↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
K ―背番号89―  作者: K2MA


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/34

第2話 助言

 三回表を終えて、スコアは0対3のまま動いていない。

 ベンチの中は、まだ百六十の話で浮ついていた。

 竹田はレガースを着けたまま、Kの隣に腰を下ろした。


「お前さ」


 紅い頭部が、こちらを向く。


「誰が百六十出せっつった?」


 Kは黙っていた。


「球は来てんだよ。一五〇でも、あいつら詰まってる」


 竹田は、グラウンドを顎で指した。


「なのに全部全力で投げてどうすんだ。今日、何回まで投げるつもりだよ」


 返事はない。


「それとな」


 竹田は、自分の目を指さした。


「数字じゃなくて、打者を見ろ」


 Kの視線が、わずかに動いた。


「水城は一回、お前の真っすぐを打った。三回は差し込まれた。大楠は一五八でも当ててきた。滝川は――」


 竹田は一度、言葉を切った。


「あいつは、何投げても打つ。だから四年も続けて四十本打ってんだよ」


 竹田は立ち上がった。


「速けりゃ全部解決するなら、みんな百六十投げてる」


 数歩行って、振り返る。


「打者を見ろ。ボールじゃなくて」


 竹田はそのまま、防具を整えにベンチの奥へ行った。

 Kは、大型ビジョンの百六十を見なかった。

 グラウンドを見ていた。


 一回。


 三回。


 水城。

 滝川。

 振った球。

 振らなかった球。

 遅れた。

 合わせた。

 見送った。

 打った。


 Kは立ち上がった。


    *


 四回表。

 伊丹は、Kの初球を大型ビジョンで確かめた。


 149 km/h。


「ん?」


 客席から、気の抜けた声が漏れた。

 二球目、一五〇。

 内角をかすめて、江口の袖に当たった。


「デッドボール!」


 無死一塁。

 伊丹は舌打ちしかけて、やめた。

 Kは走者を一度だけ見て、すぐに投げた。

 セットで、固まらなかった。

 矢崎は二ゴロ。

 一死二塁。


 立花には、直球を見逃させ、横へ逃げる球を見送らせ、外角の直球で右飛。

 川瀬は三ゴロ。

 無失点。


 球速は、一度も一五三を超えなかった。

 拍手は、三回より小さい。

 だが、球数はずっと少なかった。


「疲れたか」


 伊丹はスコアブックから顔を上げずに言った。


「違うと思います」


 真壁は、ベンチへ戻ってくるKを見ていた。


「落としてます」

「自分でか」

「たぶん」

「三回まで百六十投げようとしてた奴がか」

「だから変なんですよ」


 真壁は腕を組んだ。


「普通、言われてもすぐにはできません。投げ方を崩さずに出力だけ落として、その上で打者に合わせるなんて」


 伊丹は、黙ってグラウンドを見た。

 三回までと、四回。

 同じ投手には見えなかった。


    *


 五回表。

 水城は初球の一五〇を打って遊ゴロ。

 一球で一死。


 大楠に右前へ運ばれる。

 この日、五本目の被安打。


 野間。

 外。

 内。

 横。

 直球。

 最後は、落ちると思わせて落とさない。

 見逃し三振。


『四番――滝川祐希』


 第一打席、二ラン。

 第二打席、フェンス直撃。

 Kはまだ一度も、この男をアウトにしていなかった。


 一五〇、外角。

 ストライク。


 スプリット。

 見送り。


 内角、一五二。

 ファウル。

 追い込む。


 竹田がサインを出す。

 Kがうなずく。

 投げる。

 滝川が振る。

 高い。

 遠い。

 中堅の早川が下がる。

 まだ下がる。

 三塁側から、歓声が上がり始める。

 フェンス際。

 最後の一歩。

 早川が跳ぶ。

 グラブの先に、白が入った。


「アウト!」


 本塁側から、歓声と安堵の息が一緒に出た。

 三塁側からは、大きなため息。

 記録は中飛。


 Kは、早川のグラブを見ていた。

 初めて、滝川をアウトにした。

 Kは一度だけ、センターを振り返った。

 ベンチに戻ると、竹田が隣に座った。


「今の、入ったと思ったろ」


 少し間があって、Kがうなずいた。


「俺もだ」


 竹田は前を向いた。


「滝川相手なら、あれでも失投だ。アウトだから正解じゃねえ。逆もある。ヒットだから全部間違いでもない」


 竹田が立ち上がる。


「そういうの見ろって言ってんの」


 Kは、その背中を見送った。


    *


 六回表。


 先頭の武藤の打球は、平凡な三ゴロだった。

 三塁手の岩瀬が、弾いた。


「セーフ!」


 岩瀬が帽子のつばに触れる。

 悪い、という仕草。

 Kは何も返さず、次の江口を見た。

 直球、ファウル。

 横へ逃げる球、空振り。

 竹田がサインを出す。

 Kが一瞬、止まる。

 うなずく。

 竹田にも分かった。

 同じ球を考えていた。

 低めへ、沈む。


「ストライク! バッターアウト!」


 矢崎には粘られて四球。

 立花は中飛。

 川瀬には、Kが二度首を振り、三つ目のサインで二ゴロに取った。

 走者を二人残して、チェンジ。

 竹田が、ベンチへ戻るKの横を歩いた。


「やっと投手っぽくなってきたな。最初からそれやれよ」


 Kが見る。


「聞いてんのか」


 うなずく。


「じゃあ、なんか言えよ」


 反応はない。


「お前、感じ悪いぞ」


 竹田が先にベンチへ入る。

 その後ろで。

 Kの肩が、ほんの少し動いた。


 竹田は見ていなかった。


    *


 五回裏に一点を返し、1対3。


 七回表、Kがマウンドへ向かうと、球場から拍手が起きた。

 一回とは、音が違った。

 89も、Kという一文字も、何一つ説明されていない。

 それでも観客は、この男を今日の先発として見始めていた。


「Kー!」

「七回もいけ!」


 水城に初球を中前へ運ばれる。

 無死一塁。

 この日、六本目の安打。

 Kは球速を上げなかった。


 大楠、右飛。

 野間、五球目で空振り三振。

 二死一塁。


『四番――滝川祐希』


 音が変わった。

 今日、四度目。

 百球に達している。

 それでも球場中が、この対決を見た。

 150 km/h。

 外角。


「ストライク!」


 滝川は動かない。

 横へ逃げる。

 見送る。


「ボール!」


 一五三。

 高め。

 ファウル。

 一ボール二ストライク。


「百六十!」

「K、いけ!」


 観客が待っている。


 三回、それでピンチを抜けた。

 滝川も知っている。

 Kは返球を受け取り、滝川を見た。


(待ってるのを、見せてる)


