閉め忘れた宛先
昔の担当者は、俺へ渡したあとで、宛先を閉じていなかった。
最初に読めた言葉は、それだった。
出生時の一回の受け渡しを終えても、短い知らせが通る方へ、同じ番号を仮に残す。それが当時の扱い方だった。子供の身体へ馴染むまで、異常がないか確かめるための道だと、説明が付いている。
本来は、次の確認で外す。
その確認の欄が空だった。
「忘れたの」
俺が聞いた。
管理の女は、壁の二本の管を見た。
「この年は、担当が移った。こっちを閉めた記録はある。向こうで引き継いだ記録も。でも、同じことをしたつもりで、別の場所を閉めてた」
管の継ぎ目には、新しい栓が嵌まっていた。
その下に、もう一つの細い枝が回っている。見えない場所を通し、予備の口へ戻る線。フェルドの作業場で見たものと、役目が似ていた。
担当者は主な受け渡しを終えた。空になった容器の口も潰した。しかし、既に体験が渡った相手を指す、仮の行き先だけが残った。
隔離されたセラたちが救難を送ると、開いていた予備口がその知らせを拾った。
新しい相手を探さず、残っていた行き先へ送った。
俺だった。
俺は、壁を見ていた。
腹が立った。
これほど長く怖がってきたことが、誰かの閉め忘れだった。しかも、一人が悪かったと言えば済むように、親切にはできていない。主口の担当、移管の担当、予備の知らせを扱った担当。それぞれの字が違う。
間違いが幾つも重なって、誰も最後まで見ていなかった。
「生まれた僕を、そこで調べたんですか」
俺は床の台を見た。
「赤ん坊は村にいた。受け口は村の塔の中継から、子供の側へ繋いでいたとある」
エルナが答えた。
「ご両親が受けた説明も、この紙の裏にある」
出生の保全。
寒さと衰弱を避け、身体が育つのを補助する。
そこに、外から一人の人生を受けるとは書かれていなかった。
母はその日、俺へ乳を飲ませていた。父は指を握ったと喜んでいた。あの二人が、知らない三十一歳の男を買ったのではなかった。
俺は胸の奥から息を吐いた。
安心して、それから、その安心を恥ずかしく思った。何も知らなかった両親に、自分を選んだ責任を負わせかけていた。
「二度目は、僕が赤ん坊じゃなくなってから届いた。それで、もう渡されていた人生の最後へ繋がった」
俺は声にした。
エルナが頷いた。
「過去へ送ってない。ここにいた幼いあなたへ届いてる」
「今の僕が、昔から順番に思い出すと、その間にある」
「うん」
俺は卓の端へ手をついた。
目を閉じれば、砂浜の女が顔を上げる。男が携帯を出す。冷たい砂に手が沈み、塔が現れる。そこから続いて、誰かの手が肩へ触れる。
今も、そう繋がっていた。
答えを聞いても、頭の中の景色が正しい順番へ並び直されることはなかった。白い塔を消して、日本の波だけを見ようとすると、かえってその橙色の灯りが浮いた。
俺は目を開けた。
「変なままだ」
セラが俺を見た。
「分かっても、見たことは変わらないんだね」
俺は頷いた。
叔母は杖を両手で握り、少し前へ傾いた。
「私は、あなたを選んで送ったんじゃない」
その言い方が、やけに痛かった。
「分かってる」
俺は早く答えた。
「分かってるけど。じゃあ僕は、たまたま空いてた所だったんだ」
セラの顔が止まった。
エルナも口を開かなかった。
言ってから、自分が何を欲しがっていたか分かった。選ばれた人間になりたかった。あれほど嫌な人生にも、誰かが救うべき価値を見つけたのだと言われたかった。
目の前の人は、自分たちを忘れないでくれと頼んだだけだった。
俺は椅子を引いた。
「外へ行ってくる」
部屋を出る時、誰も止めなかった。
建物の裏には、影が細く残っていた。乾いた草へ腰を下ろすと、尻の下で一本折れた。海が見える。俺がここへ来るため金を払った船は、沖の漁船よりずっと小さかった。
特別な理由があって生まれていたら、何が違ったのだろう。
俺の署名で失ったロイの記憶が戻るのか。母へ返さなかった電話が、仕方のなかったことになるのか。
ならないと分かっていても、欲しかった。
しばらくして、セラが出てきた。
俺の隣には座らず、少し離れた石へ腰を下ろした。杖を横へ置き、靴の留めを緩める。
「ここ、脚を休めるには悪くないね」
彼女は言った。
俺は草を引き抜きかけ、そのまま手を離した。
「さっき、嫌な言い方をした」
「うん」
「ごめん」
セラは頷いた。すぐに大丈夫だとは言わなかった。
風で、彼女の髪が頬へ掛かった。自分で払い、少し海を見たあと、叔母は口を開いた。
「あの岸で、あなたが父さんと訪ねてきた時のことは覚えてる」
「うん」
「もう背が高くなってて。抱き上げたかったのに、私には無理だった」
俺は顔を向けた。
セラは、困ったように笑った。
「抱き上げたら、こっちの脚が折れると思った」
俺は笑って、途中で鼻を啜った。
叔母は海を見ていた。
俺も、まだ謝罪の続きを探さず、同じ方を向いていた。




