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K ―背番号89―  作者: K2MA


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7/34

第7話 当てっこ

 六回表、無死二塁。

 竹田はボールを受け取ると、すぐにマウンドへ行った。


「甘かった」


 Kが竹田を見る。


「ストライクに入れるのと、甘く残すのは別だ。今のは高い。落ちたけど、打てるところに残った」


 竹田は、二塁の神崎を振り返った。


「五回も見てるからな。入れてくると思ったんだろ」


 Kは、手の中のボールを見た。


「だからって、また全部下へ逃がすなよ。いい球もある。今のは甘かった。それだけだ」


 少し間があって、Kがうなずいた。


「長谷部は左だ。一、二塁間に転がされたら、神崎は三塁まで行く。まず、打者を一つ取るぞ」


 竹田は捕手の位置へ戻った。

 二塁で、神崎がマウンドを見ていた。


 五番、長谷部。

 初球、直球。

 ストライク。

 二球目を打った。

 二塁へ。

 大島が捕る。

 一塁へ。

 アウト。

 神崎は三塁へ進んだ。

 一死三塁。

 ベンチへ戻る長谷部に、仲間の手が次々に伸びた。

 アウトになった打者が、迎えられていた。


    *


 六番、村井。

 四回にバントを決めた打者が、今度は普通にバットを構えた。

 外野へ飛ばされれば、一点。

 内野ゴロでも、転がる場所によっては一点。

 竹田は腰を落とした。

 初球、スイーパー。

 振らない。

 ボール。

 二球目、直球。

 ストライク。

 三球目、直球。

 ファウル。

 一ボール二ストライク。

 四球目。

 スプリット。

 低い。

 村井のバットが、出かけた。

 止まる。


「ボール!」


 二ボール二ストライク。

 竹田は、もう一度スプリットのサインを出した。

 Kが首を振った。

 竹田は、直球を出した。

 Kがうなずく。

 外角へ構える。

 投げる。

 村井の前足が着いた。

 バットは動かなかった。

 ミットが鳴る。


「ストライク! バッターアウト!」


 153 km/h。

 外角いっぱい。

 村井が、球審を振り返った。

 二死三塁。

 竹田は、返球しながらKを見た。

 今、なぜそっちを選んだ。

 聞いている時間は、なかった。


 七番、高瀬。

 ここまで二打数二安打。

 安打なら還る。

 アウトなら終わる。

 一ボール一ストライクからの三球目。

 高瀬が振った。

 打球が上がる。

 センター。

 早川が数歩下がり、止まる。

 グラブを上げる。

 アウト。

 先頭に二塁打を打たれた回を、無失点で終えた。


    *


 ベンチの前で、伊丹が待っていた。


「終わりだ。六回で十分だ」


 Kは、スコアボードを見た。

 2対2。


「まだ投げたいか」


 少し間があった。

 Kがうなずく。


「だろうな」


 伊丹は短く言った。


「今日は、ここまでだ」


 Kは、もう一度うなずいた。

 真壁がタオルを渡した。


「六回、九十七球。六安打、二四球、三振五つ。三振は前より少ない。でも、最後の回はよかった」


 竹田は、マスクを外して隣に座った。


「神崎、あれ打つんだもんな」


 息を吐く。


「入れりゃ打つ。落とせば見送る。嫌になるだろ」


 Kは、グラウンドを見ていた。


「向こうも、同じこと思ってるよ」


 竹田は少し笑って、ミットを膝に置いた。


「村井の最後。何で真っすぐにした?」


 Kは竹田を見た。

 それから、自分の前で右手を少し出し、途中で止めた。

 竹田が眉を寄せる。


「……振りかけた?」


 Kがうなずく。


「その前の、落ちる球で?」


 うなずく。


「だから次は、そっちを気にすると思った?」


 少し間を置いて、うなずいた。

 竹田は、マウンドの方を見た。


「……なるほどね」


 それから、Kへ向き直る。


「それ、投げる前に分かると助かるんだけど」


 反応はない。


「毎回、当てっこさせんなよ」


 Kは、タオルを膝の上で畳み直した。


    *


 七回から、マウンドには高梨が上がった。

 背番号89はベンチにいる。

 それでも中継のカメラは、ときどきKを映した。

 座っている。

 グラウンドを見ている。

 味方の打球を、立ち上がって目で追う。


 八回表、二死。

 三番手の秋山から、神崎が左翼席へ運んだ。

 2対3。

 三塁側のバイソンズファンが、一斉に立ち上がった。

 神崎は、ゆっくりとダイヤモンドを一周した。

 Kは、ベンチからその姿を見ていた。


 九回裏、片瀬が三振、大島が内野ゴロ、黒田が外野フライ。


「ゲームセット!」


 同点で降板していたKには、勝ちも負けもつかなかった。


    *


 記者席で、隣の記者が荷物をまとめながら言った。


「普通にいい先発だな。マスクがなかったら、そういう記事で終わるんだけど」