 竹田がサインを出す。

 Kがうなずく。

 足を上げる。

 投げる。

 滝川が踏み込む。

 バットが走る。

 途中まで、直球。

 その手前で。

 沈んだ。

 空振り。

 竹田のミットが鳴る。


「ストライク! バッターアウト!」


 一瞬。

 球場が爆発した。

 Kはマウンドの上で動かなかった。

 滝川も、すぐには打席を出なかった。

 一度だけKを見て、それからバットを持ち直し、ベンチへ歩いていった。

 大型ビジョン。


 148 km/h。


 百六十ではない。

 それでも、この夜一番の歓声がKに降った。


    *


 ベンチの前で、伊丹は待っていた。


「終わりだ」


 Kがうなずく。


「七回で十分だ」


 また、うなずく。

 伊丹は、紅い頭部を見上げた。


「もし次があるなら」


 Kが、こちらを見る。


「今日の四回からを、最初からやれ」


 Kは一度だけ、深くうなずいた。

 伊丹はそれ以上言わず、グラウンドへ向き直った。

 次。

 自分で言ってから、気づいた。

 朝には、考えてもいなかった言葉だった。


    *


 七回裏。

 大島は、ネクストバッターズサークルで膝をついていた。

 ここまで、三打数無安打。


 先頭の岩瀬が四球。

 早川が右前打。

 日下部(くさかべ)の送りバントで、一死二、三塁。

 片瀬は内野ゴロで、走者は動けない。

 二死二、三塁。


 大島は立ち上がった。

 ファルコンズのベンチが動く。

 左の中継ぎ、菅沼。

 大島は打席で一度だけ、マウンドを見た。

 外、ボール。

 内、ファウル。

 低め、見送り。

 二ボール一ストライク。

 四球目、外角。

 振り抜く。

 一、二塁間。

 二塁手の大楠が飛びつく。

 届かない。

 右前。

 岩瀬が還る。

 早川も三塁を回る。

 右翼からの返球。

 滑り込む。


「セーフ!」


 3対3。


 大島は一塁ベースの上で、手袋のマジックテープを外した。

 ベンチを見る。

 立ち上がって手を叩く選手たちの奥で、紅い頭部だけが座ったまま動いていなかった。

 大島は、手袋を締め直した。


 五番、黒田。

 初球、エンドラン。

 打球が左中間を割る。

 大島は二塁を回り、三塁コーチの腕を見て、本塁へ走った。

 クロスプレー。


「セーフ!」


 4対3。

 ベンチへ戻ると、手が次々に伸びてきた。

 その向こうで、竹田がKの肩を叩いていた。


「勝ち付くぞ。このままなら、お前に」


 Kは、スコアボードを見ていた。

 4。

 3。

 大島は、自分のヘルメットを棚に置いた。


    *


 八回を秋山、九回を柴崎が抑えた。

 最後の打球が、一塁の黒田のミットに収まる。


「ゲームセット!」


 ベンチから選手が飛び出していく。

 Kも立ち上がった。

 輪の中には入らず、少し後ろからグラウンドを見ていた。


『本日の勝利投手、K』


 大型ビジョンに、89とKが並ぶ。

 客席のスマートフォンが、また一斉に上がった。


『本日のヒーローインタビューは、同点打の大島選手、勝ち越し打の黒田選手です』

「Kは?」

「勝ち投手だろ」

「出ないの?」


 お立ち台に上がった大島に、マイクが向けられた。


「最後に、今日デビューしたK投手について、一言いただけますか」


 大島は少し考えた。


「……四回からは、守りやすかったです」


 客席から、よく分からないという笑いが起きた。

 大島はそれ以上言わなかった。

