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K ―背番号89―  作者: K2MA


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26/34

第26話 直球

 ファーストステージが終わった翌日、榊原は四年前の映像を開いていた。

 北米の独立リーグ。

 画質はよくない。


 細身の右投手が、マウンドに立っている。

 背中には、ONO。

 九十一マイル。


 今のKより遅い。

 身体も細い。

 それでも、直球を投げ終えた姿には見覚えがあった。

 榊原は別の画面を開いた。


 K。


 四年前のONO。


 二つの映像を、何度も往復する。

 似ている。

 少なくとも、広瀬和巳の直球よりは。

 榊原はノートを開いた。

 以前、自分で書いた一行が残っている。


『広瀬から教わった?――なら、直球は?』


 広瀬に似ているのは、スプリットと、投げる前の間だった。

 直球で広瀬を思い出したことは、Kにも、ONOにも、一度もない。

 ならば、これはどこから来た。

 榊原はONOの映像を止めた。


 四年前。

 映っている男は若い。


 十八、十九。

 上に見ても二十歳前後。


 日本の外で野球を覚えた。


 そう考えて、この映像にたどり着いた。

 だが、現在のKは日本語で野球をしている。

 背中の三文字も、日本の名字だった。


 彼が、十八、十九で北米にいたなら、その前はどこにいた。

 もし、日本にいたなら、どこかの高校にいてもおかしくはない。


 七年前から、五年前あたりまで。

 榊原は、三年分の高校野球を探し始めた。

 現在、プロや大学で消息が確定している選手は除外。

 速い投手は何人もいた。

 数字だけでは絞れない。

 それでも、名前が残っている投手は限られていた。


 地方大会の記事。

 球速が見出しになった投手。

 大会の奪三振の上位。


 映像を開き、直球を見る。

 違えば、次へ進む。


 何人目だったか。

 榊原はマウスから手を離した。

 映像の中では、夏の甲子園が行われていた。

 マウンドにいるのは一年生だった。


 桐明翔(きりあけしょう)。

 右投げ。

 十五歳。

 一年生で背番号一。

 ベスト八。

 大会でも有数の奪三振数を記録し、打者としても二本塁打。

 榊原にも名前の記憶があった。


 七年前、自分も甲子園にいた。

 当時は、一年生の好投手として見ていた。

 それだけだった。


 映像を戻す。

 桐明が直球を投げる。


 もう一度。


 榊原はKとONOの映像を並べた。

 三つを、同じ場面で止める。


 腕が出る位置。

 投げ終わりの右肩。

 同じフォームではない。


 七年も離れている。

 身体も違う。


 それでも、直球を投げたときだけ、三つの距離が近くなった。

 これで三度目。

 広瀬のときも、ONOのときも、同じように似ていると思った。


 まだ何の証明もできていない。


 榊原は、桐明の映像を閉じた。

 代わりに、さっきまで見ていた投手たちの映像を開き直す。


 七年前に速球で名前の出た、別の高校生たち。

 一人ずつ、Kの直球と並べた。

 似ていなかった。


 もう一度、桐明を開く。


 同じところで、また止まった。

 榊原はノートに、その名前を書いた。


 桐明翔。


 Kの名前との間に、線を引く。


    *


 榊原は桐明の名前を追った。

 出てくるのは、あの夏の記事ばかりだった。

 その先を探しても、また甲子園に戻ってくる。

 検索結果を遡っていくうちに、一本の記事が出てきた。

 甲子園が終わったあとの事故だった。


 建設現場で事故が起き、作業員と通行人が巻き込まれていた。


 『通行人の森川みさきさん(44)が死亡し、高校生二人が重傷。高校生のうち1人は、甲子園で活躍した桐明翔選手とみられる』


 榊原は記事の日付をノートに書いた。


 甲子園。


 事故。


 もう一度、桐明の映像に戻った。


 十五歳。


 四年前のONOなら、十八か十九。

 現在なら、二十二。

 時間は合う。


 榊原は当時の大会資料も探した。


 登録選手。

 試合記録。

 スコア。

 ベンチ入りメンバー。


 最後に、敗れた準々決勝の映像を開いた。


 桐明は、八回まで投げていた。

 榊原は最後の直球を戻した。

 Kの直球を隣に置く。

 同じではない。

 だが、似ている。


 映像はそのまま流しておいた。

 榊原は椅子を離れた。

 机の端に置いていたコーヒーを取り、窓際へ歩く。

 背後では、九回の実況が続いていた。


『一塁ランナーに代わりまして、森川』


 榊原は窓の外を見ながらコーヒーを飲んだ。

 しばらくして、机へ戻った。

 画面に、桐明は映っていなかった。

 走者が一塁で腰を落とし、両手をだらりと下げて、投手を見ているだけだった。

