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K ―背番号89―  作者: K2MA


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3/34

第3話 誰だ、こいつ

 翌朝。


 テレビの中で、Kは何度も百六十キロを投げていた。

 七回百四球を投げた男は、朝の情報番組では三回の一球だけを投げ続けていた。

 どの局に変えても、その一球だった。


『球界騒然! 突然現れた謎の覆面投手』


 紅い覆面の横に、大きな疑問符。


「これ、本当に公式戦なんですよね?」

「はい。先発して七回三失点、勝利投手です」

「この格好で?」

「この格好で」


 スタジオが笑った。

 プロフィールが映る。

 読み終わるまで、十秒もかからなかった。


「……これだけ?」

「球団が公表している情報は、こちらだけです」


 ゲストの一人が肩をすくめた。


「隠す方が難しくないですか。野球って、一人で練習してプロになれるものじゃないでしょう」


 隣の元プロ選手は、笑わなかった。


「誰かは知ってるはずですよ。この球を投げるんですから。どこかで一緒にやった人間はいるでしょう」


 画面では、また百六十キロが出た。


    *


 東西スポーツの編集部でも、同じ映像が流れていた。

 音は消してある。

 榊原遼介は、コンビニの袋をまだ開けていなかった。


「榊原。来て」


 デスクがモニターの前で手招きした。

 各社の記事が並んでいる。

 見出しは、どこも同じだった。


「今は横一線だ。映像も数字も、監督の『知らん』も、みんな持ってる」


 デスクは画面の中のKを指さした。


「ここから先だよ。誰なんだ、こいつ」

「まだ分かりません」

「だから調べてくれって言ってる」


 デスクは椅子を引き、肘をついた。


「来週、年齢だけ発表。次に国。最後にマスクを取る。そういう売り方かもしれないだろ。東条が連れてきて、あの格好で、資料は五行だ」

「そういう情報が?」

「ない。可能性の話だ」

「今は、なにもわかりません」

「今すぐ書けとは言ってない。時間があると思うなって言ってる」


 デスクは画面を顎で指した。


「球団が名前を出したら、各社同時だ。それまでこっちが何時間調べてようが、公式サイトを見た奴と同じになる」

「分かりました」

「前所属でも年齢でも。何でもいい。分かったところから持ってきて」

「裏が取れたところから、ですね」

「頼むぞ」


 席に戻り、球団の選手紹介を更新する。


 K。

 89。

 昨夜から、何も変わっていなかった。


    *


 ネットには、球団より詳しいプロフィールがあった。

 三十二歳。

 元メジャーリーガー。

 肘の故障で一度引退。

 出典は、どこにもなかった。

 別の投稿では、二十七歳。

 さらに下では、東条グループが海外で育てた極秘選手。


〈普通に考えて企業の実験だろ〉

〈サイボーグとか遺伝子操作?〉

〈検査どうすんだよ〉

〈東条グループだからな〉


 榊原はスクロールを止めた。

 東条グループだから。

 その一言で、説明が終わっていた。

 国内の現役投手の名前も並んでいた。

 故障で登録を外れている。

 背が同じくらい。

 右投げ。

 その程度で、候補になっている。


〈昨日こいつ何してた?〉

〈地元の番組出てる〉

〈収録の可能性ある〉

〈窓の外明るいだろ〉


 訂正されるたびに、条件の方が変わっていく。

 覆面の色から、紅と黒と金のユニフォームを着た選手を探す者もいた。

 背番号の八と九を足して、十七番の投手を並べる者もいた。


 八十九年生まれ。

 八月九日生まれ。

 通算八十九勝。


 榊原は、メモに書きかけた数字を消した。

 何を探しているのか、分からなくなりかけていた。


 画面の隅に、赤い文字の動画が出た。

 【正体判明?】覆面投手Kの中身、絞れました。

 投稿は、午前三時十八分だった。


    *


 榊原はイヤホンをつけた。

 野球帽の男が喋っている。

 背後の棚に、グラブが並んでいた。


『公開情報からの考察です。ただ、かなり絞れます』


 候補者の表に、十数人の名前が出た。

 身長が三センチ違う選手は、計測した時期が違うから。

 体重が十キロ違う選手は、増減があるから。

 左打ちでない選手は、登録情報が古いかもしれないから。

 条件が、一つずつ緩んでいった。


『僕が一番気になってるのが、この人です』


 榊原も知っている、元プロの投手だった。


『ここ二年くらい、情報が少ないんですよね』


 情報が少ないことが、一番の根拠だった。

 次の動画は、もっと再生されていた。


 【映像比較】Kは途中で交代していた?

