夏を買う客
北の町の入口で、キナが俺の外套を摘まんだ。
「新しいね」
「分かる?」
「まだ肩が荷物に潰されてない」
外套そのものを褒めてほしかったが、彼女はすでに次の荷へ目を移していた。背負い籠の上へ積んだ小箱を降ろし、結び目を靴先で押さえて緩める。前から見ると荷に人が付いて歩いているようなのに、一つ降ろすたびに彼女の肩は軽く上がった。
俺とエルナは同じ荷車で来た。彼女には冬市の古い取引記録を修復し、新しい受渡し控えの整理を手伝う仕事があった。ロイの家の支えは出立前に手配している。俺も灯台の代番を頼み、北の仕事が終われば帰る予定を渡していた。
町へ入ると、細い路地に乾いた木の匂いがした。
南の薪倉で、男たちが角材を肩から落としていた。戸口の脇には、宿の名を焼き付けた札が何枚も垂れている。運び終えた荷車を引く馬の背から湯気が上がり、車輪が踏んだ泥には、まだ雪が混じっていなかった。
「冬の分?」
「半月前から入れてる。あの上まで満たすんだって」
キナが倉の高い窓を顎で示した。
入口の男が彼女を呼んだ。キナは小箱を俺の足元へ置き、「それ、勝手に持っていかないでね」と言って戻っていった。
俺は、いくら知り合いでも運び賃は忘れないという彼女の信頼を受け止めながら、小箱の番をした。
冬市の広間には厚い布が掛けてあった。
くぐった途端、甘い酒と炭と、煮込んだ肉の匂いが押し寄せた。奥で弦が鳴り、誰かの笑い声が高い天井へ上がっていた。色硝子の灯りの下には封片が並び、乳白色の細い筋が、横から差す光を柔らかく抱えている。
『雨上がりの桃畑。昼食まで』
『南の砂州、足を浸した一刻』
『山頂の朝。高所に慣れない方は係へ』
台の前で、厚い上着の女が笑った。
「山頂まで登ったのに、息の苦しい所まで付いてくるの?」
「そこから先の眺めがよいそうですよ」
売り手も笑った。そばの男が、あの眺めを妻へ贈れば、今年の登山を断った件は許されるかと聞いた。女は、自分は登りたいのだと答えた。
俺は封片から目を離せなかった。
一度だけでも、知らない人の夏に触れてみたいと思った。暖かそうだからというより、その人がどれほど気持ちよく昼寝をしたのか、俺がこの上なく気持ちよいと思う昼寝と違うのか、知ってみたかった。
「買う?」とエルナが小声で言った。
「僕は働きに来た」
「いま、桃畑にいた顔してた」
彼女の手にも値段の札があった。南の砂州のものだった。
「そっちこそ」
「裸足で歩ける浜は、まだ行ったことないから」
二人で値段を見て、そっと戻した。
奥で歌っていた男が、客の笑い声に合わせて歌詞を変えた。酒をこぼした男の名を入れ、その妻に二度目の乾杯をさせた。妻は嫌がる振りをしながら椀を上げた。
「あれがラセル。歌より値切りが上手い」
案内の係が小声で教えた。
ラセルは俺たちに気づくと、弦を押さえたまま片手を振った。
「そこの新しい外套! 今夜、好きな歌を買っていけ」
「高そうですね」
「その返事は安いな」
客が笑い、俺まで少し笑ってしまった。
受付にいたヨレスは、俺たちが戻したことにも気づいたようだった。長い指で紙の端を揃え、こちらへ一歩出た。
「働く方には、別の楽しみを用意しています」
彼が見せたのは、給金の前払いだった。
非常に結構な楽しみである。
俺の仕事は、取引に使う封片の状態と範囲の刻線を検査することだった。移植を行う術者とは別に、不良材や予定外の引き込みを見張る。引渡し前に食い違いがあれば止める。終えた仕事の分はその日に払われ、残りの市の専任検査は日ごとの高い額が約束されていた。
「北の材料の件、聞いています。名のある方に座っていただけると、遠くから来る客も安心します」
ヨレスは椅子を引いた。
名のある方、と俺は心の中で復唱した。転生して二十二年。ついに椅子へ座っているだけでも金になる段階へ来た。
もちろん、座っているだけで済むはずはない。しかしその時の俺は、椅子の背が柔らかいことを先に喜んでいた。
エルナは別の係に案内され、古い帳面の入った部屋へ消えた。行く途中で一度振り返り、口だけで「桃」と言った。
俺は咳払いをして、最初の封片を手に取った。




