↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
K ―背番号89―  作者: K2MA


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/34

第8話 捕れないサイン

「これ」


 竹田哲平が、映像を止めた。

 前の登板の六回。

 一死三塁で、右打席に村井。

 その前で、Kが首を振っている。


「今、俺が出したの、何だった?」


 机の上に、竹田が書いた紙が置いてあった。

 真っすぐ。

 横。

 落ちる。

 Kは「落ちる」を指した。


「そう。で、次」


 映像が進む。

 Kがうなずき、指が「真っすぐ」へ移る。

 外角の直球。

 見逃し三振。


「何で真っすぐにしたかは、試合の後に聞いた。前の落ちる球にバットが出かかったから、次はそっちを気にすると思ったんだろ」


 Kがうなずく。


「俺は、逆だった」


 紅い頭部が上がった。


「次は振ると思った。一回我慢できたんだから、もう一回同じのが来たら、今度は拾いにくるって」


 竹田は、画面の中の村井を指さした。


「同じ動き見て、違うこと考えてた」


 村井の前足が着く。

 バットが少し出て、止まる。


「結果はお前が正解だった。でも、あのとき俺は、お前が何を見たか知らなかった。ただ真っすぐ投げたいんだと思って、次のサインを出しただけだ」


 画面の中で、村井が三振していた。

 要求した球が来て、捕って、打者をアウトにした。

 結果だけなら、何も困っていない。

 それでも竹田は、そこを何度も戻していた。


    *


 次の映像では、Kが二度首を振り、三つ目のサインでうなずいていた。


「これは?」


 Kは「真っすぐ」を指した。


「最初も真っすぐだぞ。嫌だったんじゃないのかよ」


 Kが首を横に振る。

 それから紙を引き寄せ、端にペンで縦長の四角を描いた。

 ストライクゾーンだった。

 外側を指して、首を振る。

 内側を指した。


「……場所?」


 Kがうなずいた。


「最初から、同じ真っすぐを内に欲しかった?」


 もう一度、うなずく。


「俺、真っすぐが嫌なんだと思ったから、違う球を出し直してたんだけど」


 Kが、紙に描かれた四角の内側をもう一度指した。


「いや、今は分かったよ」


 竹田はペンを拾い、Kの前に置いた。


「なあ。こういうの、書いてくれた方が早くねえか。内、とか、外、とか」


 Kはペンを見た。


 手に取らなかった。


 首を、横に振る。


「ストライクゾーンは描くのに、字は書かねえのかよ」


 Kは、紙に描かれた四角をもう一度指した。

 竹田はしばらく、その指を見ていた。


「……分かったよ。じゃあ、それでいい」


 後ろで、椅子が鳴った。

 真壁慎吾だった。


「球種はそれでいいけど、場所だけ違う。それもある」


 Kがうなずく。


「同じ首の振り方で、全部やるな」


 竹田が言った。


「球が嫌なのか、場所が嫌なのか、打者を見て考えが変わったのか。こっちは一回首振られたら、どれなのか分かんねえんだぞ」

「三つしか球がないから、すぐ当たると思ってたか」


 真壁が紙を見て言った。

 Kは真壁を見て、しばらくして、視線を紙に戻した。

 竹田は真壁に呆れたように言った。


「当たったんじゃないですよ」


 今度はKを見る。


「毎回、俺が一から探し直してんの」


    *


 次の登板までに、二人は映像を何本も見直した。

 Kが首を振った場面。

 サインが決まるまで、時間がかかった場面。

 投げた後に、どちらかが相手を見た場面。

 止める。

 聞く。

 Kが指す。

 それでも分からなければ、紙に描く。

 丸。

 線。

 打者の前足。

 バットの通り道。


「前の球?」

「その前?」

「打った後じゃなくて、構え直したとき?」


 Kがうなずく。

 首を振る。

 同じ外角の直球が、ある打席では嫌で、次の打席ではいい。


「お前、打席の途中でも変えるんだな」


 Kがうなずく。


「相手の待ち方が変わったと思ったら?」


 また、うなずく。


「分かった。そこは分かった」


 竹田は、紙に二つ書き足した。

 球種。

 場所。


「まず、これを分けよう。全部を一度には無理だ」


 決めた合図は、二つだけだった。

 球種を変えたいときは、首を横に振る。

 球種はそのままで、場所を変えたいときは、グラブの先を内か外へ小さく向ける。


 竹田は、紙の上のKの指を見た。

 喋れば早い。

 何度そう思ったか分からない。

 理由は知らないし、聞いても、たぶん答えない。

 最初は、それが腹立たしかった。

 今も面倒ではある。

 ただ、喋らせようとするより、喋らないまま捕る方が早そうだった。

 投げる球だけではなく、その前にKが見ているものまで。


「一回決まったら、その球を投げろ。途中で気が変わったら、投げる前にやり直せ。勝手に違うの投げんなよ」


 Kは、少し強く首を横に振った。


