沢の下を歩く
翌朝、サダの家の前には、解かれた縄が置かれていた。
前の日にはなかった縄だった。斜面に打った杭から戸口の手前まで張られ、外を通れという札が付いている。サダが刃物で切り、杭へ戻しておいたらしい。繊維の端が、冬草の根のように広がっていた。
「歩けと言う方へ行ったら、流しがあった」
サダは俺たちにそう言った。
裏口でエルナを待っていた老女が、修復された紙を受け取った。角の破れへ指を近づけては引き、嬉しそうに何度も同じ所を見た。彼女の夫が描いた畑の図だという。畑の広さは、夫が自分の足で測ったので少し怪しいらしい。
「短い足だったからね」
老女は笑い、紙を胸へ当てた。エルナは笑ったあとで、下に残った細い線のことを聞いた。
「水の道よ。籠を運んだんじゃないかしら。私が来た時には、もう歩くだけだった」
「今も通れる?」
「夏は。冬にそこへ行くのは、失くした鍋を拾う時くらいね」
サダが裏から棒を三本持ってきた。
「鍋なら、去年のがある」
道を教えるためなのか、鍋を拾わせるためなのかは、最後まで分からなかった。
沢へ下りると、空が狭くなった。
両側の石壁は自然の崖に見えたが、近くへ寄ると高さの揃った継ぎ目がある。苔を剝ぐと、石の表面に斜めの細かい傷が残っていた。軍道の石垣よりずっと古い。水は中央だけを流れ、人が一人ずつ立てる棚が両岸にあった。
ダナは先に下り、杭を打つ場所を探した。俺は彼女の足跡へ足を置き、エルナは後ろから必要な所だけ写した。歩ける場所の幅、頭を下げる角、枝の陰にある穴。図を作るたびに止まるので、俺は早く進みたくなったが、帰りにはその印が役立つと分かっていた。
小さな水溜まりに、鍋が伏せてあった。
俺が棒で引き寄せると、底に穴が開いていた。
「去年から穴があった?」
上からサダへ聞くと、彼女は肩をすくめた。
「確かめたかったの」
俺は穴のある鍋を背負い袋へ括った。自分が何でも直せる職人に見えるのは、悪い気はしない。鍋の底を見なければ、なおよかった。
少し先で、水路は石の出っ張りに塞がれていた。棚の一部が崩れ、向こうへ渡る足場が途切れている。ダナは長い棒を伸ばして確かめ、俺たちをいったん止めた。
「板を二枚。上に手綱を通せる。今の水位なら、荷を背負っても渡れる」
「春になったら?」
「ここは増す。高い道を別に残す必要がある」
彼女は出口の斜面を見た。
水路の上端は、町への古い石段の脇へ出ていた。軍道を横切らず、谷の家から市場の道へ着ける。ただし雪の間の通り道として使える幅を作るには、石を除け、手綱を張り、崩れた棚へ板を渡さなければならなかった。
「これ、誰のものなんだろう」
俺は壁にある丸い鉄環を見た。
サダが下りてきた。環を見て、懐かしいものでもないように泥を払った。
「うちの祖父は、舟を繋いだって言ってた」
川は、俺の足首ほどの深さしかなかった。
環は今の水面より、俺の胸の高さにあった。さらに上の壁には、水を受けて削れた丸い窪みがある。雪解けの激流だけでもできるのだろうか。俺が見ている間に、ダナが別の石へ手を置いた。
四つの穴が開いていた。
ひとつは欠けていたが、残りの位置は紙に写せた。村の灯台から持ち歩いてきた寸法と比べると、穴の中心が三つとも重なった。
俺は思わず声を上げた。エルナが顔を上げ、サダが少し嫌そうに俺を見た。
「それ、金になる?」
「たぶん、僕には」
正直に答えると、彼女は初めて俺へ普通に笑った。
「じゃあ鍋の修理は安くして」
俺は泥のついた紙の上で、穴の欠けた側まで丁寧に写した。




