二つの入口
テムの作業場では、二つの箱が開いていた。
内張りの布へ、くすんだ金属の薄板が一枚ずつ載っていた。俺はもっと大きなものを想像していた。自分の生まれ方を変えるかもしれない品が、両手に載るほどしかないのは、いくらか失礼な気がした。
「眺めるなら、こっちから」
テムが灯りを寄せた。
薄板には、普段の封片の乳白色の筋はない。表面の細い溝の端で、金属が押されて盛り上がっていた。装置が受理を終えた時、閉じる部分がそこへ残した痕だという。
俺は片方へ顔を近づけた。ほかにも古い傷はあったが、その痕だけが、縁の印を越えて奥へ続いている。
「これが、一度閉じた跡」
テムは細い棒を少し離して添えた。
「手でなぞらない」
俺は伸ばしかけた指を引いた。
片方は出生の日の欄から辿ったものだった。もう片方は、別の簿冊へ繋がっていた系列のもの。写しを作る時に番号を振り直したのなら、二冊に書かれていても、出来事は一度かもしれない。その可能性が残っていた。
エルナは、薄板と一緒に届いた紙とは別の包みを開いた。
移管された年に、受取り側の倉で作られた荷改めの記録だった。いまの照会に合わせて誰かが書いた紙ではない。閉じ紐の跡が紙へ沈み、外側は茶色くなっていた。
「一方は、東の受け口の装置から外した板。もう一方は、内側の予備口に付いていた板」
彼女は二か所を指した。
「保管箱の番号だけじゃない。外した場所と、板の縁の番号が一致してる」
俺は二枚を見比べた。
縁の作りも違っていた。片方には丸い逃がしがあり、もう片方は角を短く落としてある。テムは用意してあった受け口の古い寸法図を並べた。形がそれぞれに収まった。
「同じ板を二度数えたんじゃない」
俺が言うと、テムはうなずいた。
「別の口が、一度ずつ働いた。運んだ先で箱を替えたという記録だけでは、この二つの痕はできない」
「でも、別の人に届いたものかもしれない」
声が思ったより速く出た。
エルナは次の紙を見せた。
受け側の番号があった。俺の出生の記載へ繋がる番号。同じ番号が、別々の装置の受理先として書かれていた。エルナはそれを口で読み上げなかった。俺が自分で目を動かす間、紙が浮かないよう端を押さえていた。
俺は二つを往復して見た。
「僕に」
テムは返事を待った。
「二度、届いてる」
「そこまでは、言える」
彼女は静かに言った。
作業場の外を荷車が通った。車輪の片方に何か挟まっているのか、一回転ごとに小さな音がした。音が遠ざかる間、誰も喋らなかった。
俺の中には、日本で三十一年生きた時間があった。
働いて、辞めて、人に腹を立て、母の連絡を放り出した。海で倒れ、誰かに助けてほしいと思った。そのあとで、こちらの母の腕の中にいた。
それを俺は、ひとつづきの自分として覚えている。
そこへ、入口が二つあると言われた。
腹の底が冷えた。誰かが入り口を間違えて、俺の人生へ紛れ込んでいたのだろうか。俺が自分のものと思ってきた欲や恥ずかしさのどれかが、知らない他人のものだったら。
自分の掌を見た。
春の感触を失った小指。道具の柄で硬くなった皮膚。爪の際に、外套を持ち直した時に付いた青い糸くずがあった。
俺はそれを摘まんだ。うまく取れなかった。
エルナが手を伸ばした。
糸くずを取ってから、そのまま俺の手を裏返した。金具で擦った所を見て、昨日より赤みが引いたと言った。
「いま、その話?」
「気になったから」
彼女の指が俺の手首へかかっていた。脈を数えるつもりはないのだろう。ただそこに指があるので、俺は自分の脈を感じた。
息を吸った。作業場の油と紙の匂いがした。
「二つ目には、何が入っていたんですか」
俺はテムへ聞いた。
「この板には中身が残っていない。ここで分かったのは、違う口が二度受けたこと」
テムは薄板へ布を掛けず、俺に見えるままにした。
「二つの原体験が丸ごと来た、とまでは言えない。同じ原本を二度出した証拠もない。次に見るのは、その口へ何が繋がっていたかだ」
俺は顔を上げた。
「繋がっていた所は、辿れる?」
「使った装置が違うと分かった。探す図面が絞れる」
初めて、二枚の板が恐ろしいだけの物でなくなった。
ずっと同じ箱の前に立たされている気がしていた。箱は開かない。番号だけが増える。だが、いまは扉が二つ見えている。どちらかは、俺が覚えているあの海の向こうへ繋がっているかもしれない。
「二つとも調べたい」
俺は言った。
エルナの指が少し緩んだ。彼女は俺を見ていた。
「怖いけど」
付け足すと、彼女はうなずいた。
「うん」
紙の上へ目を戻した時、もう彼女は俺の手を握っていなかった。代わりに、二枚を一緒に見られるよう灯りを動かしていた。
俺は椅子を引き寄せた。
卓には三人が座るだけの幅があり、俺の膝はエルナの膝へ、ときどき軽く当たった。




