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忘れ潮の灯台守  作者: Tpump6957
借りた痛みの工房
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その話は誰のもの

帳面を開くと、乾いた糊の匂いがした。


エルナは浮いた綴じ糸を押さえ、紙の下へ細い板を滑り込ませた。頁の角には、今より幼い字で小さな数字が書いてある。フェルドは見てほしい場所を指し、その先の頁を手で覆った。


「そこまででいい」


「うん」


エルナは指された部分へ目を落とした。


異界の足場が折れた日の記述だった。白く照り返す壁、壊れる前に金具が甲高く鳴ったこと、胸が浮き、誰かの手が離れたこと。途中の一行が強く消してある。フェルドはそこへ指を置き、まだ考えている時に書いたから、と言った。


俺は、消した言葉が何だったか知りたくなった。


彼は指をどけなかった。


鈴についての記述はなかった。別の季節に書いた同じ最期の頁にも、長一短一の音は出てこない。エルナは古い紙の隅を確かめ、後から差した頁がないことだけを教えてくれた。


フェルドは水を飲んだ。


「親の家では、向こうのことを話さなかった。母が困るんだ。ここでもちゃんと育ててるのに、どうしてそんな寂しい顔をするんだって」


彼は唇の水を袖で拭いた。


「それで、ここへ書いた。誰も返事をしないから、便利だった」


俺は帳面の厚みを見た。俺より長く、こちらの世界で暮らしてきた男だ。その何年分かが、誰からも返事を求めず、この狭い紙の間へ入っている。


外で、子供が石を蹴った。


窓の下をいくつもの足が走り、誰かが転んで泣き始めた。フェルドは顔を上げ、しばらくそちらを聞いていた。


「昔の世界は本当にあったのかって、昨日から考えてる」


言い終えると、自分に腹を立てたように鼻を鳴らした。


俺は、あった、と即答できなかった。自分の三十一年を支えたい気持ちが、彼の三十何年かを勝手に支柱に使おうとする。


だが、俺はあの海岸へ行った。


湿った砂へ手をつき、助けを呼べなかった。そこまで全部、嘘だと言われて頷く気もなかった。


「装置を開きます」


俺は言った。


「何が昨日そこを通ったか、まず見ます。それなら、今ここで手が届く」


フェルドは返事をしなかったが、帳面を胸へしまう手は、朝より少し落ち着いていた。


その日の夕方、町の受理記録を扱うテムが来た。


髪の短い年配の女で、裾から覗く靴が左右違う色をしていた。道で片方を泥へ落とし、借りてきたのだという。迎えた俺が靴へ目をやると、彼女は、足を診に来たのではないでしょう、と言って装置の箱へ直行した。


フェルドは、幼い時に外部体験を受け取った控えを持参していた。セドのように最近、職人の一場面を譲り受けた者とは、最初に繋がった口が異なる。


テムはその古い控えを読み、彼の手首へ検針を当てて、外部受理の端の状態を確かめた。


「この端、閉じた後の印がないね」


カザが顔を上げた。


「雇った時には支障がないと言われた」


「普段は何も繋がないでしょう。昨日、どの台で照合した」


俺たちは荷場へ戻った。


夕暮れの中で大きな荷が動き、建物の奥は早くも暗かった。テムは開始装置を置いた台へ腰をかがめ、布の下に隠れていた照合板を持ち上げた。


裏へ、細い印が残っていた。


長いものが一つ。その隣に、短いものが一つ。


俺は覗き込み、息を止めた。


「こっちにも、行ったんだ」


声にすると、カザが俺を押しのけるように近づいた。


板の端から、古い枝線が下へ続いている。その先は、昨日、俺が鈴と一緒に動かした開始の線へ繋がっていた。


エルナが袋から紙を出した。


その目に浮いた明るさを、俺は知っていた。後から貼られた紙の下に文字を見つけた時、彼女は同じ目をする。怖い物を前にしていても、見えなかった順番が見えそうになると、指が速くなる。


俺も同じだった。


その夜、彼女は宿へ戻ってからも眠らなかった。


俺は隣で先端の寸法を直していた。紙を引く音がし、顔を上げると、彼女は二枚目の清書へ入っている。フェルドの名は書かれていない。北の加工町、外部体験を持つ成人の職人、幼少の受理、昨日の信号。


「何に使うの」


「町の紙屋が、冬前に職人向けの便りを刷るでしょう。受理の装置について、短い報告を載せられないかと思って」


彼女は筆を置かずに言った。


「最初に何が起きたかをまとめるの。続きは調べてから。誰が確かめたかは、残るから」


俺は彼女の名が書かれた箇所を見た。


エルナ・ヴェル。


その隣には、師の名も俺の名もなかった。


嬉しそうだ、と俺は思った。嬉しいなら、手伝いたかった。


翌朝、彼女は第一報を紙屋へ持っていった。


午後、フェルドが工房の戸を乱暴に開けた。


手には、刷る前の原稿を写した細い紙を握っている。紙屋の男が、まさかあんたの話か、と家へ持ってきたのだという。


エルナが立った。


「まだ、刷ってはいないはず」


「それで?」


彼の声に、彼女は止まった。


「あんたには、あの頁を直してくれと頼んだ。昨日の台も調べてくれと頼んだ。俺が落ちるところを、町に配ってくれとは頼んでない」


俺は椅子から腰を浮かせた。


フェルドの目がこちらへ向いた。


「あんたも、読んだのか」


「読んだ」


声が喉へ引っかかった。


「僕も、止めなかった」


彼は手の紙を台へ置いた。くしゃくしゃになっているのに、エルナの綺麗な字だけはよく読めた。


「これを読んだ奴は、何を聞くと思う。空の色か。どうして落ちたか。前の家族は何人いたか。俺はそれを、一人ずつに答えるのか」


エルナは紙を取ろうとして、手を止めた。


「取り下げる」


「もう知ってる奴はいる」


「その人たちにも、私から話す」


フェルドは首を振った。


「俺が昔を信じられなくなった話を、あんたが信じてもらうために使わないでくれ」


彼が帰った後、しばらく誰も動かなかった。


エルナは椅子へ座り、両手を膝の下へ入れた。指が震えているのを、見られたくなかったのかもしれない。


俺は、君はよい仕事をしたかっただけだ、と言いかけた。


彼女は先に立った。


「紙屋へ行ってくる」


雨が降っていた。外套を取る時、彼女は紐を結び損ねた。


俺は直すために手を出した。エルナはその手を一度見てから、肩を少しこちらへ寄せた。


結べば済むことだけは、俺にもあった。


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