 榊原は、画面を八回の桐明の投球まで戻した。


    *


 現在の桐明翔は、検索では届かなかった。

 名前を追っても、出てくるのは甲子園と事故の記事だけだった。


 榊原は学校へ電話をかけた。

 当然、学校は本人の連絡先を教えなかった。

 桐明は一年の途中で学校を離れているという。


 榊原は、七年前の野球部について取材したいと伝えた。

 当時の監督。

 当時の部員。

 連絡を取れる人間がいれば、自分の連絡先を渡してほしい、と。


 そこからは、検索ではなく人を辿った。

 当時の監督につながった。

 監督も、今の桐明の連絡先までは知らなかった。

 代わりに、当時の部員を一人紹介された。

 その一人も知らなかった。

 また別の名前が出た。


 数日後、榊原の携帯が鳴った。


 桐明翔だった。


 取材の名目は、七年前の話を聞かせてほしい、ということにした。

 嘘ではない。

 桐明は、日程だけ聞いて、それ以上は何も尋ねなかった。


    *


 ファイナルステージが始まるまで、あと二日あった。

 在来線に乗り換えると、車内は空いていた。

 窓の外を、刈り取りの終わった田が流れていく。

 山の色が、少しずつ変わり始めていた。

 日が低い。


 十月だった。

 球場にいれば、今ごろは照明がつく時間だ。


 榊原は携帯を開いた。

 画面は、どこもカイル・ミラーだった。

 フェニックスがファイナルステージへ進んだことで、話題はさらに大きくなっている。


 英語の記事を訳したもの。

 比較動画の再生数。

 本人に取材しろ、という声もあった。


 誰も、否定できていない。

 榊原も、証明はできない。

 それでも、自分が見ている方角は、もう変わっていた。


 四年前の映像の投手は、二十歳にもなっていない。

 カイル・ミラーは、三十三歳になる。


 携帯を閉じた。

 ノートを開く。


 確かめること。

 桐明翔が、今どうしているか。

 Kと同じ人間かどうか。


 聞くこと。

 七年前の投球。

 どこで覚えたのか。

 誰かに教えたことがあるか。

 事故のこと。

 現在。


 電車が、短いトンネルに入った。

 窓に、自分の顔が映った。


    *


 待ち合わせたのは、駅前の喫茶店だった。

 先に着いた榊原の後から、桐明が現れた。

 細身だった。


 七年前の映像より、肩まわりが薄い。

 上着を脱いで、椅子の背にかける。

 座ってから、一度だけ榊原の名刺を見た。

 榊原は、まず当時の甲子園についていくつか聞いた。

 桐明は、覚えている範囲で答えた。

 準々決勝のことも、覚えていた。


「あの試合は、私も球場で見ていました」


 桐明が顔を上げた。


「取材でですか」

「担当は別でした。ただ、見に行きました」

「そうだったんですね」


 桐明は、それだけ言った。


「あのころの投げ方について、伺えますか」

「投げ方、ですか」

「教わった形なのか、自分で作ったのか」

「小さい頃から投げてましたけど、誰かに直してもらった記憶はないですね」

「ずっと、その投げ方で」

「そうですね。気づいたら、なってました」

「当時、その投げ方を誰かに教えたことは」

「ないですね。教えるとか、そういうのなかったんで」


 榊原はうなずいた。


「今は、普段はお仕事を?」

「はい。会社員です」

「土曜日も?」

「仕事ですね。朝から夕方まで」


 榊原は、Kが土曜の昼に先発した試合を思い出した。


「変なことを伺います」

「はい」

「桐明さんが、Kではないかと考えていました」

「俺がですか?」

「はい」

「違いますよ。野球、もうやってませんから」


 桐明は笑った。


「事故は、一野球ファンとして本当に残念でした」

「事故もありましたけど、ちょっと病気もあって」

「そうでしたか」

「あ、今は元気にしてますよ。普通に生活してます」

「それなら、よかったです」


 榊原は、それ以上は聞かなかった。

 病気について尋ねるために、来たわけではない。

 取材を終え、礼を言った。

 桐明は上着を取り、先に店を出ていった。


    *


 榊原はノートを開いた。

 土曜の昼、Kはマウンドにいた。

 その時間、桐明は仕事をしていた。

 それが、一つ。

 もう一つは、さっきまで目の前にいた男だった。


 七年前の映像と、四年前のONO。

 二つだけなら、まだ分からなかった。

 三つ目を見れば、分かる。

 別人だった。

 桐明翔。

 その名前の横に引いていた線を消す。


 七年前の桐明の直球。

 四年前のONOの直球。

 現在のKの直球。


 桐明翔は、Kではなかった。


 桐明は、誰にも教えていないと言っている。

 誰かに教わったわけでもない。


 ならば、今、なぜKが投げている。

 答えはなかった。

 それでも。


 あの直球だけは、残っていた。


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