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忘れ潮の灯台守  作者: Tpump6957
はじめに届いた声
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読めない便箋

その夜、寝台へ横になってから、俺はまた起きた。


宿の外では、水桶を片づける音がした。誰かが明日の朝の船の話をし、別の誰かが、大きな声で返事をした。知らない町の夜は、こちらが何を知ったかに関係なく進む。


帳面の間に、古い封筒が挟まっていた。


帰還の灯台を動かす前夜、前の両親へ書いた手紙だった。


端が柔らかくなっている。何度も荷物の中で折れ、濡らさないよう別の紙へ包み直した。封の糊は一度も固めなかった。いつか書き足すかもしれないと思ったのか、届けられる時に困ると思ったのか、今でははっきりしない。


俺は古い便箋を広げた。


父さん、母さん。


日本語の字は、今より幾らか上手かった。それでも形の怪しい漢字があり、途中から平仮名が増えている。涙が落ちたところは、墨の縁が広がっていた。


電話に出なかったこと。


別に、と返したこと。


海で二人の人に助けてもらおうとしたこと。


別の世界の家族に助けられていること。


全部、その時に書いた。


もう一度書けば、届く場所が増えるのだろうか。便箋を千枚にしても、俺が閉じた携帯が鳴り直すことはない。


俺は古い手紙を畳み、新しい紙を出した。


最初の行に何を書くかで、長く止まった。


エルナが、向こうの寝台で体を起こした。


「灯り、上げる?」


「今のままで」


彼女は頷き、水を飲んだ。俺の背中を見張るように座らず、枕へ肘をついて、明日渡す控えの端を確かめている。指先が紙を滑る小さな音がした。


俺は、新しい紙へ、二十三になると書きかけた。


まだ二十二だった。


一度書いた数字を消すと、その下が黒くなった。


こちらへ来てから何年経ったと伝えればよいのか、向こうにも同じだけの年が経ったか、俺は知らない。父母が今何歳なのかも、生きているのかも分からなかった。生きていると書きたかったし、待っていると思いたかった。


それを書くための材料は、俺の願いしかなかった。


筆を置いた。


「エルナ」


彼女が顔を上げた。


「僕、最後に、別にって送ったんだ」


「うん。前にも聞いた」


「もっと言うことがあった」


声にしたら、当たり前すぎた。


怖い。右手が動かない。仕事へ行っていない。金はあるけど、この先が分からない。手伝ってほしい。母の声が聞きたい。そんなことを言えばよかった。


俺は、相手が聞く前に拒んだ。


何かを頼めば、また子供になった気がしたから。


「あの返事を見たあと、何を考えたんだろう」


エルナは紙を置いた。


少しして、寝台から降りた。


「分からない」


彼女は言った。


「私にも、そこは分からない」


俺の隣へ来て、椅子の背に手を置いた。それ以上は言わなかった。


母はきっと分かっていた、などと言われたら、俺は縋っただろう。あんな短い返事でも心配してくれたと、都合よく信じたと思う。それを今も欲しがっていた。


エルナは、知らない人の気持ちを俺へ贈らなかった。


俺は顔を掌へ押しつけた。


汗と、錆の残る指の匂いがした。


いつもなら、泣く前に一つくらい冗談を思いついた。今度は何も浮かばなかった。母へ送った二文字の短さが、何度も頭に返ってきた。


エルナが肩へ触れた。


「こっちへ向いて」


俺が椅子を動かすと、彼女は膝の前に立った。腹へ額を預ける形になった。服の布は柔らかく、風呂上がりの肌の温かさがその下にあった。


俺は両腕を彼女の腰へ回した。


抱き返されるまで、少し間があった。


「強い」


彼女が小さく言った。


俺は腕を緩めた。彼女の指が髪へ入り、汗で固まったところをほどいた。


こんな時まで、この人がいてよかったと思ってしまう。


その気持ちで、前の人生の不足を埋めたくはなかった。埋まるものでもなかった。ただ、今の俺の額が、彼女の腹へ触れている。それを離す理由もなかった。


泣きやんでから、新しい紙へ少し書いた。


何が分かったのか。


あの人生は、本当に俺が生きたこと。


砂浜へ来た二人に、まだありがとうと言えていないこと。


今、一緒に暮らしたい人がいること。


その人へ話す時、以前の俺はどんな息子だったか、取り繕わずに言いたいこと。


文字の分からない所は、平仮名にした。


書けなくなった漢字を、知らない難しい字で誤魔化すことはやめた。届く宛先のない手紙にまで見栄を張っていたら、紙の方から苦情が来る。


エルナは俺の横で座り、眠りかけていた。


俺は二枚の紙を別々に折った。


古い手紙へ、今の手紙を重ねる。


封筒に入れる前に、外へ日付を書いた。今日俺が書いたことまで、いつか生まれた日の欄へ入れられては困る。


「できた?」


エルナが目を開けた。


「少し」


「もう寝よう。明日は箱が重い」


俺は頷き、灯りの蓋へ手を伸ばした。


彼女が俺の袖を引いた。


「先に水、飲んで」


差し出された器を受け取った。底に残った水は温く、飲み干すと舌の塩辛さが少し薄れた。


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