 Kの姿は、もうベンチから消えていた。


    *


 試合後、伊丹は記者たちに囲まれていた。


「K投手について、お願いします」

「知らん」

「彼は誰なんですか」

「知らん」

「あのいでたちには、どういう意味が」

「知らん」

「今日、初めて会ったんですか」


 伊丹は、一瞬止まった。


「今日、チームに合流した」

「年齢は」

「知らん」

「今後も先発で?」

「これから考える」

「百六十キロ、出ました」

「出たな」

「驚きましたか」

「百六十より、四回からの方が良かったよ」


 記者たちのペンが止まり、また同じ質問が始まった。


「本当に正体を知らないんですか」


 伊丹は答えずに、椅子を戻した。


    *


 東西スポーツの榊原遼介(さかきばらりょうすけ)は、記者席でノートパソコンを開いていた。

 各社の速報は、もう出揃っている。


『謎の覆面投手K、最速160キロ』

『正体不明の89番、7回3失点で勝利』


 どれも同じだった。


 覆面。

 百六十。

 正体不明。


 榊原も、そこに興味がないわけではない。

 だが、七回まで見て引っかかったのは、別のところだった。

 三回までは、球威で押していた。

 四回から、球数が減った。

 最後の滝川には、百六十ではなく、一四八を投げた。

 榊原は、球団の公式サイトを開いた。


 選手一覧。

 背番号89。

 登録名、K。

 投手。

 右投左打。

 身長一八五、体重八五。

 以上。


「……何もないな」


 年齢がない。

 生年月日がない。

 出身地も、出身校も、前の所属もない。

 榊原は、リーグの公示も確かめた。

 本日付、支配下選手登録。

 登録期限の七月末まで、あと数日という時期だった。

 検索窓に入力する。


 K。

 89。

 投手。

 160。


 出てくるのは、今日の記事ばかりだった。

 こんな球を投げる投手に、過去がない。

 榊原は、試合の映像を戻した。

 三回のフェンス直撃が、少し横へ跳ねていたら。

 一塁走者は還っていた。

 Kは勝った。

 だが、圧倒して勝ったわけではない。

 七回の最後の一球を、もう一度再生する。


 滝川。

 一四八。

 空振り。

 止める。

 戻す。


 五回。

 止める。


 四回。

 止める。


 一回。

 止める。

 榊原は椅子に深く座り直した。

 球が速い選手なら、いくらでもいる。

 だが、あの変化球と、あの修正の速さ。

 今日初めてマウンドに立った人間のものではなかった。

 新しいメモを開く。

 タイトル欄に、一文字だけ打った。


 K。


 少し考えて、その下に書き足す。


――何者?


    *


 球場の奥の、人の来ない部屋で、Kは一人、椅子に座っていた。

 紅い防具は、まだ外していない。

 壁のテレビが、試合のダイジェストを流していた。


 滝川の二ラン。

 フェンス直撃の二塁打。

 七回の三振。


『衝撃のデビューです! 謎の覆面投手K、最速160キロ、7回3失点で勝利投手!』


 Kは画面を見ていた。


 三回の打球。

 センターのフェンス。

 跳ね返る。

 早川の前へ真っ直ぐ転がる。

 走者が、三塁で止まる。

 Kは少しだけ、目を伏せた。


(今日は、運がよかっただけだ)


 テレビでは、百六十キロの映像が繰り返されていた。


 Kはそれを見なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。