 榊原は、グラウンドを見た。

 Kは、もうベンチから見えなかった。

 今日の投球にも、広瀬を思わせるところはあった。

 だが、試合全体を見ていると、そこだけでは済まなかった。

 相手が低めを見送る。

 Kが変える。

 相手も変える。

 その中で、四回のバント処理だけが、少し違っていた。


「監督、聞きに行く?」

「行く」


    *


「研究されていた、という印象は」

「そりゃ、されるだろ」


 伊丹は椅子に座ったまま答えた。


「その中で、六回二失点」

「仕事はしたよ」


 榊原が聞いた。


「五回から、落ちる球でストライクを取る場面が増えました。次の六回には、その球を神崎選手に打たれています」

「甘かったからな。変えれば全部うまくいくわけじゃない。向こうも、打つために考えてる」

「次回の登板は」

「二試合しか見てないから、まだ分からん。ただ、次も投げさせる」


 記者たちのペンが動いた。

 伊丹が立つ前に、榊原はもう一つ聞いた。


「竹田選手は、Kの声をまだ聞いていないと話していました。監督は」

「聞いてない」


 周りの記者が、顔を上げた。


「俺が話して、あいつがうなずく。会話ってんなら、それだけだ」

「素顔は、ご覧になっていますか」

「見てない」

「球団から、現場には見せないようにという指示が」

「知らん。俺は、顔を確かめろとも何とも言われてない」

「選手を預かる立場として、それは――」

「気持ち悪いよ」


 伊丹が先に言った。

 記者たちが黙った。


「名前も年も経歴も分からん奴を連れてこられて、投げさせろって言われたんだ。最初から納得してたと思うなよ」

「それでも、次も起用される」

「六回二失点だぞ」


 伊丹は、机の上の記録を指で叩いた。


「今日、誰が投げたかは見てただろ。次も投げさせる理由は、それで足りる」


 伊丹は立ち上がって、椅子を戻した。


「顔と名前の話は、球団に聞いてくれ。それと、今日はこっちが三点取れなかった。そっちも書いといてくれ」


    *


 竹田からも、少しだけ話を聞けた。


「六回、村井選手への最後は直球でしたね」

「あれは、あいつが選びました」

「何か理由が?」


 竹田は、少し考えた。


「前の球への反応を、見てたみたいです。そこまで全部は言えないですけど」


 記者席に戻ると、榊原は伊丹の発言を別の短い原稿にした。

 監督も、Kの声を聞いていない。

 素顔も見ていない。

 誰も知らない、とひとまとめにはしなかった。

 大島、竹田、伊丹が、それぞれ自分の見たことを答えている。

 送信してから、別のメモを開いた。

 国内のどこかに、よく知られた過去がある。

 最初は、そう考えていた。

 四回の映像を戻す。

 転がる。

 追う。

 捕る。

 二塁を見る。

 処理に慣れていないようには見えない。

 技術が足りない、とも言えない。

 この国の野球で何年も投げてきた投手なら、考える前に一塁を選ぶ場面だった。

 Kは、そこで一度考えている。

 なら、この野球の当たり前を、別の場所で覚えたのか。

 海外。

 そう打って、手を止めた。

 外国人という意味ではない。

 外国で長く投げていた日本人もいる。

 二度の登板で、育った場所までは分からない。

 榊原は、「海外」の後ろに疑問符をつけた。

 記事には、入れなかった。


    *


 負けた夜のロッカーは、勝った夜より声が少なかった。

 Kは自分の場所に座り、膝にタオルを置いていた。

 テレビに、神崎の本塁打が映る。

 次に、六回の二塁打。

 Kのスプリット。

 右中間。

 竹田が通りかかり、同じ映像を見た。


「そこ、入れにいった分、甘くなったな」


 Kがうなずく。


「でも、それで次に全部下へ戻さなかったのは、よかった」


 テレビは、村井への直球に変わった。

 見逃し三振。

 竹田はミットをバッグにしまった。


「次も、向こうは今日の映像を見て来るからな。今日振らなかった奴が、次は振るかもしれない。今日打った奴が、次は待つかもしれない」


 バッグを持ち上げる。


「こっちにも教えろよ。見えたこと」


 Kは、少し間を置いてうなずいた。


「その返事、覚えとくからな」


 竹田が出ていく。

 Kは、テレビに戻った。

 画面では、また神崎の二塁打が流れていた。

 Kは、打球を追わなかった。

 打つ前の、神崎の足元を見ていた。

 前足が着く。

 バットは、まだ出ていない。

 球が沈んでから、振り出している。

 画面が、五回の映像に切り替わった。

 坂口への初球。

 藤崎への五球目。

 どちらも、見逃しでストライクを取ったスプリットだった。

 そして六回、神崎への四球目。

 三球とも、同じ高さに投げていた。

 神崎は、それを待っていた。

 Kは、画面の中の神崎から目を離した。


 同じ高さに三度続けて投げた投手を、見ていた。


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