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K ―背番号89―  作者: K2MA


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第4話 声

 Kの声を、チームの誰も聞いたことがない。


 デスクは、二回目の呼び出しで出た。


「名前、出たか」

「まだです。ただ、竹田はKの声を一度も聞いたことがないそうです」

「会見で喋らないって話じゃなくて?」

「ロッカーでも、マウンドでも。竹田がそう言っています」


 電話の向こうの物音が止まった。


「昨日、ベンチで話してたろ」

「竹田が一方的に話していたそうです。Kはうなずくか、首を振るか。大島も、素顔は見ていないと」

「それ、お前だけに言った?」


 榊原は、取材エリアを振り返った。

 さっき隣にいた記者が、電話を耳に当てて歩いている。


「囲みです。他社も聞いてます」

「じゃあ先にそれ送れ。誰が何を言ったか、そのまま。短いのを出す」

「十分ください」


 通話が切れた。

 空いている机で、録音を再生する。


『俺、あいつの声まだ聞いたことないです』


 戻す。

 もう一度聞く。

 竹田の言葉を、そのまま打つ。

 ロッカーでも声を聞いていないこと。

 マウンドではサインと身振りだけだったこと。

 大島も、素顔を見ていないこと。

 一つずつ、誰の証言かを分けて書く。

 送信。


〈出す。続き頼む〉


 録音を先へ進める。


『でも、こっちの話は聞いてますよ』


 そこで止めた。

 昨夜の三回の後。

 ベンチの映像では、竹田の口だけが動いていた。

 Kがそちらを向き、うなずく。


 四回、一四九キロ。

 声を返さない相手に、竹田が注文をつけた。

 その後に、投球が変わった。

 榊原は、続きの原稿を打ち始めた。


    *


 最初の記事が出たのは、続きを半分ほど書いたときだった。


『覆面投手K、捕手も「声まだ聞いたことない」 大島は素顔見ず』


 発言も名前も、間違っていなかった。

 返信が来る。


〈これ欲しかった。投球の方も頼む〉


 榊原は机の下で、少しだけ足を伸ばした。

 朝から初めて、取材した分だけ前に進んだ気がした。

 続きを送るころには、他社の記事も並んでいた。


『Kはロッカーでも無言 女房役が証言』

『謎深まる89番 同僚も声聞かず』


 同じ取材場所。

 同じ竹田の言葉。

 ある記事では、それが「Kの声を誰も聞いたことがない」になっていた。

 引用は、竹田一人だけだった。

 ネットの反応は、もっと早かった。


〈味方にも声出さないのは徹底しすぎ〉

〈声聞いたら一発で分かる人なんだろ〉

〈元代表説、これで逆に強くなった〉

〈英語でもバレるくらい有名なんだよ〉


 知名度の低い選手だから、誰も知らない。

 有名な選手だから、声を出せない。

 朝には逆だった説明が、同じ候補を支えていた。

 別の投稿には、昨夜のベンチの映像。


〈捕手だけ喋ってる。これ指示を入力してるんじゃないの〉

〈やっぱ東条の実験だ〉

〈だから四回から性能変わったのか〉


 榊原は眉間を押さえた。

 記事には、そこまで書いていない。

 それでも、どの投稿にも記事へのリンクがついていた。


    *


 夕方。

 朝と同じ野球帽の男が、新しい動画を上げた。


 【捕手が衝撃証言】Kが絶対に声を出せない理由。


 サムネイルでは、Kの口元が赤い円で囲まれていた。

 その横に、竹田の写真。


『これで、ちょっと状況変わりましたね。仲間にも喋らない。素顔も見せない。ここまでやる必要があるってことです』


 画面の端に、東西スポーツの記事が映る。

 その脇に候補者リスト。

 一人の横に、上向きの矢印。

 別の一人に、疑問符。

 この数時間で、候補について分かったことは一つもない。

 Kが喋っていないという証言で、リストの順位だけが変わっていた。

 コメント欄には、ドキュメンタリー企画説まで出ていた。


〈選手にも知らせてないのは、正体明かしたときの反応を撮るためだろ〉


