八本の行き先
第四宿の女は、カザの道具を持ったまま黙り込んだ。
手は小さく、節が固かった。力がないようには見えない。指の腹には太い胼胝があり、柄を掴むと白く変わった。
「届かない」
彼女は言った。
カザの職人が握り方を示す。女も真似た。だが、止め目へ親指を移す度に、手の中の柄が下がる。先端で支えた金具が、壁の内側へ当たって音を立てた。
「私には、ここが遠い」
女は柄を台へ戻した。
カザが近づいて確かめた。すぐに別の握り方を教えようとしたが、途中で止まった。黒い柄の途中を、自分の親指で押す。
俺の番になった。
女は一本目を持って首を振り、二本目で指を動かした。交換に手間取ったが、掌を押して回せる留めは、彼女にも外せた。
「こっち」
細めの柄だった。
俺は道具を渡し、少し後ろへ下がった。見ていると、つい自分で直したくなる。握る位置も、止め目を押す時も、俺がやれば一息で済む。手を出しかけたところを、自分の腰の帯へ引っかけた。
女は一度、金具を落とした。
俺は歯を食いしばった。
二度目には、支えたまま止め目を閉じようとして、力が抜けた。その後、彼女は自分で息を整えた。
「押さえてる間に、向こうが釘を打つんだね」
「はい」
「分かった。そっち、もう少し早く」
楔を持った男が、俺を見る。
俺は頷いた。
次は収まった。
女が道具を下ろすと、壁の隙間に金具だけが残った。彼女は前へ出て、それを指で押した。動かない。もう一度、少し強く押す。
「冬に、うちで出来る」
その声を聞いて、俺はようやく息を吐いた。
続いて、大きな手の男が持った。
女の柄では細すぎた。彼は太い方を選び、道具を回した。途中で止め目に雪解け水を含んだ泥をつけ、俺を見た。
「こうなる」
わざとだった。
「洗ってからにしてください、と言いたいところです」
俺が答えると、周囲で笑いが起きた。
「そうする暇のある日にしか壊れないなら、買わない」
彼は言った。
もっともだったので、俺は掃除の布を渡した。点検窓を外し、溝を布で拭く。手袋をした指でも、窓は開く。中の残った筋が見え、使ってよい分が分かった。
カザの方は、その窓を開くのに小さな針が要った。
セドが針を出した。手際はよい。それでも、寒い宿の外で同じことをする自分を想像した男は、しばらく二つの道具を見比べていた。
日が傾く頃、荷場の裏の吊り戸を直した。
本当に冬前の修繕が必要な戸だった。雨で下端が膨らみ、片側の留め金具に負担がかかっている。手前の板を外し、奥の押さえを新しく差す。その隙間へ、短い丈夫な先端を使うことにした。
俺は中へ膝を入れ、古い板の奥を灯で照らした。
鼠の齧った粉が積もっていた。鼻に埃が入り、くしゃみを堪えた。格好よい仕事には、格好よい姿勢がついてくると思っていた頃の俺に、この背中を見せてやりたい。上着は尻までずり上がっていた。
新しい金具を奥へ入れようとすると、木の出っ張りへ当たった。
先を回す余地がない。
「細い方にするか」
イェトが外から聞いた。
俺は首を振った。
奥の留めは重く、細い先なら、いまの角度で捻りを受ける。図で見た負担が、そのまま手の中へ返ってきた。
「先を、逆に向ける」
俺は一度道具を引いた。
「線は?」
「根元は同じです。返した方の刻線を使う」
イェトが俺を見た。
俺たちが最後まで箱の中で迷った二本の線。持ち替えずに角度を変えるため、片方だけを選んで通すようにした。両方へ同時に流れない止めが、指の下にある。
俺はそれを確かめた。
「通します」
荷場の修繕用に出された小片を窓へ収めた。荷車の綱を握り、引く者の合図を待っていた一場面。その短い原体験のうち、決めた分だけを使う。
金具が僅かに浮いた。
俺は息を止め、先端を上へ返した。直接には触れられない板の奥で、金具が横を向く。白い筋が小窓の中で細く減っていった。
腕が震えた。
位置は合っている。力を増やす必要はない。
それでも、焦ると指が先へ押したがる。俺は掌を柄の平たいところへ当て、重さの向きを確かめた。
「今」
外で小槌が鳴った。
一度。二度。
金具が木へ留まった。
俺は止め目を閉じた。手の中から細い抵抗が消え、道具がただの重い木と鉄へ戻った。
膝を抜く時に、額を戸へぶつけた。
見ていた者が笑った。俺も笑おうとしたが、思ったより痛くて、まず額を押さえた。
荷場長が戸を動かした。
石へ擦れていた音が、消えた。両手で押すと、一人で最後まで閉まる。開く。もう一度閉じる。
風が止まった。
荷場にいた人間の袖が、その瞬間だけ動かなくなった。
「この戸に、冬じゅう文句を言うつもりだった」
荷場長は言った。
俺は額を押さえたまま、妙に嬉しくなった。
結果が出たのは、夕暮れだった。
専門の職人が使う荷場の四本は、カザの工房が取った。短い作業を繰り返す速さで、俺たちは負けた。誰かに言われるまでもなく、朝の金具の動きを覚えていた。
八つの宿場の分は、イェトの工房へ発注された。
荷場長がそう言った時、俺は一度、後ろを見た。
別のイェトがいるはずもないのに。
「八本」
確かめると、男は頷いた。
「柄は、使う者を連れて決める。直す時に取り替えられる先も要る。帰りの荷へ載せるまで、頼むぞ」
俺は頷いた。
頷いてから、もう一度頷いた。
イェトが隣で俺の肘を押した。
「返事しろ」
「はい。作ります」
声が少し大きすぎた。
カザが笑った。
俺は手を出した。彼女はその手を握り、強く一度引いた。
「次は、十二本とも取りに行く」
「僕たちもです」
言った途端、自分の声が普通に戻った。
握手はすぐ終わった。彼女は自分の工房の者へ振り返り、四本の型を今夜まとめる、と言った。セドが、今夜はもう帰れ、と反対した。
俺の側でも、イェトが柄の数を数え始めていた。
俺も柄へ手を伸ばした。イェトが一本を渡してよこす。冷えた木の重さが掌へ乗り、俺はまだ笑っていた。




