、少し荒れた指の感触が来た。俺の手の方が大きかった。母の親指は、俺の小指の下へ全部届かない。
「いつの間にか、大きくなるんだね」
彼女は言った。
俺はその手を握り返した。
父が椅子を少し引いた。ミアは折れた茎を拾い、使える部分を束へ戻した。セラは自分の椅子に深く座っていた。
窓から風が入り、卓の端の紙が動いた。
俺は母の手を離して、紙を押さえた。
夕飯の前に、灯台へ戻らなければならなかった。