「それはしないって?」


 うなずく。


「ならいい」


 真壁が時計を見た。


「そろそろ終わりにしよう。竹田、お前も自分の準備があるだろ」


 竹田は画面を閉じかけて、もう一度だけ、村井への最後の直球を見た。


「球は捕れるんですけどね」

「何?」

「投げたい理由の方が、まだ捕れないんですよ」


 真壁は少しだけ笑った。


「そっちはミットじゃ無理だな」

「知ってますよ」


    *


 Kが一軍に現れてから、二週間近くが経っていた。

 分かったことは、ほとんどなかった。

 分からないことだけが、有名になった。


 元プロ。

 社会人。

 海外帰り。

 故障で消えた有望株。

 体格が近いというだけで、二年前に三十一歳で引退したメジャーの遊撃手。

 89という数字そのものに意味がある、という説。


 そして、死者。


 候補は増えた。

 答えには近づかなかった。

 熱だけが、野球の外へ広がっていった。

 普段は野球を扱わない番組まで、「謎の89番」を取り上げた。

 Kの登板が見込まれる試合は、チケットの抽選倍率が跳ね上がった。

 球場の周りには、89と書いたボードを持つ子供が増えた。

 東条フェニックスが新しく公表した情報は、一つもなかった。


    *


 福岡の球場は、本拠地より音が近かった。

 スタンドが、グラウンドまで迫っている。

 Kの三度目の先発は、初登板で対戦したファルコンズとの再戦だった。


 水城。

 大楠。

 野間。

 滝川。


 知っている打者だった。

 だが、知っていることと、抑えられることは同じではない。

 ブルペンで、竹田が内角のサインを出した。

 Kは首を振らず、グラブの先を小さく外へ向けた。

 竹田が、構える位置を外へずらす。

 Kがうなずいて投げる。

 ミットが鳴った。


「今のが、場所だけな」


 Kがうなずいた。


「それなら分かる。試合でも、それで頼むぞ」


    *


 一回裏。


 一番の水城は、低めを見送り、直球をファウルにして粘った。

 五球目のスプリットで、空振り三振。

 大楠は内野ゴロ。

 野間は外野フライ。

 三人で、十二球。


「いいじゃん。今の回、早かった」


 ベンチへ戻りながら、竹田が言った。

 サインが決まるまでの時間も、短かった。


 二回表、大島が倒れた後、黒田と成瀬が続けて安打を打った。

 三好が送り、二死二、三塁。


 八番、竹田。

 相手先発の西園は、走者を背負ってから外角の球が増えていた。

 竹田は、二球目の外角を左中間へ運んだ。

 黒田が還る。

 成瀬も還る。


 2対0。


 二塁で息を吐く竹田を、ベンチの大島が手を叩いて迎えた。

 攻撃が終わると、竹田は防具をつけながらKに言った。


「先に取ったぞ。守るぞ」


    *


 二回裏。


 四番、滝川。

 球場の音が、一段大きくなった。

 竹田が外角へ構え、Kがうなずく。

 滝川は、低めを一球見送った。

 直球を一球見た。

 次をファウル。

 四球目を、右中間へ運んだ。

 二塁打。

 武藤の二ゴロで三塁へ進み、江口の中犠飛で還った。

 2対1。


 七番の矢崎を三振に取って、Kはベンチへ戻った。


「滝川は、やっぱ打つな」


 竹田が隣に座る。


「今のは、俺たちで話は通ってた。でも、普通に打たれた」


 Kはタオルを膝に置いた。


「そういうこともある」


 三回裏は、川瀬に右前打を許したが、水城を併殺に打ち取った。

 三回で、三十八球。

 場所だけを変える合図は、二度出た。

 二度とも、すぐに分かった。

 球種を探し直さなくていい分、投げるまでが早い。

 走者を見る余裕もできる。

 これなら、と竹田は思った。


    *


 四回裏。

 大楠に、フルカウントから四球。

 野間に中前へ運ばれ、無死一、二塁。


 滝川が、打席へ向かった。


 初球。

 外角の直球。

 ストライク。


 二球目。

 低め。

 見送る。


 三球目。

 内角の直球。

 滝川が振った。

 三塁側のスタンドへ、ファウル。

 一ボール二ストライク。


 竹田は、滝川の振り出しを見ていた。

 詰まらされただけには、見えなかった。


(外)


 竹田はスプリットのサインを出した。

 Kが首を振った。


 竹田は、一瞬だけ滝川を見た。

 それから、球種を変えた。

 直球のサインを出した。

 Kはうなずき、グラブの先を小さく外へ向けた。


 Kはもう構えに入っていた。

 竹田は、外角へミットを構えた。

 四球目。

 外角の直球。


 滝川が踏み込んだ。

 打球が、三塁手の横を抜ける。

 左翼線。

 大楠が還る。

 野間は三塁で止まる。

 滝川は二塁。


 2対2。


 無死二、三塁。


「……やっぱり」


 呟くと竹田は、マウンドを見た。

 外角直球。

 要求した球は来た。

 自分で構えた場所へ。


 それでも、打たれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。