 三回の百六十キロ。

 四回の一四九キロ。

 二つが横に並ぶ。


『急に十一キロ落ちてるんです。しかも、その後の方が抑えてる』


 二つのフォームが止まる。

 片方は足を上げきる直前で。

 片方は、踏み出した後で。


『これ、同じ人に見えますか?』


「同じところで止めろよ」


 声に出ていた。

 隣の席の記者が、こちらを見た。

 榊原は手を上げて謝り、映像を戻した。

 カメラの角度も違う。

 三回は斜め前から。

 四回はセンター方向から。

 それでも、コメント欄には賛同が並んでいた。


〈途中から別人みたいだと思った〉

〈監督も別の投手みたいって言ってた〉

〈中に二人いるは草〉

〈ルールどうなってんだ〉


 昨夜の伊丹の言葉まで、証拠にされていた。

 イヤホンを外す。

 デスクが後ろに立っていた。


「何か出た?」

「四回から中身が入れ替わったそうです」

「それ、もう十万近く回ってるやつか」

「この説は無理です」

「分かってる。何か出たら、記録担当にも回して。全部お前一人でやらなくていい」


 デスクは戻りかけて、振り返った。


「ネットの後追いで終わるなよ」


 動画の再生数は、開いたときより増えていた。


    *


 球団広報の声は、朝から同じ質問に答え続けている声だった。


『経歴については、非公表となっております』


「今後、段階的に公表する予定は」


 一拍、間があった。


『現時点で、お伝えする予定はございません』


 榊原は、そのまま書き留めた。

 公表しない、とは言っていない。

 公表する、とも言っていない。

 契約と本人確認の手続きは済んでいる。

 それは記事にできる。

 電話を切ると、デスクからメッセージが来ていた。


〈どう?〉


 広報の回答を短くまとめて送る。


〈昨日と同じだな。外を当たって。候補でもいい〉


 コンビニの袋は、口だけ開いていた。


    *


 フェニックスのロッカー。

 若手投手が、竹田にスマートフォンを突き出した。


「竹田さん、これ見ました? 四回から中身が違うんですって」


 画面の中で、Kが左右に並んでいる。


「二人で投げてる説」


 隣の選手が笑った。


「三回で交代なら、勝ちどっちにつくんだよ」

「知らねえよ」


 少し離れた椅子で、Kが靴ひもを結んでいた。

 竹田はロッカーを開けながら言った。


「本人の横で見るなよ」

「三回の後に入れ替わったらしいですよ」

「じゃあ昨日、俺はどっちと話してたんだよ。ずっと同じベンチにいたんだぞ」


 竹田はKを見た。


「お前、今日はどっちだ?」


 Kは靴ひもから顔を上げ、竹田を見た。

 何も答えなかった。


「どっちも喋んねえのかよ」


 周りが笑った。

 若手が別の画面を出す。


「Kさん。じゃあ、この人ですか?」


 元プロ投手の写真だった。

 Kは画面を見た。

 差し出した若手を見る。

 また、靴ひもに戻った。


「違うってこと?」

「答える気ねえんだろ」

「せめて違う人だけ、消してほしいんですけど。この動画だと候補、十二人いるんで」


 別の若手が口を挟んだ。


「俺、外国人だと思うんですよね。日本にいたら、誰か知ってるじゃないですか」

「外国でも知ってるだろ」

「だから、すごい下のリーグとか」

「あんな球投げる奴が?」

「知らないですけど」


 大島が、手袋を出しながら通りかかった。


「ネットなんて、候補が減ったら、また違う候補が増えるだけだぞ」

「確かに」


 入口からスタッフが顔を出し、竹田を呼んだ。

 真壁が、映像を見ながら話を聞きたいという。

 竹田は立ち上がり、Kの前で足を止めた。


「昨日の後、痛いとこは」


 Kが首を横に振る。


「肩も肘も?」


 うなずく。


「何かあったら、ちゃんと言え。黙ってたら分かんねえから」


 また、うなずいた。

 竹田が出ていくと、若手がつぶやいた。


「野球のことは答えるんですね」

「じゃあ、野球のこと聞けばいいじゃん」


 大島が言った。


「年俸いくらなんですかね」

「そこか」


    *


 真壁が止めていたのは、二回の映像だった。

 一塁走者がリードを取っている。

 Kは、セットに入ったまま動かない。


「ここ、何て言った」

「長いって。セット入ってから長え、って」


 真壁が四回へ送る。

 死球で出た走者。

