↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忘れ潮の灯台守  作者: Tpump6957
地図の外の家族
PR
13/196

値札をつける手

ロスカに戻ると、ロイの封片が質流れになりかけていた。


エルナの父は、十五年前の水路崩落で避難路を保つため、自分の暮らしの多くを使った。


幼い娘の顔、妻と過ごした季節、家へ帰った日々。


仕事の技術は部分的に残ったが、新しい日々を長く繋げる力も傷んでしまった。


事故前に保存してあった封片は六つ。


そのうち三つは既に治療と生活のため売られ、残る三つが店に預けられていた。


「最後の三つは返してもらう。

お父さんが私を覚えているところがあるから」


エルナは仕事のあとも写しを請け負った。


灯りの下に座り続けるせいで目が赤くなった。


俺は手伝うと言ったが、彼女の受ける仕事は字の癖まで合わせる修復で、まだ俺にはできなかった。


十六歳の俺が得意だったのは、術路の傷みを見つけることだった。


自分で一度大きく壊した経験は、破損の兆しを見分ける役には立った。


工房の客の間で評判になり、記録院の検査官ベレスから臨時の仕事を頼まれた。


事故で持ち主へ戻せなくなった封片を選別し、公共設備に使えるか判断する仕事だった。


「不適合として眠らせておくより、街の役に立つ」


ベレスは言った。


袖口の綺麗な男で、話を聞くときには途中で口を挟まず、最後まで聞いてから訂正した。


その態度だけで、俺は彼に好感を持った。


自分を大人として扱う人間には、いつも弱かった。


支払いは工房の半月分に近かった。


仕事を重ねれば村への返済が早まり、エルナの助けにもなれる。


俺は自分の才能がようやく正しく評価され始めたと思った。


審査台には、封片と権利書が一組ずつ並べられた。


俺の担当は封片の状態だったが、判定欄には『権利関係に異議なし』という印も必要だった。


俺はベレスに尋ねた。


「そこは別の係が見てるんですよね」


「当然だ。

君は技術の判定に集中してほしい」


それで安心した。


安心するために聞いたのだから、目的は達せられた。


ある日、ロイの名がある権利書を見つけた。


預かり先の店が、長期未決済の封片として記録院へ流していた。


期限の延長を願い出ているはずだと告げると、

ベレスは脇の紙束を調べ、申請は未受理だと言った。


「停止してもらえませんか」


「停止の根拠は」


「本人の娘を知っています」


「それは根拠にならない」


彼は怒らなかった。


だから俺も、自分の頼みが未熟なのだと思った。


封片の一つは縁が白く濁っていた。


本人へ戻すには危険だが、炉の制御には使える。


俺は筆を持ち、使える、と書いた。


異議なしの欄も埋めた。


俺が拒んでも別の検査者が通すだけだ、むしろ内部にいれば後から助けられる、と考えた。


その理屈は、筆先が紙へ触れるほど軽かった。



エルナは三日後、質札を握って帰ってきた。


「売られてた」


彼女は外套を脱がずに言った。


俺は机の下で手を握った。


「一つなら、まだ取り戻せるかもしれない」


「どうして一つって知ってるの」


部屋の音が遠くなった。


俺は説明した。


技術の判定だけだった。


権利は別の係が見た。


止めようとした。


説明しているうちに、エルナの顔から何かが引いていった。


「見せて」


「何を」


「判定の写し」


俺は出した。


彼女は『権利関係に異議なし』を読み、俺の署名を見た。


「違う係が見てるって言われたから」


「ここにいるのは、その係の名前?」


俺は答えられなかった。


彼女は紙を折りも破りもしなかった。


机に置いたまま、長くそれを見ていた。


「私のためにもなるって、思った?」


俺は頷いてしまった。


「それ、今は言わないで」


初めて彼女の声が震えた。


「知らない人の封片だったら、署名したまま忘れてたんでしょう。

私のお父さんだから悪かった、ってことにしないで」


俺は彼女の手を掴もうとした。


彼女は一歩引いた。


「触らないで」


大きな声ではなかった。


だからこそ、それ以上進めなかった。


俺は廊下へ出た。


隣の部屋から、ロイが木の輪を数える声がした。


自分に何が起こったのか、彼は知らない。


知らない人間から何かを奪うのは、

知っている人間から奪うより容易なのだと、その声を聞いて初めて分かった。


気づいたことを、また自分の成長として数えそうになった。


俺は廊下の壁へ額を押しつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。