石段の上の家
ダナの手を借りて段を上がったところで、俺は滑った。
片足だけが後ろへ流れ、もう片方の膝が、意見の違う人間に折り曲げられたような形になった。彼女は俺の襟を掴み直した。フルナに直してもらったばかりの場所だったので、転落より先に縫い賃のことを考えてしまった。
「止まれ。足を戻そうとするな」
言われた通りに身体を低くすると、靴底が石の縁へ掛かった。
ダナは襟から手を離した。青い当て布の所を一度だけ見て、傷んでいないと確かめたらしい。こういう時の彼女は、迷わない。そのすぐ前まで、立退きの命令を運んだという話をしていたことが、俺の中でうまく繋がらなかった。
段の上に細い道があった。谷へ下る方へ、雪の表面を割った足跡が続いていた。道の両脇では枯れた草が弓のように曲がり、先だけが白い地面から出ている。冷えた泥の匂いがした。
「今日は、どこまで行くの」
「下の家まで。留守なら帰る」
「手土産、何もないけど」
言ってから、ダナへ怒られるかと思った。俺は人に会うという言葉から、茶と挨拶のある部屋を勝手に想像していた。
彼女は少し考えた。
「持っていけばよかった」
それだけだった。
道は古い石垣に沿っていた。所々に細長い平石が埋まっている。雪に隠れた境目をダナは杖で確かめ、俺には内側を歩かせた。町の屋根が見えなくなると、風の音が急に低くなった。谷の底へ落ちていく風だった。
家は、その下にあった。
低い屋根から二本の煙が出ている。裏には枝を束ねた棚があり、軒下の桶には氷を割った棒が立てかけてあった。戸の脇へ積んだ薪の切り口が新しく、古い焼跡を見に来る気分でいた俺は、足を止めた。
ここには今も人が住んでいる。
「サダ」
ダナが戸の外から呼んだ。
返事より先に、内側で桶を引く音がした。開いた戸から湿った熱気が出た。女が一人、袖を肘までまくって立っていた。腕には赤い擦り傷が何本もあり、腰に巻いた布へ茶色い染みが広がっていた。
ダナを見ると、女の手が戸の端へ戻った。
「まだその靴なの」
ダナは自分の足を見た。
「替えている」
「そう。音は同じね」
女は俺を見た。自分の紹介をするには、ひどく悪い順番だった。
「ノアです。彼女と、道の仕事で」
最後まで言わせず、女は笑った。口だけだった。
「また道」
背後から、小さな水音が聞こえた。室内の桶には、皮を剝いだ細い枝が何本も浸してあった。別の桶の縁で黒い猫が水を飲んでいたが、人の声に顔を上げることもなかった。
ダナは荷袋を下ろさなかった。
「軍道を春に開ける話が来ている。私に幅を測れと言ってきた。受ける前に、会いに来た」
サダは戸を大きく開けた。入れという仕草ではなかった。自分の後ろを見せるためだった。
「これを置く場所が、ほかにある?」
桶、棚、束ねた枝。湿った樹皮の甘苦い匂い。水を使って柔らかくした蔓や枝を編み、籠や覆いを作る仕事らしい。梁から、底だけできた籠が下がっていた。
俺は道幅の図を持っていなかった。それでも、もっと広い土地へ移ればいい、と言いそうになった。言う方には土地代も水代も掛からない、便利な提案だった。
サダはダナの顔へ目を戻した。
「前の家にも、あなたは入らなかった」
「ああ」
「下に母がいるって、言った」
「聞いた」
「それでも、空いたって紙を持っていった」
ダナの肩が、息と一緒に少し下がった。
「通れる、と書いた。退去が済んでいないことを、分かっていた」
俺は二人の間に立ちかけて、止まった。
彼女が人を助けた話なら、いくらでもできた。帰れなくなった岸へ来てくれた。エルナの綱を離さなかった。つい先日もキナを引き出した。どれも本当だったし、俺はその手に何度も助けられていた。
だが、この戸口でそれを並べたら、サダは俺にも戸を閉めるだろう。
「今日、聞きたいのは」
ダナは続けた。
「新しい線が、どこを通ると聞いているかだ。決まったことにしたくない」
「台所の前」
サダは言った。
「決めに来た人間には、歩く所に見えるんでしょう。うちには、仕事の場所よ」
彼女は、外に落ちていた削り屑を靴の先で寄せた。
「今度は中を見てから、紙を書いて」
戸が開いたままになった。
ダナはしばらく動かなかった。俺は荷袋を下ろし、濡れた靴をどこへ置けばいいか聞いた。サダは薪の切れ端を二つ投げてよこした。
猫が、そのうち大きい方へ先に乗った。