 Kは一度だけ一塁を見て、すぐに投げていた。


「変えましたね」

「普通は、言われてもできないんだよ。昨日の今日じゃない。同じ試合の、次の回だ」


 真壁は椅子の背にもたれた。


「投げる動作はできてる。あの落ちる球も、たまたま投げられるようになる球じゃない。なのに、ここだけ妙に危なっかしい」

「三回の後、全部全力で投げるなって言いました。あと、打者を見ろって」


 真壁が、三回と四回を続けて流す。


 一五九。

 百六十。

 一四九。


 竹田は少し笑った。


「今、ネットでここから別人って言われてますよ」

「入れ替わった奴にも、セット長いって話は引き継ぎがあるのか」

「そうなりますね」

「準備がいいな」


 真壁は笑わず、もう一度再生した。


「捕っててどうだった。四回から」

「球速ほど、遅くなった感じはしなかったです。それと、後半は何か見てるんですよ。サインを断るときの感じが、一回と違う。こっちに分からないことを」

「何かって」

「分からないから、困るんです」


 真壁は腕を組んだ。


「……どこで野球覚えたんだ」


 ドアが開いて、伊丹が入ってきた。


「何か分かったか」

「あいつ、竹田の話はちゃんと聞いてます」

「うなずくからな」

「投球に出てる、って意味です」

「分かってるよ」


 伊丹は、七回の滝川の打席まで送らせた。

 最後の一球が沈む。

 空振り。


「次は、簡単には振らんぞ」

「下、捨ててくると思います」


 竹田が言った。

 伊丹はうなずき、真壁を見た。


「もう一回、投げさせる。体を確かめてから日を決める。今日は肩を休ませろ」

「はい」


 伊丹はドアに手をかけた。


「なんにせよ、次も投げるのは、うちのマウンドだ。投げられるようにするのは、お前の仕事だ」


 ドアが閉まる。


「次、あるんですね」


 竹田が言った。


「あるぞ。お前も捕るんだ」

「分かってますよ」


 真壁は、映像を一回へ戻した。


    *


 球場の取材エリアには、普段見ない顔が増えていた。

 情報番組のカメラ。

 週刊誌。

 野球担当ではない記者。


「K選手はどこを通りますか」

「動線については、ご案内しておりません」


 球団職員が、同じ説明を繰り返していた。

 榊原は、大島から短く話を聞けた。


「K投手の今日の様子は」

「普通」

「ロッカーで、マスクは外していましたか」

「いや。外してるのは見てないな」

「え?」


 別の記者が声を上げた。


「誰も見てないんですか」

「少なくとも俺は見てない。たぶん、みんなも見てない」


 榊原はノートから顔を上げた。

 チームメートにも、素顔を見せていない。


「以前対戦した投手に似ている、という印象は」


 大島は少し考えてから、榊原を見た。


「誰かを言わせたいの?」

「心当たりがあれば」

「俺が誰かの名前出したら、その人に聞きに行くだろ。今んとこないよ」


 大島は、グラウンドへ戻っていった。

 竹田にも、同じことを聞いた。


「分かんないです」

「受けた感じでは」

「速いです」

「落ちる球は」

「落ちます」


 周りの記者が笑った。

 竹田は笑っていなかった。


「昨日、三回の後にベンチで話していましたね」


 竹田の目が、少し動いた。


「俺が一方的に喋ってただけです」

「K投手は?」

「喋ってないですよ」

「……あのときだけですか」


 竹田は少し考えた。


「いや。俺、あいつの声まだ聞いたことないです」


 榊原のペンが止まった。

 周りの記者がざわついた。


「一度も?」

「一度も。ロッカーでも喋んないですね。聞かれたことには、うなずいたり首振ったりしますけど」

「では三回の後は、竹田選手が一方的に?」

「そうです。全力で投げるなって。七回まで投げるなら考えろって」

「それで四回から球速を落とした?」

「本人に聞いてないんで、そこまでは」


 少し間を置いて、竹田が付け足した。


「でも、こっちの話は聞いてますよ。聞いてないように見えるけど」


 榊原は、その言葉まで書き留めた。

 隣の記者が、録音していたスマートフォンを下ろす。

 別の一人は、もう輪を離れて電話をかけていた。

 榊原も礼を言い、取材エリアを出た。


 竹田の一言は、もう取材エリアの外へ出始めていた。


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