紙の端にあった部屋
エルナは俺の話を聞きながら、足の間へ湯を入れた瓶を挟んでいた。
宿の部屋は窓際から冷えた。冬市の騒ぎが終わると、町は急に静かになったが、寒さまで客と一緒に帰ってはくれなかった。机の上では、彼女が繕っている紙の端が乾きかけていた。北の仕事を失ったあと、古い道の地券を直してほしいという小口の依頼を受けたのだ。
「その図、こっちにも一枚ある」
エルナは足で瓶を押さえたまま立とうとして、椅子へ座り直した。
俺は笑った。笑うのを待っていたように、彼女は瓶をこちらへ突き出した。
「持って」
「温かい方を僕にくれるの」
「冷めるまで」
卓に広げた古図には、軍道の線が新しい墨で引き足されていた。薄い元の線は細く、所々で折れている。サダの家の位置へ目をやると、上から塗った黒の端に、部屋の角が小さくはみ出していた。
「上の線は、消すと下も取れる。だから、分けて見えるところだけにしてる」
エルナは斜めから灯りを当てた。紙が少し波打ち、別の筆圧が浮いた。
ダナが隣へ来た。
「ここだ」
彼女の指は紙に触れなかった。
「この角を見た。戸口まで残っていた」
俺は机の下の湯瓶を握った。指には十分な熱があるのに、背中だけ寒かった。
「別の隊が調べたと、思ってたんじゃないの」
俺の声で、ダナがこちらを見た。
「思おうとした。だが、私も聞いている。母親が中にいると」
「命令だったんだよね」
「私の印を求められた」
そこから先を、彼女は俺に助けさせなかった。
「戻って確かめれば、荷が遅れる。遅れた理由を聞かれる。私の測り方が悪いと言われる。次の隊に置いていかれる。それが嫌だった」
ダナは黒い線を見ていた。
「空いたと聞いたことにした。私は、そこを通る荷に乗って次へ行った」
俺は彼女の顔へ、昔見たことのある自分の言い訳を探した。違う形をしていてほしかった。
ダナは恥ずかしさを顔に出さず話す。だから余計に、彼女の目が瞬くたびに苦しそうだった。
エルナが紙を回した。
「この小さい線は、何?」
谷の水のそばに、軍道と別の細い道が残っていた。丸い印が三つ並び、一つだけが家の向こうへ続いている。
ダナは息を吐き、今の仕事を見る顔になった。
「私は測っていない。もっと古い」
「家の紙にしか残ってない。道の新図だと、沢になってる」
俺はその三つの丸を見た。穴か、柱か。山の部材の四穴とすぐ結びつけるには数が違う。それでも、荷台の石枠が頭から離れなかった。
エルナは乾かした紙へ薄紙を重ねた。俺が押さえようとした所を、彼女の指が先に押さえた。
「明日、私も行く」
「修復は?」
「頼んだ人がサダの隣に住んでる。渡しに行く。いま持っている図だけで直すより、現地を見たい」
彼女は新しい紙へ、自分の名を小さく書いた。それから横に、現地確認前、と添えた。
俺が見ていると、目だけを上げた。
「何」
「字、綺麗だなと」
「今さら」
湯瓶を返すと、彼女は掌で温度を確かめ、俺の手をそのまま両手で包んだ。
「指、まだ冷たい」
ダナは窓の方へ行っていた。俺は彼女の背を見てから、エルナの指へ自分の指を差し込んだ。二人分の手でも、温まるまでにはしばらくかかった。