 デスクから電話が来た。


「反応いいぞ。うちの名前も動画に出てる」


 声は、朝より少し軽かった。


「取材で、一つ増えたな」

「名前には届いてませんけど」

「それはこれからだ。今日の記事で、昔一緒にやった奴が気づくかもしれない。映像も当たってくれ」


 通話が終わる。

 朝から作っていた候補の一覧を開く。

 隣に、新しい欄を作る。


 声で分かるはず。

 顔を隠す理由があるはず。

 有名な過去があるはず。


 根拠の欄に、「はず」ばかりが並んだ。

 一人目の候補の、古い投球映像を開いた。

 足を上げる。

 踏み出す。

 腕が出る。

 Kの映像と、同じところで止めた。


    *


 フェニックスのロッカーでは、候補が一人消えていた。


「この人、昨日も試合出てるわ。海外で」

「同じ時間?」

「時差あるから……いや、無理。移動できない」

「じゃあ違うな」


 大島はバッグを閉じた。


「一人減ったか」

「別の動画だと、増えてます」

「終わらんな」


 Kは椅子に座り、タオルを畳んでいた。

 若手のスマートフォンから、聞き覚えのある声。


『俺、あいつの声まだ聞いたことないです』


 通りかかった竹田が、足を止めた。


「もう出てんのかよ」

「竹田さん、動画になってます。喋らないの、企画だからだって」

「何の」

「最後に正体を明かすドキュメンタリー。選手も知らされてない方が面白いからって」


 若手が、カメラを探すように天井を見回した。


「お前、正体分かったときも、そういう顔しろよ」


 大島が言った。


「どういう顔ですか」

「今の顔」


 笑いが起きた。

 竹田は、笑いの輪から抜けた。

 Kの隣の椅子を引き、腰を下ろす。

 Kはタオルを畳む手を止めなかった。


「悪かったな」


 Kが顔を上げる。


「俺が囲みで言ったやつ。変なふうに広がってる」

「企画だとか、声出せねえとか。俺、そんなこと一言も言ってねえのに」


 Kは首を横に振った。


「……気にしてねえってこと?」


 うなずく。


「そうか」


 竹田は、膝の上で手を組んだ。


「でも、嘘は言ってねえからな」


 Kが竹田を見る。


「お前の声を聞いたことねえのは本当だし。こっちの話を聞いてんのも、本当だろ」


 少し間があった。

 Kは、うなずいた。


「なら、いい」


 竹田は立ち上がった。


「次からは、もうちょっと考えて喋るわ」


 一歩行きかけて、振り返る。


「あと、セット。次も短くな」


 Kはタオルの角を揃えた。

 竹田は自分のロッカーへ戻った。

 若手が動画を閉じた。

 短い投稿の並ぶ画面へ戻る。

 指を滑らせる。

 一度通り過ぎたものを、少し戻した。


「広瀬っぽいって」

「広瀬?」

「広瀬和巳(ひろせかずみ)。最後の落ちる球。ほら、このコメント」


〈最後のスプリット、ちょっと広瀬っぽい〉


 長い説明は、なかった。


「広瀬って、亡くなっただろ」

「だから、似てるって話じゃないですか。俺、ちゃんと見たことないんですよね。そんなすごかったんですかね」


 大島は顔を上げた。


「すごかったよ」

「対戦しました?」

「した」

「どうでした?」


 大島は、少し考えた。


「嫌だった」


 若手が笑う。


「それだけですか」

「それで十分だろ」


 廊下から声がした。

 選手が二人、呼ばれて立つ。

 スマートフォンがロッカーへ放り込まれる。

 Kの手は、止まっていた。

 畳みかけのタオル。

 その端を、指がつまんでいる。


「K、こっちお願いします」


 入口から、スタッフが呼んだ。

 紅い頭部が上がる。

 Kはタオルを置いた。

 立ち上がり、椅子を戻す。

 誰も、その手を見ていなかった。

 ロッカーを出ると、廊下のテレビにも自分が映っていた。

 百六十キロ。

 歓声。

 大きな疑問符。


 Kは立ち止まらなかった。


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